探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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気がつけば聖地巡礼10周年


今やっているような聖地巡礼を、いつ始めたのかということについて。
若い頃からときどき神社仏閣へ行っては、自分の願い事など祈らずに、ただ世界全体の平和を祈っていたように思う。
もしかしたらその頃、宇宙創造神とチャンネルがつながってしまったのかもしれない。


ただ、そういうことを意識的にやるようになったのは、インドネシア・ジャワ島に滞在中の1995年の頃だろう。
マディユン(Madiun)という東ジャワの田舎町で、ソフトウエア開発に携っていた。
毎週土日は休みだったので、泊りがけで旅に出たりもしていた。
中部ジャワのプランバナン寺院群やボロブドゥルのような世界遺産が、バスで数時間のところにあった。
その年の、50周年の独立記念日だった8月17日には、プランバナン寺院でインドネシアの平和を祈った。
「どこからの独立か?」といえば、もちろん日本からの、だ。
1994年9月27日にインドネシアへ旅立って以来、1995年10月まで、いろんな聖地を訪れることができた。


早いもので、あれから10年たった。
あのときに、あることをきかっけに、自分はこれから「神さまの操り人形」になろうと決めたのだ。
神さまに全託して、何が起きようとも神さまにすべてを任せることにしたのだ。
神の道具として生きようと。
そして、実際にこれほどまでに神々に「使われる」ようになるとは、思ってもいなかった。


あの頃が、なつかしい。
良いことも、悪いことも、たくさんあった。
あの頃に戻りたいとは思わないが、ただ懐かしい。




【東ジャワ・マディユン(Madiun)のパサール(市場)にて】


帰国後も、イスラエルやフランスやチェコなどの外国を巡礼したこともあったが、聖地巡礼がメインの目的ではなかった。
では、聖地巡礼のために各地を廻るようになったのがいつ頃だったかを調べてみると、2002年に京都と丹後を旅したのがきっかけとなったようだ。
あの時が、マップダウジングの手法で行くべきところを決めた最初だったように思う。


それ以来、日本各地の聖地を巡礼してきた。
その土地土地に住む人々の幸せを祈り、地域の発展を祈った。
あるところでは、地震災害による被害が出ないようにと、
あるところでは、征服者と先住民との戦いのカルマ解消のためにと、
指示されるがままに、無心に祈り続けた。


「こんどはどこの聖地へ行くべきですか?」と守護霊に伺うようになったのは、もっと最近で、去年の秋に沖縄を巡礼した頃だったろうか。
毎週末のように聖地巡礼に行かされるようになったのは、この夏以来のことだ。
今年の前半はとにかく仕事で忙しくて、毎晩終電間際の帰宅が続いて、週末もろくに休めない日々が続いていた。

家族が大事

私の人生は、ずっとこの調子で続くのだろうか。
そうだとしても、それが本望だ。
家族と共に過ごす時間がちょっと少なくなってしまうが、家内はいつも多くを語らず「聖地巡礼お疲れさま」と言っている。
家族の理解と協力があってこその聖地巡礼だから、感謝しなければならない。
あの「沖縄の一男性」S師も、家庭がいちばん大事と言っている。
同じように沖縄各地を絵本を配って歩き、全国・世界を聖地巡礼して廻ったS師の生き様は、私にとってはまさにお手本だ。
「子は親を見て育つ」というが、うちの息子も大きくなったら、私と同じようなことを始めるかもしれない。


北海道の実家に帰省している家内は心臓の調子がおかしいと言っていて、今日大きな病院で検査を受けたはず。
その結果がちょっと心配だ。
本来ならば明日帰ってくる予定だったが、延びるだろう。
日曜日に行くはずだった茨城巡礼は、明日になるだろうか。
ダウジングで聞いてみることにしよう。


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