探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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誕生日に大洗聖地巡礼(オトタチバナヒメ)


今日5/5(土)は端午の節句だが、私にとっては満51歳の誕生日。
しかも、生まれたときと同じ土曜日だ。
51年前のこの日の朝、日の出直後の6:21に生まれたことになっている(病院の記録は6:22だが、インド占星術で修正してもらった)
予定日を2週間も過ぎてかなりの難産だったようだが、健康優良児として表彰されたぐらいに大きく健康な赤ん坊だったという。
もしかして「生まれたくない」と駄々をこねた、よっぽど厭世的な魂なのか、それとも5月5日に生まれなければならないよっぽどの理由があったのか…。
神のみぞ知る、だ。


昨日5/4(金)夜に、明日は聖地巡礼に行くべきかと伺うと、大洗へ行くようにと指示が出た。
行き先は、マップダウジングで、次の3箇所と出た。


大洗はよく聖地巡礼の指示が出るところだが、もうお馴染みのルートになってしまった。
指示する側としては、本来はもっと違う順番で行かせたいのかもしれないが、バスのルートの関係で、この順序で巡礼させてもらうようにしてもらった。
大洗といえば、今年に入って1月20日(土)に行ってきたばかりだ。↓

弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)

今回、ダウジングで真っ先に出たのが弟橘比賣神社だった。
いままでは「天妃神社(てんぴじんじゃ)」と表記してきたが、後述するように、「弟橘比賣神社(おとたちばなひめじんじゃ)」が正式な名称であることが今日わかったので、今後はそう表記する。
「それにしても、なぜ誕生日に弟橘媛さまなのだろう?」
これを書いている今、過去の記事を検索してみて、わかった。
昨年の誕生日に、弟橘媛さまと日本武尊さまをお祀りした走水神社(三浦半島観音崎)の神札をいただいて、お祀りした1周年の記念日だったのだ。

そうと知っていれば、神社でお礼したのに…。
もっと早く気づくべきだった。
しかし、それだけだったら走水神社へ巡礼するのが本来のところだろう。
なぜ、大洗なのか。
その理由は、行ってみて初めて悟ることとなった。

大洗へ

8:00頃に家を出て、東京駅から高速バスで水戸へ行き、鹿島臨海鉄道線で大洗へ。
いつもの聖地巡礼のように、巡礼が終るまでは断食だ。
ゴールデンウイークなのに、道路はそれほど混雑していなかった。
GWで道路は渋滞するので、大洗駅でレンタサイクルを借りることを考えていた。
だが、高速バスが予定よりも早く着いたため、なんとか巡回バスで廻れるのではないかと思ってしまった。
それが大きな間違いだったことを後で悟るのだが。
大洗を巡回しているバス「海遊号」の1日フリー乗車券(200円)を買い、12:05発のバスに乗り込む。
祝町バス停で下車して、赤い海門橋のたもとまで5分ほど歩くと、左手の丘の下に、最初の目的地である弟橘比売神社が見える。
海門橋の駐車場で、水晶ペンデュラムを取り出して「うしろの存在」を呼び出し、ダウジングをする。
今日の祈りの目的を確認したかったのだ。
すると、「民族のカルマの解消」も「地震沈静」の祈りも不要で、ただ誕生日の感謝の祈りをするようにとの指示だ。

弟橘比賣神社(弟橘比売神社、天妃神社)

弟橘媛命(弟橘比売命、オトタチバナヒメノミコト)さまは、いうまでもなく日本武尊ヤマトタケルノミコト)の妃神であり、東征の折に海が荒れた時に、自ら海に身を投じて海神の怒りを和らげたという伝説の主人公だ。
弟橘媛さまとご縁ができたいきさつについては、このブログのあちこちに書き散らしているが、主要な記事だけ下記にあげておく。


なんといってもいちばん鮮烈な記憶として残っているのは、2005年10月に初めてこの神社を訪れたときに、カニの「神遣い」が現れたことだろう。
そして、後日の巡礼では、突然に瀕死のトンボが出現したり、神社を後にした後でトンボが私の肩に停まったり。
詳細は、上記の記事を参照してください。

改築が終っていた

前回(2007/01/20)に巡礼したときには、境内へ上がる石段が工事中だった。
その工事は完了して、真っ白なきれいな石段が敷かれている。
石段を上っていくと、さきほど海門橋の駐車場で見かけた母と子供2人連れが下りてくる。



【写真】弟橘比賣神社の石段(霊感がある方へ。この写真、なにか不思議なもの写ってません?(光の筋は不思議現象ではないと思うけれど))


この神社はもう5〜6回ほど訪れているが、境内でカニやトンボや猫は何度か見かけたことがあるが、人間の姿を見たのは初めてだ(笑)。
それくらい、いままでは訪れる人が少ない神社だった。
今年になって、すぐ前を流れる那珂川のほとりにある案内地図に弟橘比賣神社が記されて、人々の知るところとなったのだろう。
石段を登りきって拝殿に近づいてみると、壁も部分的に改修されている。
石畳は、1月に訪れた時に、すでに入れ替えられていた。
そして、拝殿の背後にある本殿は全面改築されている。



生まれ変わったような姿になった神社を、しばし感慨深げに眺める。
私はこの日を夢見て、いままで祈ってきたのだ。
初めてお参りしたときに、落ち葉が積もり積もってあまりにも神社らしくない様相を呈しているために、哀しい気持になり、後日お掃除をしに訪れたこともあった。
そして、「この神社にお参りする人々が増え、神社が更に発展しますように」と祈った。
もちろん私の力でこうなったなどとは思わないが、ほんの少しでも私の祈りが「効いて」いたとしたら、嬉しい限りだ。


新しくなった拝殿で、家でお祀りさせていただいていることと、51歳の誕生日を迎えたことの感謝の祈り。
そして、「改築おめでとうございます」と。
昨日から、前頭葉に軽い頭痛が続いている。そして耳鳴りも。
強い耳鳴りがする中で、お祈りする。
祈りを終えようとすると、後ろから男性がお参りしにきた。
またもや人間だ。^^

新たに判明した神社の由来

拝殿の脇を見ると、新しい立派な石碑が建てられている。
そこには、こう書かれている。

弟橘比売神社本殿改築・拝殿補修・参道改修記念之碑
祝町の産土大神と称え奉る弟橘比売神社の御祭神は弟橘比売命・豊御食大神二柱の大神なり 海上の守護・畜産興業・家内安全の神として古来より人々の深く厚い信仰が寄せられて居ります
昭和十七年国営事業として那珂川河口流域改修工事が行われていたとき那珂川河畔に鎮座していた弟橘比売神社・沖洲神社の二柱を合祀奉斉し昭和十八年現在地に遷座
【後略】(省略部分の概要:氏子や崇敬者二百余名の協力を得て、3月に改築を終え、平成18年12月28日本殿遷座祭、今年の例大祭に併せて竣工奉祝祭を執り行った)
  平成十九年四月吉日 弟橘比売神社 宮司 ○○○



このように熱心な崇敬者がいらっしゃることを、非常に嬉しく心強く思う。
女神さまも、さぞ喜ばれていることだろう。
祭神が弟橘比売命さまだけでなく、豊御食津大神(トヨミケツオオカミ)さまもお祀りされているとは知らなかった。
古い碑文にはその神名は見えない。
豊御食津大神とは、伊勢神宮の外宮に祀られた豊受大神(トヨウケオオカミ)と同一の神と思われる。
この外宮の神は、たんに天照大神のお食事を司る神というだけではなく、本来は一種の最高神として祀られたという説もある。
元伊勢・籠神社(このじんじゃ)の現宮司氏などは、この神を「イスラエルの神」と同一の存在であると思っている節がある。


今日この神社にお参りするように指示された理由は、改築工事が終了したお祝いということと、前述のように、家でお祀りしてから今日が1周年ということがあったのだろう。
「うしろの存在」は、何もかもお見通しなのか。
それとも、女神さまに「呼ばれた」のだろうか。


媽祖(天妃)さまに対しても祈った。
この神社は、元々は天妃神社といい、元禄三年(1690)4月6日に、水戸藩の主・徳川光圀公(いわゆる水戸黄門さま)が、明の高僧・心越禅師が持ち帰った天妃の像を祀り、天妃山媽祖権現を創始した。
その後の天保二年(1831)に、藩主徳川齋昭公の代に天妃像を引き上げ、御祭神を弟橘比売命とし、現社名に改めたという。
この地にも、弟橘媛が海に身を投げたあとで、櫛が海辺に流れ着いたという伝説があるらしい。
媽祖さまといえば、中国の海の女神。
もともと実在の人物で、優れた超能力で知られる女性シャーマンのような存在だった。
インドネシア・ジャワ島の女神ラトゥ・キドゥルといい、私はつくづく海の女神さまにご縁があるようだ。


上記の新しい碑文をメモ帳に書き写しているときに、メモ帳の上にひとひらの桜の花びらが落ちてくる。
上を見上げても、桜の木はない。
境内中を捜してみると、鳥居の方向10mほどのところに1本、サクラの一種だと思われる木に花が咲いている。
それが風で舞ってきたのだろうが、たまたまメモ帳の上に舞い降りたのか、それとももしかしてオトタチバナヒメさまが喜ばれているのか…。


祈っているうちに、頭痛が治まってしまった。
晴れ晴れとした気分で、神社を後にする。



(もしこれがサクラでなかったら、植物の名に疎い私にどなたかご教示ください)

大洗磯前神社

祝町から海遊号に乗り、大洗磯前神社前で下りる。
道路はかなりの渋滞だった。
長い石段を登っていき、境内に出る。
ここへ来ると、なぜかいつも心洗われる気分になる。



拝殿で、主祭神の大己貫命(オオナムチノミコト)と少彦名命スクナヒコナノミコト)にお祈り。
いつもならば(特に「民族のカルマ解消」の祈りのときには)、ちょっと重い気持になるのだが、今日は感謝の祈りを捧げるだけだから、かなり気が楽だ。
だが、この神社での参拝はちょっと大変なことがある。
末社として、いろんな神々が祀られていて、どれも縁が深そうな神さまばかりなので、素通りして帰るわけにはいかないのだ。
私のことだから、お祈りするとなると、パンパンと手を打って数秒間瞑目してハイ終わりというわけにはいかない。



これらの神々に対してお祈りしていて、誕生日に大洗に行くように指示されたもう一つの理由がわかったような気がした。
家でお祀りしている神々や縁ある神々に、感謝の祈りを捧げることができるのだ。
お祀りしている神々としては、弟橘比賣神社の弟橘媛さまを除けば、神棚にお祀りした天照大神さま、七福神としてお祀りしている大国主命さまだ。
境内の塀の上には、氏子の方々が奉納したのだろう。
大黒様の像がたくさん置かれている。
そして境内社として諏訪大明神もお祀りされている。

おみくじでリベンジ(?)

おみくじを引く。
出たのは、28番の「大吉」だった。
4/30の奈良巡礼では、東大寺大仏殿と春日大社で続いて「凶」が出てしまった。
おみくじは大吉とか凶という結果よりも書かれた文言が大切とはいうものの、やはり気分がすっきりしない部分が残る。
誕生日に大吉をいただけるというのは、やはり嬉しいものだ。

活気付く時。環境の変化あるが、楽天的でよし。発展を望むであれば自己の意識を高め、世界を広く見つめよ。別離も後に役立つ。

なんだか意味深な部分もあるが、楽天的であることはたしかに大切だろう。
「病気:全快間違いなし」
自分のことでなく家族のことだったら嬉しいのだが。

道路は渋滞、電車に乗り遅れ…

また頭痛がしてきた。
さきほどは一時的に止まっていたようだ。
大洗磯前神社を後にして、最後の目的地である大洗・諏訪神社へ向かう。
…はずだった。
だが、海遊号は予定時刻の15:05を15分すぎてもまだ来ない。
16:00頃までには諏訪神社でお参りして、16:17分大洗駅発の電車に乗らなければ、水戸発の特急の指定を取ってしまっているのでまずいことになる。
こうなったら、大洗駅まで歩くしかない。
諏訪神社は諦めるしかない。
明日、1日遅れになるが、産土神さまの武蔵野神社にお参りしよう。


買ったばかりのFOMAの携帯(N903i)を取り出し、iアプリのナビ機能を初めて使ってみることに。
駅まで2.7キロほどある。
残された時間は30分ぐらい。
最初のうちは調子よく進んでいたが、駅の間近になって、行くべき方向がわからない。
道を間違えてしまい、駅に着いたのは発車した後だった。
次の鹿島臨海鉄道線に乗り、水戸駅のホームに電車が滑り込むと、乗るべき特急スーパーひたちが向かいのホームにいる。
だが、ドアが開いたとたん、特急のドアが非常にも閉じてしまった。
30分後のスーパーひたちの自由席で上野まで立って帰る羽目になってしまった。
というわけで、「大吉」というのは、どこが?…という巡礼の終り方だったが。
家に帰ると、家族が料理とケーキを用意して待っていた。
急遽指示された巡礼のおかげで、印象深い誕生日となった。


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