探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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諏訪大社・御頭祭の映像


2007/04/15、諏訪大社の御頭祭(おんとうさい)に初めて行ってきました。
そのときに撮影したビデオ映像を、やっと今日YouTubeで公開しました。
今日はほとんど1日中ビデオの編集をやっていました。
けっこう時間がかかるんですよね。こういう作業は。
御頭祭の映像がネット上で公開されるのは、これがはじめてかもしれません。

YouTube投稿の動画

ぼくのYouTubeのページは、このブログのトップのメニューにある『MOVIE』をクリックするとジャンプします。
今回ファイルを2つに分けたんですが、それでも1つが7〜9分という長いものになってしまいました。
最近YouTubeは重いので、時間帯にもよりますが、ブロードバンド環境でも何度も止まってしまうでしょうね。
そういう時には、止まりながら再生しておいて、再生のバーが全部赤くなったら(読み込みが終ったら)また始めに戻って再生してみてください。スムーズに再生されます。
または、PC上にファイルをダウンロードしてから再生する手もあります。
これをやるには、ネット上でいろいろ出回っているダウンロード用のフリーウエアを使ってください。


ちなみに、私が使っているのは、VDownloader(英語版)というものです。
これの良いところは、MPEGなど様々なファイル形式に変換して保存できることと、一度に複数の動画を平行してダウンロードしてくれるところです。
データをDVDに焼くことを前提としているならば、DVD形式(NTSC)も選択できます。
エラーが出てダウンロードできなくなるときがありますが、アプリを再起動すれば復活します。
ダウンロードはこちらから。↓
http://cowscorpion.com/dl/VDOWNLOADER.html


◎御頭祭(1)
http://youtube.com/watch?v=EviBftk-2p0


◎御頭祭(2)
http://youtube.com/watch?v=gYsrr7Z9dp4

御頭祭について

御頭祭は、現在は毎年新暦4月15日に行われますが、むかしは旧暦3月の酉の日に行われたので、「酉(とり)の祭」とも呼ばれました。
諏訪大社上社では最も重要な祭事とされています。
2007年4月15日、13:00に開始されました。
まず上社本宮で御神体を神輿に収める儀式などがあります。


続いて、本宮から上社前宮までの1.5キロほどの距離を行列します。
行列には、諏訪大社の平林成元宮司、守矢家当主などの神社関係者のほかに、国会議員などのお偉方も加わっています。
平林宮司は、2004年に亡くなられた松本昌親宮司に代わって、初の長野県出身宮司となった方です。
神輿の他に、薙鎌(なぎがま)などの神具をもった人々が行列に加わっています。
かつて少年が縛り付けられたという「御贄柱(おにえばしら)」または「御杖柱」とも呼ばれますが、これも行列の中で運ばれています。


行列が上社前宮に着くと、神事が行われる十間廊の中に神輿が入っていきます。
そして、昔はここに75頭の鹿をはじめとする供物が供えられました。
現在は、鹿は剥製の代用品となってしまっていますが。
このお祭に使われる神具などは、とてもカラフルで美しいんですが、YouTubeで変換された画像を見ると、元の色が飛んでしまっているんですね。
元のきれいな色をお見せできないのが残念です。

失われた十支族との関係は?

御頭祭でかつて行われた神事が、旧約聖書・創世記のイサクの伝承に似ていることは、よく知られています。
私のノンフィクション作品群「聖地巡礼ファイル」の『#250 古都に隠された十字架(前編)』で書いているので、興味がある方は読んでみてください。↓
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/index.html


また、旧約聖書との類似点については、下記のブログでも詳しく書かれています。


◎75頭の鹿の生贄
かつてこの御頭祭では、75頭の鹿が生贄として奉げられました。
この75という数字の意味するところに気づいたときには、驚きでした。
このことについては、以前に書いた記事を読んでください。↓

動物、しかも四足の獣の生贄を供えるというのは、血のケガレを忌み嫌う神道的ではない。


あまり長々と書いている余裕はありませんが、今回は『十間廊(じゅっけんろう)』に着目してみます。
これは、上記の映像で御神事をやっている上社前宮の建物の名称です。
神輿を十間廊に安置するのは、かつて古代イスラエルで契約の箱(アーク)を幕屋に置いたことと共通するではないか。
Web上で検索していて、『幕屋の構造』という素晴らしい研究成果のページを見つけました。


1間とは約1.818メートルだから、十間廊の長さが本当に十間だとすれば、約18メートルということになります。
これに対して、幕屋の聖所は、長さが30キュビト(13メートル)、幅が10キュビト(約4メートル半)で、十間廊と同じくらいの大きさで、入口が東側にあるところまで同じとのことです。
また、両者の外観を較べてみると、とてもよく似ています。
両方とも、屋根はあるが壁がなく、柱を等間隔に並べていて、骨格だけの建物のようになっているのです。
下記の江戸時代の十間廊の絵と、上記『幕屋の構造』にある幕屋(聖所)の模型の写真を見比べてみてください。


この2つは似ていませんか?
どちらも、東西に細長い建物です。
ただし、神輿を安置する場所が、東と西で逆転しているところが異なります。
幕屋では、西側が契約の箱を置く至聖所だが、十間廊では、逆に東側に神輿や供物を供えるようになっているんですね。
これが一つの謎です。

守矢家のこと

ちなみに、ある人から聞いたところによれば、守矢家の当主(女性)はクリスチャンだとか(未確認情報)。
この映像で「守矢権禰宜」と呼ばれているのが、その方なのかもしれません。
どなたか、このへんの事情をご存知の方がいらしたら教えてください。
YouTubeの映像では、紅一点で白装束を着て行列に加わっている女性が映っています。
嫁に嫁いだ先がクリスチャンだというのならば、話はわかるんですが。
もし、自らキリスト教徒になったというのならば、ちょっと「探求」してみたくなりますね。
なにしろ、守矢家の家紋は「丸に十字」ですから。
もっとも、この程度のことで諏訪信仰とキリスト教を結び付けてはいけないと思うんですね。
諏訪大社には、さすがにアミシャブ(アミシャーブ、AMISHAV−失われた十支族を探すイスラエルの調査機関)が調べに来るだけあって、ユダヤ教との関連性を示唆する要素はいろいろありますが、キリスト教と結びつけるものは…あんまりないですね。


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