ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなったのは、現地時間4月2日午後9時37分のことだった。
ポーランド人のヨハネ・パウロ2世は、霊性と平和の重要性を説き、ローマカトリックの大きな改革を行った稀有な宗教家だった。
この偉大な宗教家が亡くなってしまった後は、この世界はどうなってしまうのだろうかと思わせるような、貴重な存在だった。
ガリレオ裁判、十字軍遠征、ユダヤ人迫害など、カトリックの過去の過ちを認めて謝罪し、またユダヤ教やイスラム教との和解を進めるという勇断もみごとだった。
その一方、避妊具の使用や人工授精を認めない保守的な面もあった。
だが、人工授精や体外受精について言えば、私はローマ法王の意見に賛同する。
人間が生命の創造という神の領域に立ち入るとき、そこには必ず何か不具合が生じてくるのではないかと思うのだ。
信仰の神秘的側面を重視し、霊性の重要性を説いた人でもあった。
今日の朝日新聞の夕刊のでは、99年の「アジアにおける教会」という勧告から、ローマ法王の次の言葉が引用されている。
祈りと観想のうちに深い神体験をしたことがない宣教者は、霊的な影響を及ぼしたり宣教における成功を収めたりすることはほとんどないでしょう。これは、わたし自身の司祭生活から得た洞察です。
信仰と理性 瞑想で結ぶ、菅原伸郎、朝日新聞、2005年4月4日夕刊より
偉大な開祖が説いた深遠な教えも、時がたつにつれて形骸化していき、その教団が大きくなればなるほど、また顕教化していき密教的性質がなくなっていくほど、指導者たちも神のことがわからなくなってくる。
それは、自分たちがそのような絶対的存在と接する術を失ってしまうことから始まるものだ。
そして人々は、神秘性が薄れた大宗教から離れていき、オカルトとか現世利益をもたらしてくれる新興宗教とかシャーマンにひかれていくのだろう。
そして、これからは顕教的要素が強い宗教よりも、ヨーガのような密教的な実践形態が重要なものになってくるのだと、私の師は説いている。
人類が霊性に目覚めて、いつかこの世に「神の国」ができるためには、そのような道の選択が必要になってくるだろう。