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イエスの墓発見か?+α


mixiのトップページで、「イエスの墓発見か 欧米で論争」というニュースが目に止まった。
mixiは見られない人もいると思うので、Yahoo!ニュースで探すと、同じ毎日新聞ニュースのソースがあった。
他のニュース記事でも同じだが、Yahoo!ニュースなどのニュースサイトの記事は、比較的短時間で削除されてしまう傾向にあるので、ブログ記事でリンクエラーになった時にはご容赦ください。


今年2月、米国の有名映画監督らがエルサレム郊外にある墳墓を「イエス・キリストと家族の墓か?」と発表した。
これが欧米で話題となり、宗教界や学術界などでも大論争となったもの。
エルサレム旧市街の、いわゆる「ゴルゴタゴルゴダ)の丘」の聖墳墓教会から南に約3キロ行った、エルサレム市内の「東タルピオット」という地区に墳墓がある。


だが、この記事を読む限りでは、これが本当にイエスの墓だった可能性は低そうだ。
80年の発見当時の調査にかかわったエルサレムの考古学者、シモン・ギブソン氏も「多くの推論と、誤った科学的手法の実践で成り立っている。目覚ましい『事実』は何もない」と述べている。

本当のイエスの墓は?

イエスの墓については、「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」終点である聖墳墓教会の中にあるものがそれとされている。
もう一つ、プロテスタントなどの人々が主張するのは、旧市街を出てすぐのところにある「園の墓」と呼ばれるもの。
そのどちらが本当の墓なのかということについては、証拠となるものがないので、なんともいえない。
そのことについては、拙著『ヴィア・ドロローサ〜イエスが歩いた悲しみの道』(ボイジャー電子書籍/オンデマンド本)で書いている。↓


この論争に決着がつくのは、将来もしこのことに関する考古学的発見があったときだろうが、だいたいイエスは「復活」したとされているので、それが事実ならば遺骸はどこにも残っていないわけだ。
何をもってして本当の墓だとするのかは、難しいところだろう。

「悲しみの道」はどこ?

…と、ここからは口語体に変えて。
以前に何度か書いたように、前述の「ヴィア・ドロローサラテン語で悲しみの道の意)」にしても、現在言われている道が本当にイエスさまが十字架を背負わされて歩いた道であるかどうかは、疑問が残るのです。
というか、徹底的に調べていくと、そうでない可能性の方が高くなってくる。
でも、いわゆるローマカトリックという権威によってそうだとされてしまったからには、いまさら引っ込みが付かないというのもあるのでしょう。
その辺も、前述の『ヴィア・ドロローサ』で書いています。

歪められた開祖像

というわけで、イエスさまの短い人生の中での足跡については、わかっていないことが非常に多いわけです。
ただ一つ言えることは、ナザレのイエスという人物は実在していたのであり、それは歴史学的にも明らかになっています。
このような宗教の開祖については、後世の人々によって必要以上に神聖視されてしまう場合が少なくなく、イエスさまや釈尊についても、そういう要素がないとはいえないでしょう。
ヴィア・ドロローサ』では、そのような要素をなるべく排除していった上で、実際にイエスという人物がどのような人(と言ったら怒られるかもしれないけれど)だったのかを、いろんな角度から書いています。


お釈迦さまについては、はっきり言ってしまうと、キリスト教以上に「歪められた」部分が多いように思います。
というか、いわゆる大乗仏教と呼ばれる仏教では、釈迦という人物が直接説いた教えとは限りなく遠くなってしまっている。
日本に入ってきて更に変形された「仏教」を見ると、お釈迦さまの教えとは正反対なことを言っている場合もあると思うのです。
そのへんのことは、また機会を改めて書きたいと思っています。
祭り上げられた聖人よりも、より人間臭い部分もある人物像を見た方が、より感動を得られるという場合もあるのではないかと思うのです。


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