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弟橘媛を祀る橘樹神社〜吾妻神社


2006/01/09に弟橘媛(おとたちばなひめ、弟橘比売命とも綴る)を祀る橘樹神社川崎市)と吾妻神社(神奈川県・二宮)へ聖地巡礼した記録です。

ダウジング

2006/01/07に、弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を祀る走水神社(三浦半島観音崎)へ聖地巡礼した。↓
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20060107/tachibana
その翌日の昨日2006/01/08の夜に、明日はどこかへ聖地巡礼すべきかどうか、守護する存在に伺ってみた。
すると、以下の2社を回るようにとの指示が出た。


いずれも、弟橘媛日本武尊ヤマトタケルノミコト)を御祭神としている。
最近また弟橘媛命さまのことが気になって仕方がないが、MIXIで知り合った周りの人々の何人かも、同様らしい。
また、日本武尊さまについても、気になりだした。
寝る前にAmazonで参考資料を探していて、山岸凉子の『ヤマトタケル』が出てきた。
じつは、かつては山岸凉子さんの大ファンだった(お里が知れてしまう?)
「お凉さま」の作品の大半を読んでいたが、『ヤマトタケル』は、正直言ってあまり興味がなかった。
だが、読む作品がだんだんなくなってきたので、読んだことがある。
内容をほとんど覚えていないところをみると、さして感銘は受けなかったのかもしれない。
ちなみに、この作品は、梅原猛の小説『ヤマトタケル』を原作としている。

寝坊

朝、目が覚めて時計を見ると、9時を回っている。
昨日は寝る前に『ヤマトタケル』を読み直して、前半を読みきったら、3:30ぐらいになってしまっていた。
遅くとも8:30には家を出ようと思っていたのに…。
だが、時間を計算してみると、なんとか予定の2社を回れそうだ。
10:00前に家を出る。
花小金井高田馬場→渋谷(東急東横線)→武蔵小杉(南部線)→武蔵中原と乗り継いで、武蔵中原駅に着いたのが11:00頃。
ここから橘樹神社までは、30分弱歩かなければならない。
駅前からバスが出ていないかと見てみると、橘樹神社へ行く手前の千年(ちねん)を経由するバスが何本かあって、けっこう頻繁に出ている。
ちょうどバスが来たので、乗り込む。


だが、うっかりして、千年を乗りすごしてしまった。
2つ先のバス停で降りる。
そこから10分弱歩いて、住宅街にある橘樹神社を見つける。
となりはお寺の墓地で、境内はすごく狭い。
まあそれは都市部の神社だから仕方ないとしても、境内には樹木があまりないのは、かわいそうだ。

橘樹神社(たちばなじんじゃ)

鳥居脇の社標には「村社 橘樹神社」とある。
橘樹と書いて「たちばな」と読ませる神社は、ここ以外にもある。
千葉県茂原市と、神奈川県横浜市保土ケ谷区橘樹神社
横浜のそれは、なぜか御祭神が素盞嗚尊(すさのおのみこと)だという。
ここ川崎市橘樹神社は、独自ドメインのWebサイトがあって、気合が入っている。
社務所もない小さい神社なのだが、「橘樹神社奉賛会」というのがあるせいだろう。
橘樹神社は古くは立花杜といって、御祭神日本武尊弟橘媛の二神。


記紀に見えるように、日本武尊は東征の折に、相模国の走水から対岸の上総国へ船で渡ろうとしたが、海が荒れていた。
そこで、尊の東国の妃(妾)だった弟橘媛が海神の怒りを鎮めようと自ら海中に身を投じたという。
伝説にはいろいろなパターンがあるが、弟橘媛が身に着けていた御衣や御冠などがあるところに流れついて、これらを祭ったと云われる伝説もある。
その地のひとつが、ここ川崎市高津区子母口(しぼくち)なのだ。
この地域には「たちばなの散歩道」があり、橘樹神社や富士見台古墳、子母口貝塚などを廻る散歩道となっている。
その富士見台古墳には、海に流れ着いたという弟橘媛の遺物を祭った廟(たまや)があったと云われている。
だが、同様の伝説が残る地はいくつかあって、おととい訪れた走水神社もそのひとつだ。
そういう事実があったとしても、ここは海からは遠いので、ここではないのかもしれない。
やはり日本武尊が海を渡ったと記紀に書かれた走水が、その有力候補ではないか。
もっとも、そういう史実があったというのは、ちょっと疑わしいところもあるが。
その当時の櫛が木製だとしたら水に浮かぶだろうが、それを拾った人が、これは弟橘媛のものだったとどうしてわかったのだろうという素朴な疑問も生じる。


となりの墓地がモロに見えていて、また樹木が少ないことなどあって、あまり高い波動を感じたりはしないが、無人の神社にしてはちゃんと掃除がされているようで、好感がもてる。
奉賛会ができているくらいだから、熱心な崇敬者がいらっしゃるのだろう。


神社を出て、前述の富士見台古墳を探してみたが、見つからなかった。
時間が押しているので、残念だが今回は諦めることにした。
(今回の巡礼記では故あって写真を載せられません。理由はあとで出てきます)。
この地域は、かつて武蔵国橘樹郡郡衙(ぐんが=郡の役所)の推定地とされていて、橘氏系の氏族が住んで開拓したものではないかと云われている。
だが、橘氏弟橘媛日本武尊との関係は、よくわからない。

吾妻山へ

12:00を少し回ったところで、千年まで戻って、そこからバスに乗って武蔵中原駅へ。
武蔵中原(南部線)→川崎(東海道線)→二宮と乗り継いで、14:15頃に二宮駅に到着。
この駅は、昨年9月に川匂神社を聖地巡礼した際に降りている。
川匂神社は、非常に好印象をもったところで、また神さまに助けられたようなところもあったので、またお参りしたいところだが、時間的にむずかしいので今回は諦めた。
駅の改札を出たところに、二宮周辺を歩く散歩コースの地図が何パターンが置かれている。
そのうちの、吾妻神社が含まれる「山海めぐりコース」の地図をもらう。
目的の吾妻神社は、吾妻山の頂上付近にあり、駅から吾妻山入口まで10分、そこから神社まで更に10分ほどかかる。
山全体が吾妻山公園になっているが、今回はパスして、神社だけを廻ることに。


二宮駅北口を出て、熱海方面(西)へ線路沿いの道路を歩く。
吾妻山を右手に見て線路沿いを10分ほど歩くと、右手に「梅沢登り口」と書かれた看板がある。
そこが吾妻山の登山口で、奥に鳥居が見える。
その鳥居は神明神社という小さな祠のもの。
その神明神社(御祭神はもちろん天照大神だろう)でお参りする。
よく整備された山道の階段を登ると、10分ほどで吾妻神社の鳥居前に着いた。

吾妻神社

鳥居をくぐる前に確かめておきたいことがあって、水晶ペンデュラムを取り出す。
「お祈りの目的は?」と聞くと、地震沈静の祈りをするようにとのこと。
さすがに東国征伐をされた日本武尊を祀る神社では、和人とアイヌのカルマ浄化の祈りをするのは差し障りがあるということか。
立派な社殿だ。
境内は広々としていて、緑も豊かで、気持ちよくお参りできそうだ。
社務所がない無人の神社だが、定期的に掃除される方々がいるのだろう。掃除が行き届いている。
東京からはるばる来た甲斐がある。


吾妻神社の御祭神は、弟橘媛命。
また、日本武尊が配祀されている。
橘樹神社と同様に、この地にも、弟橘媛の入水後に、海辺に櫛が流れ着いたという伝説がある。
その櫛を、この吾妻山山頂に埋めたと云われている。
また、地図を見ると、この付近の海辺に「袖ケ浦」の地名が見える。
ここにも、恐らく弟橘媛が身を投げたあとで小袖が流れ着いたという伝説があるのだろう。
千葉県袖ケ浦市にも同様の伝説が残っていて、市の名前にまでなっている。
このように、弟橘媛にまつわる伝説が地名になったというところは、関東地方にけっこうある。
参考サイトにあげたWikipediaの「弟橘媛」の項にその地名がいくつか載っている。


拝殿前で、お祈りする。
地震沈静の祈りも。
最後に、こう付け加える。
「私のまわりの人々の中には、弟橘媛さまについて悲しみの波動を感じる人が少なくありません。もし今も女神さまに悲しみが残っているようでしたら、その悲しみから救われ、自由になりますように」とも祈る。


拝殿の前にはプラスチックのケースが置かれていて、「ご自由にお持ち帰りください」とあって、中に『吾妻神社の由来』と題した文章をパソコンでプリントした紙が入っている。
カラーのイラストが2枚使われていて、どこかで見たことがあると思ったら、作者が、あるHPで弟橘媛さまにまつわる物語を書いている、あるチャネラーの女性の名前になっている。
この由来によると、吾妻山(標高136m)の山頂にあるこの神社は、第十二代景行天皇の御代の創建で、弟橘媛が海に見を投げられたときに、櫛がこの海辺に流れつき、その櫛を埋めて御陵をつくったことから、この地域を埋澤(うめさわ)と言い、現在は梅沢になったという。
この神社は、縁結びの神さまとしても有名だとある。
お祭りは1月と8月15日の年に2回あって、縁結祭は1月の第3日曜日に行われる。
このお祭例に合わせて「吾妻さんよさこいパレード」が開催され、二宮の町は賑やかになるという。


弟橘媛の父は、穂積氏忍山宿禰(ほづみしおしやまのすくね)という。
いまの三重県亀山市に住んでいたときに、弟橘媛が生まれたといわれ、そこにある忍山神社(おしやまじんじゃ)が媛の生誕の地とされている。
ちなみに、穂積氏は邇藝速日命ニギハヤヒノミコト)を祖とする物部氏と同祖の氏族だ。
また、この二宮の地にも穂積氏が住んでいたらしい。
Webで見つけた「川匂神社の歴史」によると、穂積氏は相模の国造(くにのみやつこ=地方を統治した首長)だったという。
穂積忍山宿禰は川匂神社の崇敬が厚く、神宝を奉納したとある。
この地に住んだ穂積氏の子孫が弟橘媛を祀る神社を建て、櫛や小袖が流れ着いたという伝説が広まったのだろうか。


神社の左手奥にある階段を1分ほど登っていくと、吾妻山の頂上に着いた。
頂上は広広としていて、ハイキング客がたくさんいる。
頂上から海が見渡せて、10分で登れる山にしては絶景を得られる。
菜の花が咲いていて、美しく整備された山頂は、登ってくる価値が十分にある。


神社まで降りて、またお祈りする。
「もし私が弟橘媛さまにご縁があるのでしたら、何かの形でお示しくださいますよう、お願いします」と念じる。

携帯を落とした!

山を降りて、二宮駅へ。
断食は終了ということで、コンビニでおにぎりを買う。
駅前のベンチでおにぎりを食べながら、携帯を取り出して、帰りの電車の時刻を調べる。
食べ終わり、そろそろ東海道線普通列車が来る時間なので、駅へと急ぐ。
その列車に乗ろうとしたとき、携帯がないことに気付く。
あわてて改札を出て、さきほど座っていたベンチへ。
だが、携帯はない。
最後に携帯があることを確認したのは、ここだった。
あれから15分ほどしかたっていない。
そこから歩いてきた道を駅のホームまで辿るが、携帯はどこにもない。
ホームでゴミを捨てるときに、一緒に捨ててしまったかもしれないと、ゴミ箱の中を見るが、ない。
駅員に尋ねるが、届け出はないとのこと。
駅前の交番へ行くが、拾得物の届け出はないとのことで、がっくりして遺失物の届け出を出す。


やれやれ、せっかくの聖地巡礼なのに、後味の悪い終わり方になってしまった。
「もしかしたら、弟橘媛さまにまつわる聖地を廻ってばかりいるので、日本武尊さまの嫉妬を買ったのではないか」とか、アホなことを考えてしまう。
私は注意力散漫というか、よく物をなくす。
財布を落としたのは、この半生で数回(反省がない?)。
だが、ほとんどの場合、手付かずで戻ってきている。
日本だけでなく、インドネシアでも、フランスでも。
善意ある人たちが、ちゃんと届けてくれた。
パリでは、財布をすられたが、なぜか中身も無事で戻ってきた(『聖母と聖女』というルルド巡礼の記の作品で書いている)。
「神助」としか言いようがない(「しんすけ」ではない)。
だが一度だけ、フランスの列車の中で財布をなくしたときは、さすがに戻ってこなかった。
携帯をなくしたのは、初めてのことだ。
届け出がないということは、きっと拾った人が悪用して使われてしまうのかもしれない。家に帰ったら、早々にドコモへ電話して、使用停止の手続をしなければ。


18:30頃に帰宅すると、北海道に帰省中の家内からメールが届いている。
「ケータイを落としたでしょう? メールがきたよ」とある。
携帯をどこかのおじいさんが拾ってくれたらしい。
そして、携帯メールの記録を見て、家内にメールで知らせてくれたようだ。
メールのやりとりは、ほとんど家内としかしないので、すぐに家族の者だとわかったのだろう。
家内からのメールにある電話番号に電話してみると、そのおじいさんが、明日着払いでケータイを送ってくれるとのこと。
これで一安心。
やれやれ、自分の不注意によって、いつも人に迷惑をかけてしまう。


それにしても…。
携帯をなくしたことについては、べつに不思議なことではなく、自分の不注意によるものだ。
だが、それが善意ある人に拾われて、こうしてちゃんと戻ってくるということには、神さまの力が働いているのかもしれない。
もしかして…。
さきほど吾妻神社で「もし私が弟橘媛さまにご縁があるのでしたら、何らかの形でお示しください」と祈ったことに対応しているのだろうか…。
そうだとしたら、畏れ多いことだ。


こうして、「後味の悪い聖地巡礼」が一転して、「思い出深い聖地巡礼」のひとつになりそうだ。


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