今週末は久々に2日間休めるので、昨日の江島神社に続き、聖地巡礼すべきかどうか、ダウジングで伺ってみた。
10月23日(日)に天妃神社で掃除をしたが、時間切れで残ってしまった部分があった。
大洗天妃神社と弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト→弟橘比売、天音立花姫などとも表記)については、下記の記事で書いているので、ここでは省略する。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20051024/tenpi
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20051101/dragon
ここ1〜2週間前から、なんとなく呼ばれているような気がして、心がザワザワして落ち着かなかった。
もっとも、ここ数日はその落ち着かなさが弱まっていたのだが。
明日は天妃神社へ行くべきでしょうかと伺ったところ、行くようにとの指示。
そこで、一人で行くことにした。
前回の教訓から、今回は他の聖地へは寄らず、掃除に専念することに。
天妃神社は意外にも…
2005/11/20(日)
9:30上野発のフレッシュひたち号で水戸へ行き、大洗鹿島線で大洗駅へ。
11:08に大洗駅に着くと、駅前には11:12発の循環バス「海遊号」が待っていた。
11:30頃に天妃神社に到着する。
島居をくぐって石段を上ると、何かが変わっていることに気付く。
石段の上に、落ち葉がほとんどない。
「もしかして…」
石段を上りきって境内を見ると、やっぱり…。
境内にも、落ち葉がほとんど落ちていない。
誰かが来て掃除してくれたようだ。
恐らく、一人ではないだろう。
私のブログの記事を読んだ人が掃除に来てくれたとは考えにくい。
前回掃除をしてから1ヶ月弱の間に、何かお祭りがあったのだろうか。
それで、氏子の方々が事前に掃除をしたのかもしれない。
昨日掃いたばかりであるかのように、綺麗になっている。
自分がやることは、ほとんど残されていないような感じだ。
もちろん、それは歓迎すべきことなのだが。
祈り
「さて、俺は何をしたらいいんだろう…」
しばし立ち尽くして途方に暮れる。
だが、せっかく来たからには、ちょっとでも掃除をして帰ろう。
まず、お祈りすることに。
お祈りの内容は、以下のとおり。
最後の子供たちのためのお祈りは、私が主宰するMIXIのコミュニティー『ともに祈る☆』で、ある人が呼びかけているものだ。
東京都町田市で高1の少女が亡くなった事件をきっかけに、全国の少年たちがこのような事件に巻き込まれないように、自分をしっかり持って人間らしく生きることができるよう祈りたいという趣旨だった。
そこで、世界の子供たち、少年少女たちがこのような事件から守られ、平和な世界になるようにと、自分なりに祈ることにした。
そして最後に、弟橘媛さまへお願いする。
もしも弟橘媛さまについて歴史で正しいことが伝わっていない場合、われわれに真実をお示しください。
この点について、以前に何度かダウジングで守護神に伺ったところによると、弟橘媛さまは実際は日本武尊との結婚を望まずに、海に身を投げたという。
もちろん、私のダウジング能力の至らなさによって、実際と異なる結果になっているかもしれない。
以前に紹介した小桜姫の霊界通信や、あるチャネラーのような女性の霊視による結果など、それぞれストーリーが異なっている。
どれが真実なのかということを知りたくて、このような祈りをしたというわけだ。
「神遣い」は意外な形で…
今日は雲ひとつない晴天。
拝殿の下から竹箒と庭ぼうきを拝借し、掃除を始める。
落ち葉はあまり落ちていないが、軽く境内全体を掃く。
30分ちょっとかかって、終了。
綺麗になった境内の様子をケータイで写真に収めようと、いちばんうしろまで下がったときのことだった。
参道の石畳の中央に、何か動くものがある。
よく見ると、それは赤トンボだった。
羽をバタバタさせているが、どうも飛ぶことができないようだ。
その羽ばたく方も弱い。
時には胴をくの字に曲げて、苦しんでいるようにも見える。
どうしてあげればいいのだろうか。
しばし呆然として、考える。
とにかくここに居たままでは、誰に踏み潰されるかわからない。
羽のところを持って、トンボを摘み上げる。
さて、どうしようか。
拝殿のところに置いてあげようかとも思ったが、不浄を嫌う神道の神社だ。
このまま死んでしまったならば、神さまに対して失礼だ。
いろいろ考えた挙句、石段の脇の溝のところに置く。
これで、このまま死んでしまっても、雨水に流されて、自然に還ることができるだろう。
トンボの成虫の寿命は数ヶ月。
秋が終わろうとしているこの時期に、命を終えようとしているトンボがいても不思議ではない。
だが、なぜいきなり私の前に出現したのか。
さきほどこの石畳の上を掃いていたので、その時にいたならば、絶対に見つけていたはずだ。
ということは、ごく短い間に、ここに現れたということになる。
女神の最期?
このトンボも、神遣いなのだろうか。
西洋では、トンボは基本的に不吉な虫と思われていたようだ。
トンボを英語ではDragonfly といい、またFlyingadder(空飛ぶヘビ)とも呼ばれる。
西洋で嫌われ者である龍や蛇を連想させるからなのだろうか。
日本では、記紀神話で日本自体を秋津島(あきつしま)と呼んだように、常に親しまれる存在だ。
私がこの天妃神社で経験したように、神遣いとして現れることもあるようだ。
龍神の遣いとして出現することも、あるのかもしれない。
神遣いだとしたら、このような弱ったトンボを私に見せるということには、どういう理由があるのだろうか。
もしかして、弟橘媛さまが海に身を投げられたときの苦しみをわかってもらいたいということなのか…。
ここまで書いて「ハッ」と気付く。
もしかしたら…。
さきほど祈った「真実をお示しください」ということに対する答えが、これなのだろうか…。
この赤とんぼのように、苦しんだ果てに、神去られたということなのか。
つまり、記紀に書かれているように、海に身を投げられたということなのか。
帰宅後の夜に、ダウジングで守護霊に伺ってみた。
すると、あの弱った赤トンボは、やはり弟橘媛さまが海に身を投げられた時の苦しみを表したものだということだった。
以下のことについては、何度聞いても同じ結果になる。
日本武尊というのは、実在した一人の人物ではなく、複数の人間の行動を一人の人間(一柱の神)の行動としてまとめたものだった。
弟橘媛命は日本武尊との政略的な結婚を嫌い、そのために海に身を投げた。
このことを信じる信じないはみなさんの自由であり、もとより私自身からして、この結果については半信半疑だ。
しかし、ヤマトタケルという神が一人の実在した人物ではなく、複数の人々の東征の結果が一人の人間の業績として語られるようになったというのは、多くの歴史学者の同意するところだ。
常陸国風土記等にも、倭武天皇、橘皇后、大橘姫などが登場する。
もともとは山を象徴する武王と、海を表す橘后の神話が関東地方にあったのが、合体された物語ではないかという声もある。
ヤマトタケルというのは、そういう人物(神)だったのだから、弟橘媛が本当にそのような人物(日本武尊)の妃だったかどうかは、疑わしい。
もっとも、それ以前に、そのような女神(女性)の存在自体を疑う向きもあるだろうが。
だが、ヤマトタケルにしてもオトタチバナヒメにしても、「人間は架空の神を祀ったりはしない」というのが私の基本的な考えだ。
海に身を投げて「アセンション」した女神ということで思い出すのは、ラトゥ・キドゥルさまのことだ。
インドネシア、ジャワ島で現代でも恐れ敬われる荒ぶる海の女神。
伝説によると、カディタ王女という女性が故あって海に身を投げ、その後にジャワ海を守る海の女神となったという。
どういうわけか、私はそのような海の存在に縁があるのだ。
ダウジングでは、弟橘媛さまをお祀りするようにとの指示が出ている。
この海の女神については、更に探求を続けたいと思っている。
【終わり】
【参考サイト】