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祈りと救い(5)


※これは連載なので、できたら第1回分から読んでくださいね。

祈りを深める

この連載にコメントがつかなくなってきたみたいで、最初は読んでくれていた人たちにも、そろそろ飽きられてきたかな。^^;
というわけで、今回で最終回にしますから、我慢して読んでくださいね。


今日はまず、祈りの力を深めるにはどうしたらいいかについて。
祈りの力ということについては、祈ることにあんまり慣れていない人とカミンチュー(神人)のような人たちとは明らかに違いますね。
その違いというのは、やはり霊力とか精神力から来るものでしょう。
そういう能力は過去生から何度も生まれ変わってきて修行して培ってきたものなので、一朝一夕に身につくものではないですね。
お祈りをするには、ただ漫然と祈るよりは、たとえば祝詞とか経典とかを唱えると良いですね。
そういうことを通じて、神仏とつながりができるということもあるし、無心になるための良い手段でしょう。
以前に、お祈りをするにはなるべく長く祈った方が良いと書きましたが、祈ることに慣れていない人が長くお祈りをしても、ただ雑念が湧いてきて集中できないだけだったりするでしょう。
そういう意味では、常日頃から瞑想のような修行をするのも、祈りの力を深めるには良いことですね。

日々の祈り

特定の信仰をもっている人などは、毎日特定の神仏に対して、経典や祝詞を唱えたりしていることでしょう。
祈りには、もちろん霊的存在の供養のための祈りもありますね。
みなさんの家に仏壇があれば、お盆やお彼岸にご先祖さま方を供養するために、たとえば般若心経などを唱えたりすれば、ご先祖さまは喜ばれることでしょう。
ただ、あるカミンチューによると、仏壇は感謝するためのもので、願い事をするものではないということです。
これは、ぼくもその通りだと思います。
ただし、仏壇に祀られた仏様に願い事をするということならば、その限りではありませんが。


うちには、仏壇と神棚と、それから台所にヒヌカン(沖縄の火の神)を祀っています。
朝起きると、神棚とヒヌカンに宇宙全体の平和と感謝の祈りを捧げます。
火の神といえば、沖縄ではカミンチューが「ヒヌカンにお通しする」などと言いますが、これは、火の神さまを通じて他の神々に祈りを通してもらうということなんですね。
琉球の信仰では、ヒヌカンは他の神々との仲介役みたいな存在だとされているんです。
だから、どんな願い事でもヒヌカンを通して祈ります。
じつは、面白いことに、アイヌでも火の神は同じような役割をもっているんですね。
アイヌ語ではアペフチカムイといって、やっぱり火の神さまは他のカムイ(神)へ願い事を仲介してくれる存在だと信じられているんです。
日本の北と南の果てに同じような信仰形態があるというのは、面白いですね。
このことは、かつて縄文時代から火の神信仰があって、縄文人の子孫としての名残が琉球アイヌの風習に残っているということかもしれません。

ともに祈る

日本では、たとえば霊能者やシャーマンが集まって、ひとつの目的で祈るということは、あんまり聞きませんね。
でも、琉球ではカミンチューたちが、神事としてそういう祈りをします。
「ともに祈る」ことによって、祈りの力が強まるということを、よく知っているのでしょうね。
たとえば、ぼくが信仰する神社でも、世界平和などの目的で、信徒たちが神社に集まってお祈りをします。
ぼくがMIXIでつくっている「ともに祈る」というコミュニティーでも、たとえば9・11同時多発テロの犠牲者の慰霊のためとか、長崎原爆の日に慰霊のお祈りをしたりという風に、同じ日・同じ時間に祈ることを呼びかけます。
ぼくが主宰する「琉球の霊性探求ネットワーク」『ヒヌカン☆クラブ』も、当初はそのような目的で結成しました。
巫女というかシャーマンのような人々が集まれば、一人が何人分もの力を発揮できるかもしれず、そういう人たちが同時に祈れば、祈りの力はさらに強まるでしょう。
これからは、ヒヌカン☆クラブでも当初の目的を果たすようにしたいと思っています。
ともに祈ることの大切さを再確認して、この連載を終わることにします。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
【おわり】


※いちおうこれで終わりますが、もっとこういうことを書いて欲しかったとか、質問などがあれば、喜んで書きますので、コメントかメールで知らせてくださいね。


※また、最後に再度確認として。
この連載は、特定の宗教信仰を勧めるものではないと冒頭に書きました。
何度か、自分が信徒になっている神社について書きましたが、それはあくまでも例として書いたまでで、ぼくは自分の信仰を人に薦めたことは一度もありません。
また、宣伝をしたりしたくないので、いままでネット上でその神社の固有名詞を出したことは一度もありません。
前に書いたように、ぼくが「信仰」と言っているのは特定の神仏へのつながりという意味であって、必ずしも特定の宗教団体に所属していることを意味しません。
人はだれも、自分に縁がある神仏、自分に合った信仰を各自が見つければ良いのだと思っています。
信仰とは、人に無理に薦められたりして始めるものではないでしょう。


【参考文献】
・『祈りと救い』(本山博著、宗教心理出版)
 http://www.shukyoshinri.com/inori.html

祈りと救い

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