今日の朝日新聞の夕刊で、小さい記事が目に止まった。
平安初期の武人で上級貴族だった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の墓を、京都大大学院文学研究科の吉川真司・准教授が文献調査によって特定したという。
田村麻呂といえば、征夷大将軍として東北の蝦夷を討って名をあげた将軍だ。
京都・清水寺を創建した人物としても知られている。
その清水寺に残る平安後期編纂の「清水寺縁起」に、墓の位置が記されていたという。
これはあまり知られていないが、田村麻呂は諏訪の神への信仰が厚かったという。
京都から東北にかけて存在する各地の諏訪神社で、坂上田村麻呂が東夷出征の際に、戦勝を祈願して諏訪大明神を勧請したたという伝承が残っている。
私が聖地巡礼で訪れたいくつかの諏訪神社でも、そのような伝承があった。
今年の正月に巡礼した京都の諏訪神社は、田村麻呂の創建だと伝わっている。
清水寺の真西に位置していたのが興味深かった。↓
http://061196246067.cidr.odn.ne.jp/nmomose/20070103
京の東の玄関口である地に、立ったままの姿で葬られたといわれる。
上天しても京を守る守護神的存在と期待されたのだろう。
私の過去生のどこかでつながりがありそうな人物ということもあって、ブログで紹介することにした。

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