以前、近所のブックオフで105円で買ったもの。
この手の本は、定価ならば買わないかもしれない。
飛鳥昭雄・三神たけるのコンビによる「ムースーパーミステリーブックス」の1冊だ。
![失われたイエス・キリスト「天照大神」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス) 失われたイエス・キリスト「天照大神」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/517nvlMdHoL._SL160_.jpg)
失われたイエス・キリスト「天照大神」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)
- 作者: 飛鳥昭雄,三神たける
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 1998/04
- メディア: 新書
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なんだかんだ言って、この二人による同シリーズは、今までに3〜4冊読んでいる。
「サイエンス・エンターテイナー」を名乗るだけあって、たしかに読み物としては面白い。
ただし、その内容の真偽のほどを別にすれば、だ。
飛鳥氏の書く本は、いつも論旨に強引なところがあって、とてもすべてを受け入れるわけにはいかない。
この本にしても、けっきょく天皇家の祖神である天照大神=イエス・キリストだと主張している。
それを完全に否定する根拠はないにしても、そう簡単には同意はできない。
本書では、天照大神は実は男神なのだと主張しているが、これは少なからぬ歴史家たちが既に言っていることで、私もその可能性が大きいと思う。
世界中のほとんどのケースでは、太陽神は男神となっているのだ。
だいたい、天照大神が本当に現在の天皇家の祖神なのかという点については、疑わしい点が多い。
日本の歴史の中で、天皇家には何度か王朝交替があったと思われ、「天照大神」と呼ばれる神を奉っていたのは、別系統の王朝だったのではないか。
10世紀に編纂された『延喜式神名悵』に見られる神社…いわゆる延喜式内社の中で天照大神を祭神とする神社では、実際の祭神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)などとなっている。
この事実は、何を意味するのか。
物部氏の祖神であるニギハヤヒこそが、本来の天照大神だったのではないか。
著者たちは、そう主張する。
この程度ならば、可能性としてありうると思うのだが、著者たちは「多次元同時存在の法則」などと称して、異なる神々を本当は同一の存在なのだと主張する。
たとえば「天照大神=オシホミミ命=ニニギ命=ホホデミ命=ウガヤフキアエズ命=神武天皇=ニギハヤヒ=スサノオ」となってしまう。
もーついていけないという感じ。
また、「ヤハウェ=豊受大神=天照大神=イエス・キリスト」なのだそうだ。
豊受大神=天照大神ならば、なんで伊勢神宮の内宮と外宮で別々に祀っているのかという突っ込みを入れたくなってくる。
まあ、こういう本なので、最初からあんまり期待して読まない方が良い。
だいたいマンガ畑の人(飛鳥氏)に歴史の真実について多くを期待する方が…。
だが、それでも参考になるところは多々ある。
どうも、共著者の三神たけるという人が非常に博識な人のようで、この人の「入れ知恵」によってなんとかなっていると言っても良いかもしれない。
「神武天皇=ニギハヤヒ」…これは、ありうるかもしれない。
あるいは、神武天皇は、本当は出雲族の王だったとか。
古代史の「常識」では「欠史○代」といって、神武天皇から○代の天皇は実在しなかったのだというのが定説となりつつある。
だが、記紀はなんでそんな偽りの天皇をわざわざ捏造したのか、私には理解できないところがある。
これらの天皇は、実は天孫族たちが渡来する以前からあった別の王朝の王たちを指しているという可能性はないだろうか。
ところで、この本でも、おなじみの「失われた十支族」の話が出てくる。
たとえば、天山山脈の近くにはヤマトウという地名があって、現在でもユダヤ人たちは自分たちを「ヤマトゥ」と呼んでいるとか。
たしかにヘブライ語で「国家」を意味する「ummat」(アラム語では「umato」という言葉があって、これの頭にヤハウェの短縮形である「ヤー」をつけると「ヤーウマト」となるのだが…。
著者らによると、ヤマトゥの近くにあった弓月王国から渡来したのが秦氏で、応神天皇は秦王国の王だったとか。
天照大神に話を戻すと、この神が古事記で登場するのは、天岩戸神話のところぐらい。
このことも、アマテラスという女神が、皇室の祖神ではなかったということを思わせるところだ。
著者らによると、日本神話には、スキタイの神話やギリシャ神話が多く取り込まれているという。
これはたしかにそうだと思うところで、自分的にはこれに「ヘブライ人たちの神話(=聖書)」も加えたいところだ。
古事記の編纂には、このようなヨーロッパや西域の神話に精通していた人物が参加していたのだと思いたくなるし、それが秦氏ではなかっただろうか。