探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ(はてな旧サイト)




千葉聖地巡礼−玉依姫・猿田彦


今日は急遽、千葉へ聖地巡礼することになった。
良い神社に出逢うことができた。

巡礼の指示

2005/10/09(日)
高尾山聖地巡礼から帰ってきて、今日は早く寝ようと思っていた夜のことだった。
何気なくOutlookのスケジュールを開けてみると、明日月曜日は体育の日の祝日だということに気付いた。
慌しい日々だったので、すっかり忘れていた。
もしやと思い、ダウジングで伺ってみる。
すると、やはり明日は聖地巡礼するようにとの指示。
目的地は、下記の千葉県の2つの神社だ。

両社とも、房総半島の利根川にほど近いところに鎮座する。
大社は、9月25日に巡礼した諏訪神社がある東庄町の神社。
猿田神社は、東大社の南東7キロほどのところにある。
このあたりはよく行かされるが、また地震災害を防ぐためのお祈りが目的だろうか。
天気予報を見ると、明日は1日中雨のようだ。
0時をすぎて、明日行く神社の情報を集めたり、列車の時刻を調べたりして、けっきょく寝たのは2時近かった。

気が進まぬ旅立ち

2005/10/10(月)
6時頃だったか。目が覚めると、外では土砂降りに近い激しい雨の音。
目覚ましは7時半にセットしているので、再度眠りにつく。
目覚ましが鳴っても、なかなか布団から出る気になれない。
とにかく雨が嫌いなのだ。
この程度で中止することを許してくれるとは思えないが、念のためお伺いしてみることに。
いつものように神棚の前で拍手を打って、「守護神さま、お伺いしたいことがありますので、お願いします」
愛用のペンデュラムで「今日は聖地巡礼に行くべきでしょうか?」と聞くと、ペンデュラムは右回りに振れる。
「イエス」のサインだ。


8時頃に家を出てみると、雨はそれほど強くなく、小降りになっている。
東京駅へ行き、9:10発の総武線快速エアポート成田に乗り込む。
10:30に成田駅着。
SUICAでJRに乗ってしまったので、改札口で駅員に聞くと、やはり目的地の下総橘(しもうさたちばな)駅ではSUICAは使えないだろうという返事。
乗り換え時間は9分間。
急いで改札を出て、切符を買う。
これに乗り遅れたら、1時間は待たされるかもしれない。
成田線銚子行きになんとか間に合って、乗れた。


1時間ほどで、下総橘駅に到着。
無人駅ではなく、オバサンが一人いる。
この駅から西へ2キロちょっと歩いたところに、東大社がある。
外に出ると、雨は小雨程度だ。

大社(とうだいしゃ)

畑の中の道を25分ほど歩き、12:10頃に東大社と思われる森の前に着く。
なぜか島居がないが、参道らしき道の奥に社殿が見える。
たどり着いたところは、本殿の裏だった。
正面入口は回りこんだところにあったのだろうが、裏手から入ってしまったのだ。
正面の島居から入りなおす。


「東大社略記」と題した由緒書きを読む。
祭神は、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)。
神武天皇の御母上ということになっている。
相殿には、玉依姫命の夫君である鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を祀る。東大社といっても、べつに東大合格祈願のための神社ではない。
こういう名称の神社は、おそらく他にないだろう。
香取郡東庄町といえば、9月25日に巡礼した諏訪神社がある町だ。


社殿によると、第十二代景行天皇の皇子・日本武尊ヤマトタケルノミコト)は、東国地方を制覇した帰路に伊勢の国で亡くなられた。
景行天皇は追慕の念から東国へ行幸され、東海の鎮護としてこの地に一社を営まれたという。
毎年4月8日に例祭があるが、20年に一度行われる「式年神幸祭」は、東総地方最大級の祭りとして有名らしい。
総勢3000人余りが参加し、槍や鉄砲を持った大名行列が、銚子市外川まで2泊3日かけて犬吠崎がある銚子市外川まで練り歩くという。
地元の人でも、人生に何度も見られるものではない祭りなのだ。


景行天皇が本当に東国に来たかどうかは不明だ。
そうだとしても、なぜ日本武尊ではなくて、遠い先祖の玉依姫命を御祭神としたのかが謎だ。
大社の南東十数キロの犬吠崎には渡海神社があり、ここの御祭神玉依姫の父神である大綿津見命が祀られている。
また、東大社の4〜5キロ東方の小見川町には、玉依姫の姉神である豊玉姫を御祭神とする豊玉姫神社がある。
前述の「式年神幸祭」の折には、豊玉姫神社の神輿も合わせて奉安して、祭典が行われる。
そして、最後に一泊するのが、上記の渡海神社だという。
この父娘の神々の顔ぶれを見てみると、東大社景行天皇日本武尊よりもむしろ海神族に縁が深い神社なのではないかと思えてくる。
ある神社では、大綿津見命八大竜王として祀られているという。
やはり龍宮に棲む龍族なのだろうか。


由緒書きには、10月19日から20日に秋の祭典が行われるとある。
あと10日かそこらではないか。
どうも私が聖地巡礼する神社では、大きなお祭の直前に行かされることが多いようだ。
偶然かもしれないとも思っていたが、こう何度も続くと、何か意味があるのかもしれないと思えてくる。
秋のお祭りが成功裏に終わりますようにとも祈ることにする。
私の「聖地巡礼」には、そういう目的もあるのだろうか。



立派な神社だ。
境内は広く、神楽殿や神輿を納めた建物などがある。
現在の社殿は180年ほど前に建てられたものだという。
霧雨が降り続く中、傘を置いて、お祈りを始める。
拍手を打ったときに、ハッと気付く。
今日の聖地巡礼の目的を、まだ確認していなかった。
仕方なく、まず宇宙の平和と地域住民の幸せを祈る。
そしてまた拍手を打って、ひとまず締める。
胸ポケットから水晶ペンデュラムを取り出し、守護霊を呼び出す。
祈りの目的を聞いたところ、下記の二つでペンデュラムが右回りに振れた。

  • 和人と蝦夷(えみし)の民族のカルマ解消
  • 地震災害を防ぐ


再度、お祈りをする。
そして、秋のお祭りが成功しますようにとも。
お祈りが終わって振り返ると、いつしか雨がやんで、空が明るくなっている。
年配のご夫婦が車でお参りに来た。
その後、オバサンが一人で来て「こんにちは」と挨拶。
境内はよく掃除されていて、気持ちよい。
伝統的な祭りが続いていることによってもわかるが、地域の人々に愛され親しまれているようだ。
写真を撮ったあとで、名残惜しいが、このへんで引き上げることに。

雨の「恩恵」

島居をくぐって、最後に島居の前で写真を撮ろうとしていたときだった。
風が吹き、上空の黒い雲が動き出し、パラパラと雨が降ってきた。
島居を出て30秒もしないうちのことだった。
感動で胸が一杯になる。
島居の外でもう一度拍手を打って、感謝の祈り。


歩き出すと、風が強くなってきた。
だが、しばらくして雨はやんだ。
さきほどの雨は、私に気付かせようとしたものだったのか。
お祈りが終わった時には、雨はやんでいた。
風は止まっていた。
自分が縁があると思う神様が祀られた神社で、こういうことが起きやすい。
和人と蝦夷の和合の祈りが受け取られたということなのだろうか。
「征服者」である天皇家の神々が祀られた神社でこのようなお祈りをしたら、怒られても不思議ではない。
それなのに、このような「恩恵」を受けるということは…。
やっぱり「龍族」なのだろうか。

猿田神社

下総橘駅へ戻り、銚子行きの列車に乗り、30分ほどで総武本線の猿田(さるだ)駅に着く。
ちょっと調べてみたが、猿田彦大神の神名を冠した鉄道の駅は、全国でここだけのようだ。
無人駅の改札を出て駅前の道に出ると、「猿田神社 300m先を右へ」の看板がある。
このような小さな駅で、こういう親切な表示をしているところは珍しい。
ここでお参りした後で、どこかでパンでも買って食べようと、パンを売っている店を探しながら歩く。
パンを置いている店を見つけ、それに気を取られているうちに、神社の入口を通り越してしまった。
店の向かいに大きな島居が立っていたのに。
どこまで歩いても右へ曲がる道がないので、おかしいと思って引き返す。
時間を3分ほどロスしてしまった。
島居をくぐって住宅街を少し歩いたところに内側の島居があり、その奥には石段が続く。

猿田神社は、小高い丘の上にあるようだ。
階段を上りきったところに、立派な境内が広がる。
丘の上なので境内がそれほど広いわけでもないが、とても立派な社殿だ。
昨日の夜ネットで調べたところ、毎日午前8時から午後3時まで一日十五回の御祈祷が斎行されるとあったので、それなりに大きな神社なのだろうとは思っていたが。



猿田彦大神を御祭神とする神社は全国各地にあるだろうが、「猿田神社」という名の神社は、少ないようだ。
Googleで「猿田神社」で検索すると、銚子市のこの神社ばかりが出てくる。
それだけ有名な神社だということだろうか。


猿田神社の御祭神は、猿田彦大神サルタヒコノオオカミ)・天鈿女命(アメノウズメノミコト)・菊理媛命(ククリヒメノミコト)の三柱。
出雲族系の神社のようだ。
猿田彦大神は、国津神
つまり、天孫族ではなく先住民たちの神だった。
邇邇芸命ニニギノミコト)が天孫降臨した際に、邇邇芸命の一行を高千穂へ案内したのが猿田彦大神で、その故郷は伊勢だとされる。
天鈿女命は、猿田彦大神の妻神だ。
60年に一度、式年大祭神幸祭(じんこうさい)があり、前回は昭和55年に行われたという。
残念ながら、当分見られそうにない。
なぜ、ここでも神幸祭なのか。
創建は第十一代垂仁天皇時代(約1950年前)の時といわれる。
江戸時代には源頼朝や足利氏など武家によって厚く崇敬されたようだ。


手水舎で手と口をすすぎ、傘をたたんで拝殿の前でお祈りを始める。
ちょうどそのとき、太鼓の音がドンドンと鳴り響く。
時計を見ると、3時数分前。
今日最後になる15時の御祈祷が始まったようだ。
さっき道に迷ったのが幸いしたか。
祝詞が朗々と流れる中、祈りをする。
猿田彦大神様は、現在住んでいる花小金井の武蔵野神社が産土神にあたり、そこの御祭神になっている(諏訪神社も合祀されている)。
「いつもお守りいただきありがとうございます」
いつも長い時間お祈りするので、中央に立たずに端に立って祈る。
雨の中だが、お参りする人がけっこういるようだ。


お祈りが終わり、振り返ると、雨がやんでいる。
手水舎の奥に「御神水」と書かれた水場がある。
湧き水をボトルなどで自由に持ち帰っても良いようだ。
蛇口から出るようになっている。
一口飲んでみると、甘くておいしい。
断食中だから、よけいにそう感じるのだろうか。
その更に奥には、お稲荷さんの祠が並んでいる。
なぜかキツネや大黒さまなどの神像や招き猫などが置かれている。
3時をすぎて、巫女さんたちが掃除を始めた。
そろそろ時間なので、引き上げることにする。



階段を降りて、島居を出て、向かいの店でパンを買う。
店の外に出ると、また霧雨が降り出したようだ。
大社のときと同じパターンだ。
島居をくぐってお祈りを始めるまでは傘を差していたが、その後は境内を出るまで必要なくなった。
島居の前で合掌して「ありがとうございます」


今日は由緒ある2つの神社を、気持ちよく聖地巡礼ができた。
両社とも、地域の住民に親しまれ、よく拝まれていることがわかる。
総武線を千葉から東京へと戻る。
列車の外では、だんだんと雨が強くなってきた。
新宿に着いて外に出ると、小雨が降っていた。
今日は、雨については心配することはまったくなかった。
いつものように、雨を止めていただくという恩恵を受けたし。
だが、これが「当たり前のこと」と思ってはいけない。
いつも感謝の気持を忘れないようにしないと。


8月の九州聖地巡礼でも感じたことだが、私は豊玉姫玉依姫の姉妹女神ともご縁がありそうだ。
それを悟るには、もうちょっと時間が必要かもしれないが。


【参考サイト】


Copyright (C) 2004-2020 Naoya Momose - 百瀬直也. All Rights Reserved. Email