探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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正月の風習は古代イスラエル起源?


古代日本に古代イスラエルの民(失われた十支族)が渡来していたという説を唱える人々の中には、日本の正月の風習の中で古代イスラエルに起源があるものがあると主張しています。
今日は新年早々ということもあって、そのことについてちょっと検討してみることにします。
この分野の研究で比較的信頼がおける人の一人であるユダヤ人、ラビ・マーヴィン・トケイヤー氏の著書『聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史』をテクストとします。

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)

もっと遡れば、これから紹介する説を最初に出したのは、『日本人のルーツはユダヤ人だ』(原書名「日本及に日本国民の起源」)の小谷部全一郎氏です。
日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相

日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相

餅とマッツォ

日本では、正月に餅を食べますね。
古代イスラエルでは、ユダヤ暦1月15日から7日間を「種を入れないパンの祭」を行います。
これは、過越しの祭とも呼ばれています。
種を入れないパンは、ヘブライ語で「マツァ(マッツォ、matzo)」と呼ばれました。
小麦粉を練って、イーストを入れずに焼いたパンで、パンというよりはクラッカーのようなもののようです。
このマツァがモチになったというんですね。
日本語的感覚からすると、ちょっと苦しいですね。
でも、古代ヘブライ語は子音だけで表記されて(英語アルファベットに例えれば「mtz」と書くようなもの)、母音はどういう音で発音していたか正確にはわからないんです。
だから、マツァじゃなくてモツィとか呼ばれていた、というようなこともないとは限りません。


餅の起源については、よくわかっていないのです。
一説には台湾語の「もあちい」から来ているとか。
もしそうだとすれば、ヘブライ起源はなくなります。


マツァを見ればどう考えても餅には見えないと思うかもしれないけれど、小麦粉を米に変えれば、餅みたいになるのかもしれません。
となると、「年越し」は本来は「過越し」なのか。
15日を正月とするのは小正月ですね。
また、日本で年末に大掃除をするように、古代イスラエルでは過越し祭の前に大掃除をしたそうです。


これについては、どちらとも言えないというのが私見です。
肯定も否定もできない。
古代イスラエルでマツァをどう発音していたかにもよりますね。
ただ、関係あるとしたら、そしてこの風習を秦氏が日本に持ち込んだとしたら、秦氏氏神的存在の京都の松尾大社も何か関係あるのだろうかと思ったりして。
あの神社は餅や米とは関係ないけれど、米からつくる清酒で有名で「酒造第一祖神」などといわれます。
ちょっと関係なかったかな…。

七草粥

日本では、正月七日に七草粥を食べます。
古代イスラエル人たちは、1月15日に苦菜を食べていました。
聖書に、こうあります。

そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。
旧約聖書出エジプト記12-8)


これが日本に伝わって、七草粥を食べるようになったというんですね。
平安時代頃には一月十五日頃に行われていたということで、これも過越しの祭と一致します。↓
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%83%E8%8D%89&oldid=9883682
ただ、七草粥の起源を調べると、それは中国にあって、江南地方の農民行事だったとされています。
中国では、正月7日を人日(じんじつ)とし、七草を食べて健康になろうという習慣がありました。↓
http://www.local.co.jp/hiroko/nanakusa.html


この点を考えると、この説については、古代イスラエルとの関係はちょっと否定的になりますね。


門松の由来は?

日本では正月に門松を立てますね。
もともとは松だけに限らず、常緑樹であればどんな木を立てても良かったそうです。
前述の『日本人のルーツはユダヤ人だ』によると、家の門口に常緑樹の枝を立てる風習は古代イスラエルにもあったそうです。
その由来は、ユダヤ人とエジプト人を区別するためとか。
でも、トケイヤー氏の本ではこのことが書かれていないのは、もしかしたら「そんな風習ないよ」ということなのか…。


これはどうも、過越しの祭のときの風習のことを言っているようです。
例の、玄関の日本の柱と鴨居に羊の血を塗るというものです。
これが、日本の門松と注連飾りになったということらしい。
これに対応する古代イスラエルの風習については、聖書で探しても見つからず、ちょっと情報不足です。
何か知っている人がいたら教えてください。



門松の起源を調べてみると、新年に歳神(としがみ)を迎える依代(よりしろ)として家々の門口に立てて飾るものであるようです。
歳神は大歳神とか大年神などとも呼ばれます。↓
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B9%B4%E7%A5%9E&oldid=5475375
それでハッと思ったのは、私が失われた十支族の末裔ではないかと思っている、あの秦氏のことです。
大和岩雄著『秦氏の研究』によれば、秦氏古事記の編纂に関わっていたとのことです。
この本では、その古事記大年神の系譜に、秦氏にかかわる神々が入っていることを指摘しています。
このへんで、何かつながりがあるのでしょうか。

おわりに

日本の風習などの起源を探るには、まず中国など近隣の国々の風習を調べる必要がありますね。
それをまず調べておいてから、初めて古代イスラエルとの関連云々が語れるのだと思います。
それと、もうひとつの教訓としては、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が同祖だという説)関係の本に書かれていることを鵜呑みにしてはいけない、ということです。
これはどんなことにも言えることですが、ある本の全体的な信頼性を評価するには、その著者の知識レベルがどの程度かを読者が判断することも大切でしょう。


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