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明治天皇とキリスト教の関係は真実か?


この記事は、下記の記事の続きなので、未読の方は、まずそちらを先に読むことをお奨めする。


自称「明治天皇の孫」である小林隆利牧師の言葉は、本当なのだろうか。
明治天皇が「神道は、本来はユダヤ教である。そしてキリスト教ユダヤ教を完成させるものだ」と語ったというのは、本当なのだろうか。
本当だとして、その内容自体が真実なのだろうか。
ここで誤解してならないのは、「神道は、本来はユダヤ教である」ということが、即「古代イスラエル人が渡来した」ということを意味してはいないことだろう。
調べていくうちに、更にいろいろな疑問が生じてきた。

【前提事項】
小林隆利氏は大正14年(1925)名古屋で生まれる。2007年現在で82歳ぐらい。
明治天皇は、1852年11月3日(旧暦:嘉永5年9月22日)生まれ。1912年(明治45年)7月30日崩御
明治天皇は最後の12年間(1900〜)は、糖尿病の闘病生活に明け暮れていた。
・側室の千種任子(ちくさことこ)は安政2年(1855)生まれで、子供を産めたのは40歳の1895年ぐらいまで(仮に仁内親王が1895年生まれだとすると、30歳ぐらいで隆利氏を産んだことになる)。
明治天皇の側室である園祥子(そのさちこ)は、慶応3年11月28日(1867年12月23日)生まれ。昭和22年(1947年)7月7日に死去。明治天皇から最も寵愛を受けたというが、子供を産めたのは明治天皇が病に伏される1900年ぐらいまでと推測される(仮に仁内親王が1900年生まれだとすると、25歳ぐらいで隆利氏を産んだことになる)。

【疑問点】
・仁(しのぶ)内親王という人物は公的に存在せず、隠し子だったら内親王を名乗れないはず。
内親王(女子)であれば名前に「子」が付くはずで、仁という名前は有り得ない。
・仁内親王は何歳のときに隆利氏を産んだか?(20歳で産んだ場合は1905年生まれ)
・仁内親王の母親は公的に知られている側室以外の女性か?(姓は小林か?)
・高倉寿子典侍明治天皇の夜伽の相手を決めていたので、決められた側室以外の女性と夜の交渉をもたれることは通常は不可能。可能性があるとすれば、行幸先か?
・仁内親王は、広島県福山の川村純義(かわむらすみよし)海軍中将の家で、皇太子だった昭和天皇と広島の福山で6年間一緒に生活していたというが、事実か?


最大の疑問点は、仁内親王という名前の人物が本当に存在したのかどうかだ。
ただ、いみじくもキリスト教プロテスタント)の牧師を名乗る人物が、自分が明治天皇の孫でもないのにそのような虚言を語るということがあるだろうか。
これ以上のことは、自分だけで考えていても埒があかないので、小林隆利氏ご本人にお会いするとか、皇室の事情に詳しい方の意見を聞くなどしたいものだ。

四代の天皇と女性たち

四代の天皇と女性たち、小田部雄次、文春新書
明治天皇の側室と親王内親王について調べたくて買った本。
いま読んでいるところだが、かなり面白い。
書名の「女性たち」とは、主に天皇の后(皇后)と側室を意味している。
側室については、この本で扱っている四代の天皇のうち、明治天皇だけに当てはまる。
その明治天皇は、皇后以外に5人の側室がいたが、著者に言わせると、これは天皇の好色のせいではなく、皇后との間に御子が生まれなかったせいだ(まったく好色ではなかったという意味でもないが)。
側室との間に15人の皇子女をもうけたが、そのうち成人したのは5人のみで、しかも男子は一人(後の大正天皇)のみだった。
著者は皇室制度史を専攻する学者だけあって、その辺の事情は非常に詳しい。
本書の3分の1以上を占める明治天皇の章の部分だけでも、かなり楽しめる本だ。

四代の天皇と女性たち (文春新書)

四代の天皇と女性たち (文春新書)


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