探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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霊感と思い込み


「オンデマンドBlog」第2弾です。^^
こことmixiの日記のコメントで、数名の人からリクエストがあったので。
「こういうこと書いても、どれだけの人が興味をもって読んでくれるだろう?」なんて思いながら書くよりも、こちらもやる気が出るし、いい方式だと思うんですが、どうでしょうか。


じつは、第1弾の『遠隔ヒーリングで疑問に思うこと』は、きっと非難ゴーゴー沸き起こるんじゃないかと内心覚悟していたんですね。
でも意外と共感をもってくれた人が多いみたいですね。mixi日記のコメントとかを見ると。
「裸の王様」じゃないけど、ああいうことは誰もが思っていることなんだけど、身近にヒーリングとかやる人がいても、なかなか面と向かって言えないようなことなんですね。
だから「私も前々から同じようなことを思っていたんです」みたいなコメントもあったみたいです。
やっぱりこういうことは誰かが言ってあげないといけないと思うんですね。
自分は嫌われ者になってもいいやみたいな感じで、書いてしまいました。


ということで、今回は霊感と思い込みです。
どうも世の中には、自分はすごい霊感をもっていると思っているけれど、じつは全然なかったり、または大したことないという人がかなりいるようです。
それは、その人が書いているものを読んだだけである程度わかったり、その人に実際に会ってみて初めてわかることもあります。

思い込みをしやすいタイプ

どうしてそういう人々が多いのかというと、まずはそれだけ霊感や超能力をもちたいという願望が大きい人が多いのでしょうね。
でも、いくら持ちたいといっても、こういうものは過去生からいくつもの生涯にわたって宗教的・霊的修業を経て培ってきた能力だから、まったくその資質がない人がにわか仕込みに修業したって得られるものではないですね。


そういう人が超能力願望が強くなって、いつしか自分にそういう能力があるのだと思い込んでしまうようになる、というケースがあるでしょうね。
また、人間のタイプとして、もともと思い込みが激しいという人もいます。
チャクラによる気質・性格の類型でいうと、特にスワディスターナなどの下の方のチャクラが物理的次元で動いている人にそういうタイプが多いのではないかと思います。
外見的には、やたらと元気で精力的で、よく動き回る。
話は逸れますが、このタイプの人は性欲が強かったりすることが多いです。
チャクラというのは物理的に下の方にあるものほど動物的次元が強くなるものです。
思い込みがつよくて、たとえば身近にいる異性が本人は全然無関心なのに、自分に気があるんじゃないかといってつきまとって…、つまりスト一カーになったりする。
さらに、そういう人がたとえばクンダリー二ヨガなどの霊的修業によって下のチャクラをアストラルなどの低い次元ででも覚醒させてしまうと、もっと厄介になります。
ちょっと話が脱線しそうなので、これについては別の機会にします。


それから、早とちりとか思い込みをけっこうしてしまうタイプとして、C・G・ユングの人間の性格類型でいうところの『直観タイプ』があります。
かくいう私も『内向的直観タイプ』にカテゴライズされる人間ですが、このタイプは五感を駆使してものごとを捉えることがすごく苦手なんですね。
それで、どうしても直観という心的機能に頼ってしまうことが多いのです。
だから、「霊感と思い込み」ということでは、自分自身もかつてはいろいろ失敗しているんですね。
そういう反省を踏まえてこれを書いています。

アメリカの霊性

それで、不思議な現象にしても、そういう思い込みをもってしまうことも多々ありますね。
だから、こういう領域を探求する人間は、ある程度の慎重さ・冷徹さが必要だと思うんです。
前回も書いたように、客観性があるかどうかを判断することが大切ですね。
いわゆるニューエイジという領域は、チャネリングとかヒーリングとかにしても、アメリカで発生したものが多いですね。
アメリカの霊性と東洋的霊性を比較してみると、アメリカのそれは、非常に幼稚といっては失礼だけど、一般論で言うとまだまだ行き着いたところの深さや歴史の点で東洋の叡智に劣ると思います。
霊性という点では、アメリカ人のものの考え方というのは中国人や日本人のそれに似て、現世利益志向というか、この世で生きているうちに生を楽しもう、利益を得ようというところが強いように思います。
それに比べると、たとえば厳しい気候のもとで生きているインドの人々などは、ちょうどお釈迦さまが「この世は苦である」と説いたように、現世は辛いことばかりだから、あの世に想いを託そうみたいな傾向が出てくるのです。
そういう文化のもとで生まれたニューエイジのたぐいは、まだまだ奥深さに欠けるところがあります。
ひと昔前にチャネリングというのが流行しましたが、「このチャネラーが言っていることは果たして本当のことだろうか?」というような思考を経ることなく先験的に信じ込んでしまうみたいなところが多くの人の中にあったのではないかと思います。


アメリカのような国は物質文明の極地みたいなところに達して、お金や名誉を追い求めても、その結果として得たものは本当に自分たちが求めていたものではないということに気づき始めた人々が、スピリチュアルな領域に目を向けるようになったというのが、ニューエイジムーブメントみたいなものが発生するきっかけだったのではないかと思います。
ぼくも学生の頃に行ったことがあるけれど、西海岸のバークレーとかサンフランシスコとか、あのあたりは早くから東洋思想に目を向けたりヴェジタリアンになったりとか、進んだ人々がけっこう多いんですね。
ところが、物質文明や合理主義が行き着いたところみたいな国なので、その反動として生まれたスピリチュアリズムというのも、どこか幼稚なところがあるわけです。
実証ということをせずに不思議なことを信じてしまったり。
また、サイキックみたいな人たちもお金儲けに走ってしまったり。
あくまでも自分たちの欲望や願望を満足させるために利用するためだけのスピリチュアルだったりする場合が多いんじゃないかと思います。
たとえばエルヴィス・プレスリーという人を例に挙げると、あの人もかなり破天荒な人生というか、ドラッグ(麻薬ではなく本当の薬)と女に溺れてしまって、その傍らでスピリチュアルな世界を求めていたというような、非常にアンヴィバレントなところがあった人でした。
あの人はそういう意味でも、本当に病みに病んだ国『アメリカの象徴』的な人だったと思います。
「何か間違ってる、何か求めたいものがあるのだけど、それが何だかわからない」みたいな。
なんだか昔のよしだたくろうの歌みたいだな。^^


どこか目指すところがかなり違うんですね。
本当に深いところで霊性に目覚めた人たちと比べると。
アメリカ大陸にはインディアンとかマヤ文明とか、霊性という点でいろいろ学ぶべきものが身近にあるのだから、そういうものを探求してみればいいでしょうね。
そしてインドのような精神性が進んだ国の人々がたどり着いたような深い霊性から学べば良いのにと思うんです。
そうすれば、インチキくさいものを思い込みで信じてしまったりするようなことも少なくなるのではないかと。

おわりに

何を書こうとしていたんだか…。そう、思い込みの話でしたね。
じつは、『霊感と思い込み』というタイトルを考えてみたものの、どういうことを書きたかったんだか忘れてしまったんですね。
ずいぶんアホでしょう?^^;
というか、『遠隔ヒーリングで疑問に思うこと』で、書きたかったことをある程度書いてしまったのもあるんですね。
というわけで、このへんで終わりにしますが、その前にまとめると…。
不思議な現象やスピリチュアルな領域を探求する人間としては、やっぱり客観性をもつことが大切だと思うんです。
自分が体験したことが、果たして通常の現象として説明できることか、または不思議な現象として成り立つことなのかどうか、と。
たとえば霊能者とか占い師みたいな人に自分の過去生を見てもらったとします。
そういう人に言われたことを鵜呑みにしてしまうというのは、真理の探究者としてはちょっと問題がありますね。
以前に、ある男性の霊能者に会いました。
その人が言うには、「前世というのは霊能者でも見るのがむずかしいことだから、3人の霊能者に前世を見てもらって、3人が3人とも同じことを言ったときに初めて信じるぐらいにした方がいいですよ」というのです。
普通の職業霊能者だったら、そんなこと言ってくれませんよ。
だから、ああこの人は本当に誠実な人なんだなと思いましたね。
過去生のリーティングというのは、本当にそうなんです。
かなり力があると思われる人でも、その人が言ったことが絶対正しいとは限らない。
だから、検証が必要なんですね。


たとえば、霊能者に、あなたは過去生でこうこうこういう人でしたと言われて、そういう人が本当に過去に存在したのかどうかとか、その人が情景描写したような土地が本当にあるのかどうか、旅してみようとか。
そういう過程を経ずに、言われたことを鵜呑みにしてしまうというのは、こう言っては失礼かもしれませんが、かなり愚かなことでしょう。
過去生リーディングというのは、一般に昔にさかのぼるほど当てるのが困難になってくるものなんです。
どのチャクラが目覚めているかとか、どの程度目覚めているかによって、どのくらい前までの過去生がわかるかが違ってきます。
過去生を当てるというのは長年経験を積んだプロでもかなり当てるのが難しいことなのに、そこらへんの占い師的な人や素人が数百年も前の過去生をいとも簡単に「言い当て」たりするのは、ほとんどがインチキと言ったら失礼だけど、その結果は限りなく怪しいものに思えてきます。
ぼくはmixiでサイキックを探求するというコミュを作っていますが、本当に誰にでもお奨めできる超有能な霊能者とかスピリチュアル・カウンセラーなんて、そう滅多にいないものなんですよ。
長年こういう世界を探求していろんな人たちに会ってきた人間として、ほんとにそう思います。


前回mixi日記でコメントをつけてくれたSRさんなどもかなり霊感が強い人ですが、この人が書いているものを読むと、「自分はこういうところへ行って、そこでこういういことを感じたけれど、もしかしたら間違っているかもしれない」というような表現をするんですね。
だから、こういう人は信頼を置けると思うんです。
「自分やその後ろについている存在を絶対的なものと思わない」
これは、自分だけの世界にのめりこまずに客観性を維持するためにも、すごく大切なことだと思います。
それとは逆に、あまりにも自信たっぷりモードで話したり、断定的な言い方しかしないような人は注意が必要です。
「思い込みから自由になる」ということは、霊能者とか霊能者的な人だけでなく、そういう人に見てもらう人たちにとっても大切なことではないかと思います。
はっきり思い出せないけど、そういうことを書きたかったんだと思います。たぶん。^^;


※第3弾は、いまのところ1票1票だったと思うので、追加リクエストがこないかぎり、こちらで決めさせてもらいます。
『霊能者・カミンチューの限界』…これでいこうかな。


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