「どうしておこったの?」
さいきんの、うちの息子の口癖みたいになっている。
2歳半の幼児ながら、健気だなぁと思ってしまう。
子供は、怒られようと思って行動しているわけではない。
自分はなぜ怒られたのか、その理由を知りたいのだ。
親の方も、怒るにはそれなりの筋が通っていなければならない。
たとえば、子供の生命にかかわる危険な行動をした時とか。
他人の迷惑になるようなことをした時とか。
怒るには、一貫性がなければならない。
親の気分によって、ある時は同じ行動をしても怒ったり怒らなかったりではマズい。
子供の方が混乱してしまう。
たとえば、落ち着きがないといって怒られる。
だが、そういう落ち着きのなさをもたらしたのが、親が与える食事が大きな要因としてあるかもしれない。
たとえば、家中あちこちにお菓子があって、子供がいつでも好きな時に食べられるとする。
すると、ごはんを食べずに、お菓子ばかり食べるようになる。
これは子供の嗜好からして、必然的帰結だろう。
だが、そういう子供は、カルシウムが不足して低血糖症になり、いわゆる『ハイパーアクティブ』な子供になっていく。
このような子供に、落ち着きをもちなさいと叱っても無理な相談だ。
※「ハイパーアクティブ」の何たるかをご存知ない方は、下記の過去の連載記事を参照してください。
[健康]「キレる子供」は親がつくる
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20050528/sugar
[健康]「キレる子供」は親がつくる(2)
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20050529/sugar2
[健康]「キレる子供」は親がつくる(3)
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20050529/sugar
[健康]「キレる子供」は親がつくる(4)
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20050530/sugar
物事の背後にある法則を知るための「智慧」が、親の方に必要になってくる。
「宇宙の法則」を知り真理を探究したいという強い希望は、人間をより高い次元へと向かわせる。
親に智慧がついてくると、上に書いたような例で頭ごなしに怒られることは、いささか理不尽の感を否めないことがわかってくる。
親のエゴによって怒るなど、言語同断だろう。
こうして書いている自分も、反省すべき点が多々ある。
「どうしておこったの?」
「それはね、Yちゃんがおもちゃで遊んであとで、お片づけをしないから」
こういう場合は、怒られても仕方ないかもしれない。
このように
首尾一貫した説明が、できなければならない。
スピリチュアルな次元でいうと、子供というのは親の「私有物」ではない。
魂と魂の対等のやりとりが、時として必要になってくる。
子育てというのは本当に難しい。
それは、親である自分が魂を向上させるために学ぶ場でもある。