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祈りと救い(3)


※これは連載なので、できたら第1回分から読んでくださいね。

祈りの種類

この連載の冒頭で、私が師と仰ぐ本山博先生の著作『祈りと救い』を参考にしつつ自分の意見を取り入れていくと書きましたが、実は今、その本が手元にないことが判明しました。^^;
まあ、でも何度も繰り返して読んできた本なので、だいたいの概要は把握しています。
この本では、祈りの種類を以下のように分類しています。

  • (1)自己保全の祈り
  • (2)利他的祈り
  • (3)霊界で自由と知恵、幸福が得られなくて苦しんでいる霊を救うための祈り
  • (4)国、地球の浄化と進化を求める祈り


それそれの祈りについて説明していきましょう。
(1)自己保全の祈り
これは、何らかの自分の利益を得るために祈ることです。
たとえば、「株で100万円儲かりますように」というような、現世的・物質的な利益を求める祈りです。
あるいは、「自分と家族が幸せになりますように」というような祈りです。


(2)利他的祈り
これは、自分の利益を超えたことについて、神仏に祈ることです。
たとえば、「友達が幸せになりますように」とか、「○○さんが苦しみから救われますように」というような、他人やその家族・先祖の利益を目的とした祈りです。


(3)霊界で自由と知恵、幸福が得られなくて苦しんでいる霊を救うための祈り
これは、現世的な事項ではなくて、霊界である存在が救われるようにと祈る祈りです。
たとえば、「自分のご先祖さま方が成仏し霊的に成長しますように」というようものです。
あるいは、ある土地のカルマを浄めるための祈りとか、霊界での部族間の争いを浄化するための祈りもあります。
ちょうど私も先日、九州を聖地巡礼して、さまざまな神社や聖地を廻り、かつて和人(天孫族)と先住民族(縄文人=アイヌ出雲族熊襲族、隼人族など)との戦いによる民族同士のカルマが浄化されるようにと祈ってきました。


(4)国、地球の浄化と進化を求める祈り
これは、ある国や地球全体のために祈る祈りです。
たとえば「日本全体が平和になりますように」とか、「地球全体が戦争がなくなり平和な惑星になりますように」といった祈りです。
本山先生はよく、「世界平和のような小さな祈りではなくて、宇宙全体に調和がもたらされて平和になりますようにと祈りなさい」と言われます。


このように、祈りというものには、自己保全の祈りのような低次元なものから、宇宙全体の調和を祈る祈りまで、いくつかの段階があります。
人類の歴史の中で、人類の祖先によって初めて宗教的な行為がなされた頃は、もちろん自分の利益を求める祈りから始まったでしょう。
それが少しずつ進化していき、他人のために祈れるようになり、また一神教のような宗教ができ、最終的に宇宙全体の調和までも祈るようになってきたのでしょう。
人間にはそれぞれ霊的成長の度合いというものがあり、それぞれが自分の成長の段階に合った方法で祈りをすれば良いと思います。


人は誰でも、最初はやはり自分の利益につながる祈りが叶うことによって、だんだんと神仏の方へ目を向けることができるようになるのだと思います。
たとえば自己利益ばかりを神仏に求める人がいたとして、その人を次元が低いというのは簡単ですが、それぞれの成長の段階というものがあるのです。
いきなり背伸びをしないで、少しずつ全体のことを考えられるような人間になっていけば良いのではないでしょうか。


ここで、私の個人的なことを少し書きます。
私の場合、宇宙創造主を祀る神社を信仰しているため、毎日のお祈りとして、宇宙全体の調和を祈るようにと教わっています。
そして、そのようなお祈りを続けていれば、個人の願い事など祈らなくても、自分のことは自然にうまくいくようになるのだ、と。
ただし、個人の祈りをするなというのではなく、やはり神社に祈願を頼む人もいますし、重大な問題を抱えている人々は、それを解決してほしいと祈ります。
私自身は、信仰する神を含めた神仏に対して、個人の願い事をすることはほとんどありません。
でも、たとえば病気になったりして、耐えられないような体の痛みを経験した場合は、思わず神さまに祈りますね。
やはり個人の願い事も時には必要になってきます。
というか、神仏に甘えたいときには、子が親に甘えるように甘えれば良いのだと思います。

「宗教」は必要か

「祈りと救い」というテーマで書き始めて、宗教ということについて考えないと方手落ちでしょう。
現代の社会を見ていると、宗教というものが、調和よりもむしろ不調和をもたらしていることが多いのではないかと思えてきます。
世界の歴史を振り返ってみると、異なる宗教同士の対立が戦争に発展することも多々ありました。
日本人の中には、宗教と聞いただけでアレルギー反応を起こすような人が多いみたいですね。
特に日本では「変な宗教」が多いから、それは無理もないことかもしれません。
特に新興宗教といわれる団体の中に多いですが、他人に入信を無理強いしようとしたり、いたずらに教団や施設を拡大しようとしたり、また教祖が信者の女性たちと良からぬ関係になったり…。


では、なぜそんな「変な宗教」が日本に多いのでしょうか。
それはやはり、需要と供給のバランスというか、そういうものを求める人が多いから、ということがあるでしょうね。
それと、これは宗教団体だけに限らないけれど、団体というものがいったん形成されると、それは「物の原理」にとらわれるということが免れません。
「物の原理」とは、自己凝集・自己拡大の原理です。
また、日本人は宗教に現世利益を求める気持が強すぎるということにも原因があるでしょう。


まあ、それはそういう国民性だということで、簡単には改善されないものでしょうが。
そういうことによって得た「ご利益」をキッカケとして、より高い次元があるのだということに目覚めていけば良いのではないでしょうか。
そういう人たちの中には、ある宗教団体に入って救いを求めるのではなく、たとえば霊能者とかシャーマンみたいな人に頼っていく人たちも多いようです。
「宗教は必要か」ということについて考えてみると、これからの世界では、たとえ特定の神仏への「信仰」があっても、特定の宗教教団に所属しないという形態が増えてきつつあるのではないかと思います。
私なりの結論を書くとすると、「人間にとって『宗教』は必ずしも必要ないけれど、『信仰』はその人が必要と感じるならばもてば良いだろう」ということです。
(ここでいう「信仰」とは「神仏とのつながり」とでも解釈してください)。
【続く】


【参考サイト】
・『祈りと救い』(本山博著、宗教心理出版)
 http://www.shukyoshinri.com/inori.html


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