- 作者: 森博達
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/10
- メディア: 新書
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わが国最初の正史である『日本書紀』30巻の成立の謎を解明した画期的な本だ。
著者は中国文学専攻の学者だが、書紀の記述に用いられた漢字の音韻や語法を長年にわたって研究してきた。
その結果として、日本書紀は渡来中国人によって「中国語で」書かれたα群と、日本人が書いたβ群に分けられることを発見した。
そして、その述作者までも明らかにしている。
それだけではなく、その過程において、日本史の通説を覆しかねない大きな発見をしている。
たとえば、次のようなこと。
- 継体天皇紀の天皇の即位記事は、史実の描写ではなく、参考文献をもとに「創作」されたもの。
- 推古天皇紀の憲法17条は、実際に推古天皇の時代に書かれたものではなく、後年の天武天皇紀以降に制作されたもの。
- 雄略天皇紀は、「古代の画期」である(百瀬注:歴史上の大きな区切りであったという意味で、王朝交替があったのか)。
- 多氏が提出した始祖伝承の記録は(他氏族が提出した文書と異なり)、改竄なしにそのまま転載された。
どれをとっても重要なことだが、上記2項の主張は、つまり憲法十七条は聖徳太子の作ではない(或いは後年に改竄された)ということになる。
聖徳太子は、なぜこれほどまでに持ち上げられているのかという疑問は、誰もがもつものだろうが、たとえば梅原猛氏が主張するように、それだけ後の天皇家には聖徳太子に対する「後ろめたさ」があるのかもしれない。
継体天皇紀に王朝交替があったということについては、多くの歴史家たちが主張するところだ。
雄略天皇についても、前に紹介した『興亡古代史』の著者の小林惠子氏が主張するように、大いにアヤシイ。
小林氏によれば「日本の記録である『書紀』には、雄略が百済王自身であることを示す記述にあふれている」そうだ。
4項の多氏については、『多氏古事記』というものがあったと言われているように、独自の記録を残していたようだ。
その出自は、朝鮮半島(おそらく伽耶)からの渡来氏族だと思っているが、だとすると、皇族の裔であるというのは偽りであることになる。
だが、神武天皇と同じところから渡来したということを暗に示しているのかもしれない。
本書に書かれている発見の中で重要なところは、日本書紀を「誰が書いたか」ではなく、「いつ、どのような意図で書いたか」を考えるにあたって、重要なヒントを与えてくれるということだろう。
著者はあとがきの冒頭で、「私はこの本を書くために生まれてきた」と書いている。
たしかにその言葉が大袈裟ではないと思われるほどに重要な発見が含まれているだろう。
非常に難解な部分もあるが、偽りの歴史によって歪められた日本古代史の謎を解き明かすためには必読の本かもしれない。
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