探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ(はてな旧サイト)




聖地巡礼・熱海編


さて、何から書けばいいのか…。
昨日の夜、明日は聖地巡礼へ行くべきかと伺ってみたところ、熱海の来宮(きのみや)神社へ行くようにと指示が出た。
最近は前日の夜に翌日の聖地巡礼の場所を伺うことが多くなってきた。
というわけで、小田急電鉄のサイトでロマンスカーの指定券を予約する。


来宮神社についての知識はゼロだ。
ネットで調べると、熱海駅から徒歩で行けるところにある。
祭神は、日本武尊ヤマトタケルノミコト)、五十猛命イソタケルノミコト)、大己貴命(オオナモチノミコト)の三柱。
なお、大己貴命大国主命と別名とされている。
五十猛命大己貴命は、ともに素盞鳴尊(スサノオノミコト)の御子とされる。
御由緒によると、来宮神社は今から1300年ほど前に創建されたという。
また、奈良・平安期の征夷大将軍である坂上田村麻呂公は、蝦夷アイヌ)との戦の勝利を祈願し、熱海来宮神社の御分霊を東北地方を始め、各地を統制して行ったといわれる。


私の先生の霊視によれば、かつて日本では、出雲族天孫族が渡来する前は全国に「アイヌ」(=蝦夷=縄文人の末裔)が住んでいて、その後に大陸から渡って来た人々との間の戦いに破れ、次第に北の方へ追いやられていったのだという。
もっとも、先生は「アイヌ」と呼ばれているが、アイヌ民族というのは北方民族の血や文化が入り込んでいるので、完全には「蝦夷アイヌ」とはいえないだろう。
だが便宜上「アイヌ」という呼び方をすることにする。
そういう背景があるので、今回の聖地巡礼は、和人とアイヌとの民族同士のカルマを解消するためのお祈りが目的化もしれないと思い、伺ってみると、そうだという。


このあたりはみなさんが学校で習った歴史と異なるので、にわかには受け入れ難いだろう。
だが、アイヌ語の地名は北海道や東北だけでなく、日本全国に残っている可能性があるのだ。
たとえば、九州の「阿蘇」という地名。
これは、アイヌ語の「ASORO」という単語があり、「爆裂火口の底、湖水あと」という意味だという。
同様に、阿蘇部の森(青森県岩木山)、阿蘇が岳(青森県古代湖)、阿蘇沼(岩手県)、阿蘇郡山形県)などの類似の地名がある。
ちなみに、阿蘇山の山頂にはかつて河口湖があったという伝承が残っている。


翌日、8:40新宿発のロマンスカーで、小田原へ向かう。
途中、雨が降っていたが、小田原に到着する頃にはやんでいた。
10:00頃に到着し、JR東海道線に乗り換えて熱海駅へ。
さすがに熱海は、うんざりするほど人が多い。
熱海駅から歩き始めるが、道がわかりにくい。

来宮神社(きのみやじんじゃ)

山道を登り、ダウジングで伺いながら、やっとのことで来宮神社の門前に到着。
実際に歩いていたのは20分ぐらいだったか。
境内は木々がうっそうと茂り、幽玄の境地に誘う。
この神社には樹齢2千年の大楠(おおくすのき)があり、天然記念物に指定されている。
来宮神社は江戸末期まで『木宮明神』と呼ばれたというが、昔は神社創建前から御神木が信仰の対象だったのかもしれない。
この大楠には伝承がある。
今から120年前の嘉永年間に、熱海村に大網事件という全村挙げての漁業権をめぐる事件が勃発した。
その訴訟費等を捻出するために、来宮神社の境内に立っていた七本の楠のうち五本が伐られてしまった。
そして、残りの2本も伐ろうとして、樵夫が大鋸を幹に当てようとしたところ、突然白髪の老人が現れ、両手を広げてさえぎり、大鋸は手元から真っ二つに折れてしまった。
村人たちは2本の大楠を伐ることを中止した。
いかにもありそうな話だ。
たんなる伝説ではないのだろう。
2番目の樹齢の大楠は、拝殿へ向かう参道の脇に立っている。



拝殿の前で、いつものように自己紹介と宇宙の平和祈願。
そして、アイヌ(縄文人の末裔)の民族同士のカルマが解け、顕界と霊界でともに平和に暮らせますようにと祈る。
次に、拝殿の裏手にある樹齢2000年の大楠の前でもお祈り。
さすがに幹が太い。
枯れているようにも見えるが、上の方を見ると、小枝が伸びていて、新緑が豊かについている。
この木がキリスト生誕の頃から人類を見守ってきたのだと思うと、感慨深いものがある。



拝殿の屋根の銅版が傷んでおり、ご寄進を求めている。
社務所で、1枚分3000円をご寄進する。
そして、おみくじを引く。

神の教
人の力はかよわい物よ、
常に頼めよ神さまに

そして、難儀が起きてからにわかに神に祈っても駄目だと続く。
なるほど、大切なことだ。
裏を見ると、25番の「末吉」だった。
ちなみに、さいきんのおみくじの傾向として、寺社によっては大凶とか凶を入れないところがあり、その場合には末吉が最低になる。
まあ最高・最低は重要なことではない。
文面の御神言が大切なのだ。
とは言うものの、心の片隅に「大吉」があったのかもしれない。反省。


時計を見ると、12:00をすぎている。
今日はこの一社だけで終わりということで、断食終了。
境内の茶店でうどんを注文する。
店内には、タレントなどの有名人の写真や色紙が並ぶ。
村山前首相も私的に訪れたようだ。
地図を取り出し、次に行くべき聖地はありますかと伺う。
すると、熱海の伊豆山神社へ行くようにとの指示。
もううどんを頼んでしまったが…。
出てきたうどんは、讃岐うどんのように腰があって、なかなか美味しい。


境内を出て、伊豆山へ向かうことにする。
来宮神社熱海駅の西側にあるが、伊豆山神社は東側なので、かなり歩かなければならない。
そこへタイミングよく熱海駅行きバスが来たので、慌てて乗り込む。

伊豆山神社(いずさんじんじゃ)

終点の熱海駅でバスを降りる。
そして、駅の東の方へ歩き始める。
伊豆山神社についても、ほとんど知識がない。
以下は、帰ってきてから調べたもの。
祭神は、火牟須比命(ホノムスヒビノミコト)、伊邪那岐命イザナギノミコト)。伊邪那美命イザナミノミコト)。
縁起によれば、836年(承和三年)、甲斐国の修験者が、走湯権現の夢告により、本地仏である千手観音を祀ったのが神社の創始とされる。
鎌倉時代、源頼朝が伊豆に流されたとき、一時身をひそめたところが伊豆山で、恋人政子との逢瀬の場でもあった。
頼朝公は伊豆山権現に詣でて戦勝を祝し、その後に関東の総鎮守として、戦勝祈願の杜として輶盛を極めたという。
ちなみに、伊豆の地名は、この神社の名称に由来するという。
2003年の『週刊神社紀行』(学研)にも、三嶋大社箱根神社とともに伊豆山神社が掲載されていたので、伊豆・箱根の古社ということだろう。


10分ほど歩いて、伊豆山神社の参道入り口に着く。
そこから、急な石段をずっと登っていく。
「え、いったいどこまで続くの?この階段」
うどんを食べたばかりで、汗が体からほとばしる。
やっとの思いで、神社の境内にたどり着く。
あとで地図を見てみると、水平距離にして延々300メートルも、急な石段を登ったことになる。
神社の参道を登るというよりも、ほとんど登山に近い。
食事をしておいて良かった。
断食状態でこんな石段を登っていたら、どうなっていたか。



ここも、神気あふれる聖地だ。
拝殿で、来宮神社のときと同様にお祈りする。
瞑目して祈っていると、かなり深いところへ達するような境地になる。
ここはかつては修験の霊場として名高いところだったのだ。
境内には、修験道の開祖とされる役行者を祀った祠もある。


拝殿の上の龍神の彫刻が素晴らしい。
携帯で写真を撮ったところ、虹のようなものが写っていた。
もっとも、たんなるハレーションかもしれないが。



拝殿の右手奥には熱海市立『伊豆山郷土資料館』があり、伊豆山神社の宝物などが展示されている。
拝殿の脇には、昭和天皇が皇太子だった頃に植樹された木も立っている。
すべての摂社でもお祈りした後で、社務所でおみくじを引く。

ねてもさめても、
さめてもねても、
神の御かげは忘られぬ。

食べる、寝る、起きる、すべては神さまのおかげである。
感謝の念で、与えられた仕事をやり遂げましょう、と。

裏を見ると、31番の『大吉』。
本当に「有り難い(滅多に無い)」ことだ。
今日のメインの目的地は来宮神社で、ついでにお参りしてしまって申し訳なかったが、それでも大吉をいただいた。
ただ、ただ、感謝。


【参考サイト】


Copyright (C) 2004-2020 Naoya Momose - 百瀬直也. All Rights Reserved. Email