いつの間にか4月になってしまっていた。
風邪が完治せず、今日は花見にも行かずに家にいた。
まだ気管支の炎症が収まっていない様子。
風邪というものをなかなかひかない人間だが、いったん風邪をひくと長引いてしまう。
熱が出ないのだが、気管支の炎症がなかなか治らなかったりする。
今日は、数日前に届いたDELLのサーバーSC430のセッティングをしていた。
CD-Rドライブを手持ちのDVD-Rドライブに交換したり、データ用HDDを増設したり。
インストールしていないソフトウエアがたくさんあって、まだ時間がかかりそう。
「NIFTY-Serve」といっても、若い人なら「それなに?」と聞くかもしれない。
インターネットのプロバイダーの一つぐらいにしか思っていないだろうか。
1987年4月から運営してきたNIFTYの「ワープロ・パソコン通信」が、3月いっぱいでサービスを終了した。
(プロバイダーとしての@niftyは終了するわけではない)。
ニフティー(NIFTY)とは、日商岩井と富士通が出資した会社名で、NIは日商岩井、Fは富士通のことだろう。
米国でCompu-Serveというパソコン通信ネットワークが人気を博していた頃、自分にはまだPCもないし、電話代も高くつくし、手が届かないと思っていた。
そこに登場したのが、NIFTY-ServeとNEC系のPC-VANの二つのパソコン通信サービスだった。
NIFTYが始まったのが1987年というから、私が31歳頃のことだ。
「やりたいけれど、まだパソコンもないし…」と思ったが、通信機能がついたワープロマシンでもパソコン通信ができることを知って、興味をもった。
当時15万〜20万ぐらいしただろうか、東芝ルポというワープロ機と通信オプションを買って、ダイアルアップでパソコン通信を始めた。
過去の記録を見てみると、NIFTYを始めたのが1987年12月5日となっているから、開設した年にすでにやっていたのだ。
いまはインターネットでもMIXIでも、コンピューターにそれほど詳しくなくても誰でも簡単にできる時代だが、当時は経済的にも精神的にも、かなりのエネルギーを費やしていた。
モデムが出す「ピー、ガーガーガー」という音を聞きながら、回線が混雑していて、なかなかつながらないとイライラした。
数年後には、いまでいうところのモバイル派にもなっていた。
あの頃は、ラップトップPC(実際は「ラップクラッシュPC」だった?)というのはあったが、ノートPCなんていうものは、まだなかったと思う。
PCのハードディスクなんて、高価でそう簡単に買える時代ではなかったから、モバイルといってもノートパソコンではない。
「ノートワープロ」だ。
EPSONから、超薄型のワープロ機が登場したとき、これだと思って飛びついた。
いま持っているVAIOノート(いわゆるB5ファイル型)よりも薄く、軽量だ。
もっとも液晶画面は数行程度の表示領域だったが。
これは決してエイプリルフールではない。
このマシンを見て「エプソンの物を小さくする技術はすごいな」と感心したものだった。
追記:いまネットで検索してみたら、あった、ありました。
名称も忘れていたけれど、こういう製品名だった。
「EPSON WordBank note」
http://www.dentaku-museum.com/hc/computer/worpro/worpro.html
74,800円か…。
こんな安かったから、私でも「飛びついて」買えたんだな(笑)
記憶媒体は、フロッピードライブもついていないというもので、ではどうやってデータを保存したかというと、RAMディスクに、だ。
バッテリーが切れると中身が消えてしまうという代物。
外部記憶媒体がなくて、ではどうやってデータを保存したか?
それは、ワープロで作った文書を、NIFTYの自分宛のメールで送って、自宅のワープロで受信していた。
そういうアホらしいことをしていた。
その頃もちろん携帯電話なんてなかったから、外出先で電話回線を借りて…?
どうやっていたんだろう?
よく思い出せない。
31歳といえば、SEになって間もない頃で、某電話機メーカーに常駐していたから、その会社の電話からケーブルをちょっと抜いて、こっそりやっていたのかもしれない。
まあ、そんなことが許される、のどかな時代だった(勝手に許されていると思ってただけか…)。
(追記:だんだん思い出してきた。公衆電話でモジュラージャック付きの電話機を設置しているところが出始めた頃で、そういうところを見つけては嬉々として使っていたように思う)。
ちなみに、そのNIFTYで精神世界関係のフォーラム(いまのMIXIのコミュニティーのようなもの)があって、そこで最初の奥さんをゲットした。
…などと書くと聞こえは悪いが、要するに出逢った。
相手は当時、西日本の某地に生まれ住んでいたから、パソコン通信というものがなかったら、出遭っていなかったかもしれない。
いわゆる、そういう新しいカップルの「走り」だっただろう。
あまりにも懐かしくて余計なことを書いて、前置きが長くなってしまった。
NIFTY-Serveの話だった。
そういうわけで、終了してしまったそうです。↓
Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060331-00000009-imp-sci
@niftyのお知らせ
http://support.nifty.com/support/tty/index.htm
その後、離婚したり会社をやめたりといろいろある中で、それまでまったく無縁だった国、インドネシア派遣の話が舞い込んできたのが、1994年のことだった。
そして延べ1年半の滞在のあとで、1996年6月に帰国してみると、世の中は「インターネット」という、自分がほとんど知らない世界の話題で盛り上がっていた。
一般庶民にはパソコンという存在が手の届かないものであるインドネシアという国にいて、浦島太郎状態にあったわけだ。
これはいけないということで、インターネットについていろいろ調べて、その年の12月にはホームページなるものを立ち上げていた。
最初に契約したプロバイダーはDTIというところで、ここはすぐに解約した。
ホームページ領域がオプション料金を取られるというところが最大のネックだった。
次に契約したのが、いまも続いているASAHIネットだった。
そこで、『パサール・トッケ』というホームページを立ち上げたのが1996年12月1日だった。
あの頃はまだMac派で、ホームページを作ろうという人は、Win派よりもMac派の方がずっと多かった。
要するに、まだ「Mac使い」の中に、クリエイティブ志向の人が多かったということだろう(いまでもそうかもしれないが)。
たんなる自己満足のHPを作っても意味がないので、何か世の中の役に立つ情報を提供できる場にしようと考えた。
そして、当初は「インドネシアの情報を提供するWebサイト」ということにした。
インドネシアの情報提供はもうやめていて、いまではスピリチュアルな真理の探究のためのサイトということになっている。
ちなみに「パサール」はインドネシア語で「市場」のことで、「トッケ」は熱帯に生息する巨大なヤモリのこと。
パサール・トッケ
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/JMenu.html
ASAHIネットといえば、パサール・トッケは、この隠れた優良プロバイダーのおかげで長年続けることができたといえるだろう。
なによりも、他プロバイダーに比べて、与えられたホームページ用ディスク領域が大きかったということもあって、何かHPでクリエイティブなことをしようという人が多かったように思う。
現在では、このディスク領域は100MBだが、まだその半分しか使っていない(さいきん更新をさぼっているというころもあるが…)。
現在我が家では、ASAHIネットのTEPCOひかりコースを契約している。
最初の1年間は半額というキャンペーンがちょうど終わるところで、これからは月々6千円代になってしまうが、家内が北海道の実家にIP電話で長話をすればするほど、元が取れるだろうと思っている。
IP電話の安さなんて、いまやあたりまえの世界だから、長々とは書かないが。
ついでに書くと、もう一つ、多摩地区の隠れた優良プロバイダーがあって、それはドルフィン・インターネットだ。
ASAHIネットは独自CGIのインストールを許していないというのがネックだった。
それで、掲示板やらチャットやらのCGIは、CGI使い放題のドルフィンに契約して設置していた。
こちらはホームページ領域が10MBしか解放していなく、ASAHIと比べると一長一短があるが、両者を組み合わせると(ちょっと金はかかるが)最強のWeb構築環境だった。
ドルフィンの契約はいったん終了したが、いまは新たに月々2100円というレンタルサーバーを契約して、CGIを置いている。
ここはたしかに優良プロバイダーなのだが、サポートがちょっと素っ気無い。
「やりたいことがあれば何でも許すから、勝手にやっていいから、そのかわり質問されても答えないよ」みたいな。
要するに、ある程度UNIXやら何やらの知識がある人向けのプロバイダーだ。
こちらもHP領域は100MBあるので、ASAHIと連携すると最大200MBのサイトを作れるというわけだ。
ドルフィンインターネット
http://www.din.or.jp/
そういうわけで、つい懐かしくなって長々と書いてしまったが、自分がいったい何を書きたかったんだか忘れてしまった。^^;
そうそう、インドネシアから帰国してから、NIFTYをやめた。
世界中がインターネット一色に染まろうという時代になりつつあるときに、パソコン通信という「閉じた世界」でのコミュニケーションはもう終わりだろうと思ったことが最大の理由だった。
というわけで、その後インターネットにのめりこんで行くことになるのだが、あれから早10年…。
時代は急速に変わりつつあって、ネットの行く先を考えてみると、一時期は盛り上った掲示板というシステムも、そろそろ終わりを迎えつつあるのではないかと思う。
それと、これは個人的願望も入ってしまうかもしれないが、ネットの匿名性が崩れていくだろうということ。
というか、そうならなければいけないと思う。
たとえば自分が現実の自分とは別の人間になりたいというような「変身願望」も結構なことで、それを一概に否定するものではないが、そういう不確かな世界で生きていると、いつか破綻するのではないかということ。
それに、出会い系の犯罪が日常茶番事になってきて、どこの馬の骨かわからない人間と相手するよりも、MIXIのようなところの方が、ある程度安心感があるというものだ(MIXIは決して「出会い系サイト」ではないが)。
そのような理由から、既存のネット上のメディアよりも、ヴァーチュアルな部分がより少ないMIXIのようなSNS(Social Networking Site)に期待したいところだ。
特にスピリチュアル派が多く集まり、関連するさまざまなコミュニティーができつつあることも、強く惹かれた理由のひとつだった。
あれからまだ9ヶ月しか経っていないのに、自分のライフスタイルが大きく変わってしまうほどインパクトがあったようだ。
ホームページと掲示板の時代が終わって、ブログとSNSがそれに代わって、その次は…。
パソコン通信に10年。
インターネットに10年。
そして、これからの10年間で、世界はどう変わっていくのだろうか。
変わっていかなければ大変なことになると思うのだが…。
こう書いても、どう「大変」なのかを理解してくれる人がこの世にはごく僅かだということが、自分の孤独感を増す一因となっていることは否めない。
形あるものから、形ないものへ。
見えるものの価値から、見えないものの価値へ。
お金というようなものの不確かな価値から、たしかに価値あるものの探求へ。
そうなってほしいと強く思う。
ライブドア事件の裏にある本質を見極めて、いいかげん気づいてほしいと思う。
MIXIといえば
さいきんはMIXIを使いこなすための本みたいなのが出ているようだ。
Amazonあたりで検索してみると、その数の多さに驚く。
自分には必要ないだろうが、右も左もわからない初心者にとっては良いものもあるかも。
(売れている順番に)
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