今朝起きたときに、○川憲一の母が亡くなったことを、家内が教えてくれた。
寝床で寝ぼけながら、「二人目の方?」と思わず聞いてしまった。
いままで知らなかった方も、彼の本名が百瀬○一と私と苗字が同じなのでピンと来たかもしれない。
○川と私は、祖父を同じくする従兄弟同士だ。
私は東京生まれだが、彼は百瀬家の祖先の血である長野県諏訪市上諏訪で生まれている。
芸能界の事情に通じた方々ならば御存知だろうが、○川には二人の母がいた。
今回亡くなったのは、生みの母である百瀬い○子の方。
育ての母はい○子の実の姉であり、私にとっては両方とも叔母にあたる。
そのい○子が、16日朝に死去していたという。死因は胆管がん。享年88歳。
うちの父の命日が7月5日だから、それほど変わらない。
○川はフィリピンでのコンサートのために最期を看取ることができず、17日にやっと帰国できた。
昭和21年5月に○川を出産した際の過労などによって肺結核となり、2歳の時に姉の米子に預けて養子とした。
育ての母の米子の方は、1996年に83歳で亡くなっている。
私の両親が高校の頃に別れてしまったため、○川や叔母たちとはそれ以来会っていない。
い○子の方は、あまり会ったことがなかったように思う。
米子の方は○川と同居していたから、中学生の頃までは、当時赤坂にあったマンションによく遊びに行った。
育ての母は信心深く仏教のある宗派を信仰していて、仏壇に手を合わせて落雁をもらうのが楽しみだった。
今回の病状悪化は、かなり急なことだったようだ。
い○子は、上諏訪の先祖代々の菩提寺に○川が建てた墓に入るのだろう。
そこには、私の父も眠っている。
叔母は、いわゆるシングルマザーで、○川は不倫の末の子だった。
夫に早く先立たれた米子が引き取って、女手ひとつで由一の面倒を見た。
…というようなことも、芸能界の事情に通じた方は御存知だろうが。^^;
百瀬家には、そういうような女性がけっこういるのだ。
やはり霊能者に言われるように、色情因縁によるものだろうか。
私と○川の共通の祖父は道楽者で、諏訪の土豪だった家を酒や女でつぶしてしまったらしい。
土地も失い四散した百瀬の家で、唯一社会的に成功したのが○川だった。
これも母の信心の賜物だったのかもしれない。
中学生の頃、親戚の叔母さんに「お兄ちゃんの小さい頃にそっくりね」と言われたものだった。
「お兄ちゃん」とは、私が○川をそう呼んでいたのだ。
向うは私を「直ちゃん」と呼んでいた。
その当時から「お姉ことば」だった。
癌といえば、うちの父も死因は癌だった。
母と別れた後、米子が一生懸命に看病してくれたようだ。
うちはやはり癌の家系なのか。
私も人事でなく、気をつけなくては。
ちなみに、下記のWikipediaのページでは、○川がコロッケの物まねがきっかけになってオカマことばを話し出したとあるが、この筆者は、彼がまったくの「地でやっている」ことを知っているのだろうか。
それまでのTV上での彼の方が「演技」だったのだ。
デビュー当時は無口な男と思われていて(というか、そういうイメージで売らされていて)、ファンクラブの会報のタイトルが「くちなし」だった。