探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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藤沢七福神・聖地巡礼


2006/04/16(日)
7:30頃に家を出る。
9:10新宿発の小田急ロマンスカー片瀬江ノ島行きに乗り込む。
本当は昨日行く予定だったのだが、朝起きられなくて行けなかった。
かみんちゅネットワークでは、四国巡礼チームが愛媛県伊方原発で16:00に祈りを合わせてほしいとのこと。
その時間に合わせて、江島神社で祈ることにする。

夢のお告げ

今回、なぜ七福神なのか。
昨年あたりだったか、だいぶ前の話になる。
はっきりと覚えていないが、残っているメモによると、夢の中で「七福神を祀れ」という声があった。
おそらく、後ろについている存在だろう。
そのときのメモには、「ありかず(有員)」とも書いてある。
夢の中でだったか、または目覚めた直後のまどろみの中でか、頭の中にイメージとして浮かんだのだろう。
有員といっても、知っている人はほとんどいないかもしれない。
諏訪大社(上社)では、かつて生神的存在だった大祝(おおはふり、おおほうり)という存在がいた。
諏訪大明神の化身とされていたのだ。
有員というのは、その初代大祝だった諏訪有員のこと。
桓武天皇の皇子だったといわれているが、あまり根拠はない。
七福神とは直接関係ないが、ここに記録しておく。


藤沢七福神は、昨年2005年正月に初めて行くように指令が出て、巡礼した。
今回は、その通りのルートで歩くことになった。
個人的には、七福神をお祀りするお許しを請うための巡礼ということになる。
もちろん、いつものように、地震など自然災害の沈静のための祈りもするが。
ダウジングで伺った結果、江の島七福神の置物を入手して、お祀りするようにとの指示が出た。
その中で、弁才天については、すでに神棚に江島神社の神札をお祀りしているのだが。
家でお祀りするといっても、もちろん私のことだから、個人的な願い事などは、一切しない。


藤沢七福神は、下記の寺社に祀られている。


今回も、上記の順番で廻ることになる。
上記で、諏訪神社と白旗神社については、昨年7月にも巡礼しているので、3度目になる。
2005年1月3日と7月17日に巡拝したときの記録は、こちらにある。
ここに書いたことで、重複するようなことは、ここには再度書かない。
[霊性]藤沢七福神めぐり
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20050103/sitifukujin
[霊性]藤沢諏訪神社巡り
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20050717/suwa

七福神信仰と藤沢宿

七福神信仰というのはそもそも、京都七福神から始まったものだ。
そして、それが江戸へ波及し、全国各地へ広まっていったもののようだ。
湘南地方でいうと、鎌倉・江の島七福神が有名だ。
それに比べると、藤沢七福神は、もうちょっとローカル的な信仰ということになるだろうか。


七福神は良いとして、ではなぜ藤沢なのか。
それは、もしかしたら、うしろについている存在の好みも多少あったりするのかもしれない。
だが、私自身にとっても、藤沢は以前から気になる土地だった。
「こういう町に住んでみたい」と思っていたものだった。
過去生のあるときに、住んでいたのか、あるいは頻繁に訪れていたことがあったのか。
聖地巡礼で歩いていても、懐かしさを感じるというか、非常に和むところなのだ。
藤沢から江の島にかけて、自分的にはかなり縁が深い土地ではないかと思う。


藤沢といえば400年前からの宿場町だ。
由緒ありそうな神社仏閣が、旧街道沿いに多く見られる。
藤沢宿は、鎌倉時代から時宗総本山・遊行寺清浄光寺)の門前町として栄えていた。


七福神といえば、以前に独立しようとして『百福書房』というオンライン古書店を立ち上げたことがあったが、長続きしなかった。
ダウジングで伺っても、やはり物売りはやってはいけない人間のようだ。
下記に、その残骸が残っていて、七福神のアイコンなどはそのままある。
http://www.100fuku.com/books/
下記のページには、七福神の説明がある。
http://www.100fuku.com/shop/bukkyo/7fuku.html
このサイトは、どうやって再利用しようかと思案中だ。
もちろん物売りはもうやらないが。
※オンライン古書店をやってみようと思っている方がいたら、百福書房で使っていたショッピングバスケットCGIを手直しして使えるかもしれないので、声をかけてください。

感応院(寿老人

ロマンスカーは10:06に藤沢駅に到着。
今日は天気予報では雨で、家を出たときには降っていなかったが、新宿に着いたあたりから降り始めた。
傘を差して歩き始める。
いつもの聖地巡礼ならば、AmazonマップかInfoseek地図をプリントしてくるのだが、時間的余裕がなかった。
今回は実験的試みとして、iモードの地図サイトであるマピオンのサービスを利用してみた。
だが、25000分の1の地図だと、あんまり使い物にならない。
細かい道がわからず、大きな神社仏閣しか載っていないからだ。
駅から北の方へ20分ほど歩いて、最初の目的地である感応院に着く。
ここは真言宗のお寺で、ご本尊は不動明王
創建は建保六年(1218)というから、かなり古いお寺だ。
いつものように、宇宙全体の平和を祈り、ここにお参りされる方々と地域住民の幸せを祈る。
そして、大きな地震津波などの自然災害の大難を小難に振り替えていただくための祈り。


寿老人は本堂の中にあって、正月にしかご開帳されない。
この神は、中国で「寿星」または「南極老人星」と呼ばれる星が神格化したものだ。
唐代では、黒い頭巾をかぶって杖をつく老人の姿で描かれるようになった。
この杖には一巻の巻物が結び付けられ、これには人間の寿命が記されていると信じられている。
真言は「オンマカシリソワカ


はてなMAPmap:x139.4891y35.3460

諏訪神社(大黒天)

5分ほど歩いて、次の諏訪神社に着く。
藤沢諏訪神社は、建武2年(1335)、向かいに立つ遊行寺を創建した呑海上人(どんかいしょうにん)が勧請したものといわれる。
ここには、大黒さまの祠がある。
大黒天といえば、出雲の神・大国主命が「だいこく」とも読めることから、大黒さまと同一視されるようになった。
そのため、諏訪大明神建御名方神)の父神として大国主=大黒天が祀られるようになったのだろう。


まだ雨は降り続いている。
拝殿の諏訪大明神の前で祈った。
「後ろについている方も、いま一緒になってお祈りしているんだろうな」などと想像をめぐらせてみる。
大黒さまの祠の前で、傘を差したまま祈る。
大黒天の異名はマハーカーラ。
もともとはヒンドゥー教の三大神の一柱であるシヴァ神の化身のひとつ。
サンスクリット語で、マハは「大」、カーラは「黒」という意味で、それをそのまま漢訳したのが大黒天。
シヴァ神が世界を破壊するときに、この姿となって現れるとされ、体は黒または青黒色で、恐ろしい憤怒の表情をしている。
大黒さまとご縁があると思っている人が、実はインドのシヴァ神と縁があるという場合も、あるのかもしれない。
マハーカーラは本来恐い形相の神であるはずなのに、日本では大国主命のイメージが取り入れられ、満面笑みを浮かべたやさしい顔つきが定着してしまった。
日本でも、昔の大黒天像は皆、厳しい表情をしていたそうだが。
真言は「オンマカキャラヤソワカ
大黒さまの前で、「うちでお祀りさせていただきます」と祈る。


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白旗神社(毘沙門天

西へ15分ほど歩いて、白旗神社へ。
ここは境内が広く立派な神社で、多くの崇敬者がいるようで、祭礼もかなり盛大に行われる。
源義経公を祀る白旗神社」というホームページもある。
源義経公の首がこの地に流れ着いたという伝説があり、義経公も祀られているのだ。
本来は、寒川神社を勧請した寒川神社だったが、宝治3年(1249年)9月に源義経が合祀されて白旗明神、白旗神社となった。
もともとの寒川比古命は、いまでも主祭神となっている。


毘沙門天の異名はクベーラ、多聞天
これもインドの神さまで、大黒天、弁才天と同様に、仏教の「天部」に属している。
にこやかな表情の神々が並ぶ七福神の中で唯一、甲冑に身を包んで、いかめしい顔をしている。
もともとヒンドゥー教の財宝福徳を司るクベーラという神だ。
古代インドの叙事詩マハーバーラタ』では、ヒマラヤ北方の山中に住み、インドの北を守る善神とされた。
インドでは、財宝福徳を司る神とされている。
仏教に取り入れられてからも、四天王の一柱として、北方守護の任を担っている。
四天王の中では多聞天と呼ばれることが多い。
真言は「オンベイシラマンダヤソワカ


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常光寺

10分ほど歩いて、常光寺に着く。
浄土宗のお寺で、創建は元亀3年(1572)という。
ご本尊は阿弥陀如来
その木造阿弥陀如来立像は、藤沢市の指定文化財になっている。
ネットで検索したところ、常光寺の裏には、あの弁慶の墓があるという。
真偽の程はわからないが、そのような伝承は他の土地でもあるのではないか。
前回もそうだったが、祈っていると、かなり深いところへ入っていけそうな感じがする。
阿弥陀如来さまのお力だろうか。


ここの福禄寿も、本堂の中に安置されているようだ。
以前にも書いたが、福禄寿というのは寿老人と同一の中国の神さまであって、七福神の中に異なる名前で取り入れられているのは、本来はおかしいのだ。
そのような矛盾があるため、代わりに吉祥天を加えた形で信仰されるのが一部の地域では残っているが、大きく広まることはなかった。
真言は、当然寿老人と同じ「オンマカシリソワカ


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皇大神宮(こうだいじんぐう)(恵比寿)

西へ15分ほど歩いて、皇大神宮へ。
いうまでもなく、天照大神を御祭神としている。
創建は古く、第53代淳和天皇の御代、天長9年(832)の記録があるという。
広々とした境内には、恵比寿さまの祠がある。
本来の藤沢七福神巡りでは、ここを出発地点としている。
エビスさまは、恵比寿、戎、夷とも表記される。
七福神の中で唯一、日本の神さまだ。
出自については、日本神話の蛭子(ひるこ)に由来するという説と、事代主神(ことしろぬしのかみ)に由来するというニ説が主流となっている。
蛭子はイザナギイザナミの両神が結婚したとき、最初に生まれた子供だが、三年たっても脚が立たないので、葦舟に乗せて流し捨てられてしまった。
一方、事代主神は出雲系の、大国主命の子神で、この説をとると、大国主命と習合した大黒天と恵比須神は親子といえなくもないだろう。
現在でも、漁業と商売繁盛の神として、全国的に信仰を集め「エベッサン」として親しまれている。
釣り竿を持ったり、鯛をかついだ姿として描かれる。
真言は「オンインダラヤソワカ


社務所でおみくじを引くと、39番の吉だった。

腹立ちやすい心を押さえて利欲を捨て 驕りを戒めれば人望まし利益を得ます

はい、わかりました。神さま。
どこか間違った方向に進んでいないだろうか。
軌道修正が必要か。自分をチェック。
おみくじは、本当にその時その時の自分に合ったものを出してくれる。
昨年の正月のときを思い出す。
はじめて訪れた藤沢七福神で、諏訪神社、白旗神社、そしてこの皇大神宮と、1日に続けて3回も大吉が出た。
大吉が出たから良いとは限らない。
でも、聖地巡礼すると面白いように大吉が出たあの頃が、ちょっと懐かしい(?)


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養命寺(布袋)

道に迷ったため、30分ほど歩いて、やっと養命寺に到着。
狭い敷地に、小さな本堂がぽつんとあるだけ。
だが、そのご本尊の木造薬師如来座像は国の重要文化財に指定されている。
創建は文禄元年(1592)。
貴重なご本尊は、12年に一度の寅年のときにしかご開帳されないというから、滅多に見られるものではない。
布袋さまの祠はどこにもないので、ここも本堂内に鎮座されているのだろう。


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江島神社

15分ほど歩いて、小田急線の藤沢本町駅に着く。
いつかしら、雨はやんで、空が明るくなってきた。
各駅停車で、片瀬江ノ島駅へ。
ここから江の島大橋を渡り、御祭神の三女神を祀る辺津宮、中津宮、奥津宮へとお参りするとと、2キロ弱歩くことになる。
時間は2時をちょっと過ぎた頃。
いつもの聖地巡礼の通り、朝から参拝が終わるまでは断食状態だ。
すでに膝がガクガクしていて、膝の裏が張って痛い。
この日1日で、9〜10キロ歩いたことになる。
そういう状態だが、長い石段を、なんとか上ることができた。
隣には、エスカーという文明の利器(エスカレーター)があって、これに乗れば頂上へ連れて行ってくれるが、そんなものには目もくれない。
断食をしながら、基本は歩き。
仕方ないときは、車などを利用する。
聖地巡礼というのはやはり修行でもあるのだから、楽をしようと思ってはいけない。


まだ16:00の祈りの時間には余裕があるので、土産物屋で七福神の置物を物色しておく。
鳥居の前に来て、ペンデュラムを取り出し、16:00の祈りはどこですべきかと伺う。
すると、奥津宮で行うようにとの指示。


江島神社については、このブログで何度も書いてきたので、多くは書かない。
七福神ということでは、弁才天が藤沢七福神と鎌倉江の島七福神に入れられている。
その弁天さまは「日本三大弁才天」の一つとされている。
七福神の中の紅一点である弁才天は、弁財天、弁天、妙音天、美音天などとも呼ばれる。
もともとヒンドゥー教の女神で、インドのニューデリーを流れるジャムナー河を司る女神とされている。
原義では湖とか海にちなんでいるが、インドでは、音楽や芸能や学問を司る神ともされている。
インドの大衆宗教画では、ヴィーナという弦楽器を持った美しい姿で描かれるが、日本では楽器が琵琶に変わっている。
日本でも技芸を司る神とされ、また日本固有の海の女神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と同一視されるようにもなった。
海辺や湖辺で祀られることが多く、また水の性質から、蛇や龍と結びつくことも多い。
日本に入ってからは、弁才天の「才」が「財」と同音であることから弁財天とも書かれるようになり、お金をも司らないといけなくなってしまったが、人間というのは本当に勝手なものだと思う。
真言は「オンソラバテイエイソワカ
または、「オン・ソラサバタエイ・ソワカ(サラスヴァティー神女に帰命す)」


辺津宮、中津宮、弁才天堂でお祈りするが、16:00のお祈りにはまだ時間がある。
海が見下ろせる展望台で一休み。
そして奥津宮へ行き、最初に隣の龍宮(わだつみのみや)でお祈りする。
ここの御祭神は龍宮大神だ。
15:55になり、奥津宮の前で祈りを始める。
地震津波などの自然災害を、大難を小難に振り替えていただき、犠牲者が出ませんように、原子力発電所の事故が起きませんように、と。
いま同じ時間に、四国の原発の前で祈っている人々もいる。
広島の宮島で祈りを合わせている人もいる。
そういう人々とのつながりを意識して、祈る。
心身ともに限界に近づいているので、もういいだろうと思った時点で、5分程度で切り上げる。
精根尽き果てたという感じだ。
最初の辺津宮に戻り、おみくじを引いてみる。
いつものように「今の自分に合ったおみくじを引かせてください」と祈る。
47番の中吉が出た。

反省とは、自分を責める事ではなく、自分をありのままに知る事である。

う〜ん、深い。
これ、誰か名のある人の言葉なんだろうか。


さあ、これで今日の任務は果たした。
疲れた足を引きずるようにして、来た道へと降りる。
ある土産物屋で目に付けておいた陶器の七福神の置物の前で、ダウジングで伺ってみると、これで良いとのこと。
それを買う。3150円だった。
今日の巡礼は久々にハードなものになったが、昨日サボってしまったために(?)、お仕置きだったりして。


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【参考サイト】

七福神

七福神が好きな人へお奨めなのが、この本。

図説 七福神―福をさずける神々の物語 (シリーズ日本の信仰)

図説 七福神―福をさずける神々の物語 (シリーズ日本の信仰)


何人かの学者たちが、七福神についてのさまざまな謎を解き明かしてくれる。
もともとは定価10000円以上する大型本だが、縮小版として手ごろな価格で出版されたもので、非常に「お買い得」な本だ。
ただ資料的要素が強く、かなり七福神に入れ込んでいる人でないと、最後まで読んで面白さを感じないかもしれない。
※いま見たら、なぜか新刊が60%OFFだって。どういうわけなんでしょうね。


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