昨日から家内と息子が北海道に帰省して、家の中は静かです。
今日はちょっと体調が悪くて、1日休みをもらって、MIXIのメッセやコミュのレスを付けたり、マイミクさんの紹介文を書いたりしていました。
そこで、いろんな人たちのプロフィールを見たりして思ったこと。
MIXIで自分のマイミクさんたちや、ぼくが主催するコミュに集まる人たちの中には、自分と誕生日が近い人がけっこういるんですね。
歳は違うけれど、誕生日が同じとか、実際は同じ5月5日生まれという人は少ないけれど、たとえば1日違いとか、けっこういるんです。
ぼくの場合は牡牛座ですね。そういう人たちが自然と集まってくる。
面白いもので、そういう人たちとは、興味をもつこととかも、共通する部分が多いようです。
人間というのは、やっぱり生まれたときの太陽の黄道の位置が近い人たちが互いに集まって来やすいというのがあると思うんです。
西洋占星術でいうと、特に同じサインとか30度とか60度とか。
いわゆる120度の関係というのがあって、たとえば牡牛座から見ると、乙女座と山羊座がそれにあたります。
120度よりも遠くなってしまうと、やっぱり吸引力というか、弱まってきます。
でも、まったく反対の180度だと、場合によっては却って引き合うことがある。
吸引力といっても、必ずしも引き合うことが良いことばかりとは限らないのだけど(カルマ的要因を含めて考えると)。
自分の経験からいって、ある人の誕生日がわかれば、その人について、だいたいのことがわかります。
まったく会ったことがない人でも、ある程度のことがわかってしまうというのは、ある意味では恐いことですね(?)
恐いというのは冗談としても、占星術師の中には、自分の生年月日を絶対に公開しない人とかもいるんですよ。
なぜか? 同業他者に呪いをかけられたくないから。
みんな笑うかもしれないけれど、本当なんですよ。
生年月日・時間と、出生地がわかれば、もっと詳しいことがわかります。
かといって、占星術の言っていることがすべて正しいと思っているわけではありません。
「占い」としての占星術は興味がなく、心理学的なアプローチから入っていったので。
ある人の性格などを知るには、有効な手段だと思います。
ぼくの経験でいうと、西洋占星術よりも、ジョーティシュ(インド占星術)の方がやっぱりスピリチュアルな意味で深い洞察力をもって解釈できる部分が多いみたいです。
インドの聖者でも、ヨガナンダ師とかその師のユクテスワ師とか、最近ではアマチとか、ジョーティシュを重視する人が多いです。
人間同士の相性ということでは、やっぱり太陽よりも月の関係の方が重要になってくるみたいです。特に男女の場合では。
だから、上に書いた「遠い」「近い」というのは、月同士の角度の方が重要だと思います。
もっとも、人間の性格や相性が、生まれたときの天体の配置ですべて決まってしまうわけでは、もちろんありません。
相性が良い悪いといっても、どのくらいのレベルでものを言うかによって異なってきます。
たとえば、みんなが「悪い」と考えていることが、ひとつ上の次元でものを見た場合に、「良い」ことに変わる場合もあると思うんですね。
霊的進化を遂げた人々の場合だと、敢えて「相性の悪い」人と多く交わることもあるようです。
それは、夫婦の場合についてもいえます。
たとえば「もっとも良い縁で結ばれた」といっているのが、実はもっとも深い逆縁のカルマがあったりするわけです。
「これを通ったらもう地球は卒業だ」みたいな。
それから、生まれたときの天体配置によってある程度決まってしまう部分があるにしても、それは運命決定論的なものではなくて、では悪いならばその悪いことを、どうやって改善していこうかとか、考えるわけです。
面白いもので、自分が自然と好きになるアーティストとか芸術家でも、調べてみると、自分と相性が良かったりするんですね。
もうずっと昔に亡くなってしまった人も含めてですよ。
そこらへんに、なにか普遍的な宇宙の法則みたいなものを感じるんですね。
いつも言うように、良い悪いなんて人間が勝手に判断していることであって、人間の一生の間に起きることはすべて、その人を霊的に向上させるための「良いこと」なんでしょう。
こういうことを、誤解されずに書くのはなかなかむずかしいですが。
非常に奥深いものがあるので。