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十部族は日出る処へと向かった〜アイデルバーグ氏死去


今日は故人の話題ばかりですが…。
『古代出雲イスラエル王国の謎』(小石豊著)という本の中で、ヨセフ・アイデルバーグ氏が交通事故で亡くなられていたことを知りました。


といっても、ヨセフ・アイデルバーグ氏の名前を知っている人は少ないでしょうね。
ぼくの古代イスラエル関係のノンフィクション作品やブログ記事を読んだことがあればご存知でしょうが。
古代の日本にイスラエルの『失われた十部族』が渡来した可能性について、長年研究されていたユダヤ人でした。
『大和民族はユダヤ人だった』(ヨセフ・アイデルバーグ著)という本は、このテーマについて探求する人間にとっては貴重な存在でしょう。

大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族 (たまの新書)

大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族 (たまの新書)


アイデルバーグ氏の業績

もちろん、この書名からして受け入れがたいものがあって、大和民族すべてがユダヤ人だったらトンデモです。
この点については、私は著書の考えと異なります。
あくまでも、十部族の末裔の一部が渡来して日本人と同化していった可能性を検討しているわけです。
この人の最大の業績は、記紀神話に記された天皇家の先祖の足跡が、旧約聖書に書かれた古代ヘブライ王の足跡と酷似していることを検証したことでしょう。
これは、けっして「偶然の一致」と言えるものではないです。
記紀を編纂した人々の中に、旧約聖書の記述を取り込んだ人間がいたとしか説明がむずかいのではないか。
それは恐らく、秦氏、そして多氏系氏族、そして藤原氏ではないかと思っていますが。
というか、記紀の成立以前に、そういうことが皇室の歴史として語られていたのかもしれませんが。
後者の方がもっと大変なことでしょう。
もしも天皇家自身がこのような伝承を日本に持ち込んだとしたならば。


アイデルバーグ氏はまた、日本語とヘブライ語の共通する単語を指摘したりしていますが、これについては、あまり鵜呑みにできない部分もあります。
やはり日本語の知識が不十分であり、また比較対照が現代日本語であることも問題でしょう。
しかしながら、他にもいろいろとユダヤ人にしかわからないような示唆に富んだ指摘も見られ、とても参考になります。
失われた十部族について調査のために来日して、神社の神職の見習いとして働いた経験もある人で、さすがに日本のことについて詳しいです。
この本はとっくに絶版になっているだろうと思っていたら、まだ購入できるようなので、興味がある方は早めに買うと良いでしょう。
この手の本は、目に付いたときに買っておかないと、あとで絶版になったら入手困難で泣きを見ますから。

日出るところの聖なる国〜日本

下記のページに、アイデルバーグ氏の対談が載っています。
ここにある、アジアの地図を見てください。
イスラエルの失われた十部族がシルクロードを通って東へ進んでいった道のりが描かれています。


日本人こそは“失われたイスラエル10支族だ”と主張するユダヤ言語学者ヨセフ・アイデルバーグ
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb412.html


この地図を見ると、イスラエルから東へ東へと進んでいますね。
なぜだかわかりますか?
古代ヘブライの民にとって(現代ユダヤ人にとっても同様ですが)、東の「日出るところ」は神聖な方角であって、ユダヤ教徒はいまでも東に向かって礼拝します。
その東の彼方に、放浪の民にとっての安住の地があるはずだという信仰をもって、長年旅を続けたんですね。
そして、十部族の一部には、シルクロードに近い国々に安住の地を見出した者たちもいたようです。
古代の中国には、たとえばこの地図にある西安とか開封には、ユダヤ人の居住地がありました。
現代でも、たしか開封だと思ったけれど、失われた十部族の末裔だと思われている人々が若干いるそうです。


開封にたどりついたイスラエルの民の中で、さらに東を目指した人々は海にぶつかり、そこで東へ進むことをあきらめたでしょうか?
そうではなく、朝鮮半島に北上して、さらに半島の南端まで進んだのではないか。
そうすれば、日本列島はもう目と鼻の先です。
旧約聖書には「日出るところの島々」という表現が出てきます。
蛇足ですが、聖徳太子が中国に送った書に見える「日出(ひいづ) る処(ところ)の天子」という部分は、聖書の記述を意識した表現ではないか。
聖徳太子の出生伝説に見えるように、高貴な人物が馬小屋で生まれるなんて変ですね。
これもキリストの伝承に影響されたものだという説があります。
聖徳太子のブレーンに秦河勝がいましたが、秦氏といえば、失われた十部族の末裔だという説が出ています。
そして聖徳太子自身も渡来の民だった可能性が高いと思います。


元に戻ると、そういう理想の地をさらに目指して進んだ人々がいたと考える方が、自然ではないでしょうか。
ちなみに、古代イスラエルの聖地エルサレムからずっと東へ辿ると、九州の日向あたりにたどり着きます。
ここが天孫降臨の地だということは偶然でしょうか?


こういうことを書き出すと止まらなくなるので、今日はこのへんにしておきます。
アイデルバーグ氏の貴重な研究を思うと、その死は本当に残念なことです。
氏の研究成果は、人類にとって重要なものだと認められる日がいつか来るのではないかと思っています。


【参考サイト】


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