さいきん家内が地震の夢ばかり見て、恐くて目が覚めてしまったりしているそうだ。
どうも原因は、わたしがいろいろと地震の話をするせいらしい。
それで、地震の話はしないでということになった。
北海道東部の網走の近くの町で生まれ育って、あのへんは活断層も少なく、地震とはあまり縁がないところだ。
たまに釧路沖などで大きな地震があったとしても、大きな被害が出ることはない。
そういう人間が東京に来て、東京ではしょっちゅう揺れているので、恐いのだろう。
ただし、東京はしょっちゅう揺れているからといって、決して「地震慣れ」しているわけではない。
たしかに関東地方はプレートの境界があって、中小の地震が多い地域だ。
だが、震度5の地震なんて、もう10年以上も経験していない。
それに、東京生まれの東京育ちで、48年間東京に住んでいるが、地震で被害があったことなんて一度もない。
地震で揺れて、棚から物が落ちてきたなんて、ほとんど覚えがない。
数日前の茨城南部の地震で、久々に小物が落ちた程度だ。
こういうところだから、震度5強の地震などがあった日には、ほとんどパニック状態になるだろうことは目に見えている。
考えてみると、現代人というものは、科学という「信仰」にしがみついて生きているようなものだと思う。
だが、その「信仰」も、あやふやなところがある。
だいたい鉄筋コンクリートのビルや公共設備なんて、想定されるどんな地震があっても耐えられるように設計・施工されているのではないのか。
それが、なんで阪神淡路大震災のようなことになってしまうのか。
このことについて書き始めると長くなるので、また別の機会に。