探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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元日の諏訪大社と百瀬家のルーツ


【長文注意警報】^^;
下記の部分だけ読みたい方はクリックでジャンプします。
■百瀬家のルーツ
■諏訪と古代イスラエル10支族


遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
今年も探求三昧をよろしくお願いします。
今年は、自分にとっても世界にとっても、どういう年になるかわからないけれど、大きな災害とかが起きなければ良いですね。
今年も陰ながら祈っていきたいと思います。
うちのナマジーが毎日のようにピーピー鳴っているのが気になりますが。
巷では帰省ラッシュのピークのようですね。
こちらは6日まで仕事が休みなので、まだのんびりしていられます。


元日は、直前の指令によって、はじめて諏訪大社に初詣してきました。
そのことと、それから百瀬家の先祖のルーツについてもちょっと書いておきます。
私のことだから、書いてるうちにいろいろと脱線していって、収拾がつかなくなるかもしれないけれど。^^;
新年早々、超長いですよ。^^
小見出しをつけているので、自分に関係ないと思うところは読み飛ばしてくださいね。

元日の指令

大晦日、0時を回った頃に神棚に手を合わせ、ダウジングを始める。
昨年後半は体調を崩したりで、ほとんど聖地巡礼ができなかった。
今年の正月は事情があって、遠出の聖地巡礼はできない。
元日はどこへ行くべきかと伺うと、諏訪へ行くようにとの指示。
ハイウエイバス.comで高速バスを予約して、眠りにつく。
今からだと早朝発の便は無理だからと、時間的な理由で下社2宮はあきらめた。


翌朝、新宿駅西口9:20発のバスに乗り込む。
さすがに元旦に移動する人というのは、そう多くはないから、直前の予約でもなんとかなった。
それでも一つ前の便は満席になっていたが。
いつもならば中央道は八王子あたりまで渋滞が続くのだが、それもない。
デイパックには、諏訪大社の神札が入っている。


意外に思われるかもしれないが、正月に諏訪大社に初詣したのはこれが初めてだ。
ここ数年は、大晦日に諏訪へお札をいただきに行って、その足で伊勢へ行ったり京都へ行ったり。
知らない人は、もっと意外に思われるだろうが、(今生で)初めて諏訪大社に参拝したのは、つい5年前の2003年6月のことだった。
うしろに諏訪の神さまがついていますと言われる人間がこれだから、それまでの人生が不運だったとしてもおかしくはない。
しかも、そういう人間が外国の女神にうつつを抜かして「契約」を結んだりしたもんだから、こっぴどく怒られていたというのも無理は無い。
そうしてはいけないというのではなく、正しい順番があるということ。


…というようなことは、5年前に某カミンチューに指摘されてはじめて悟ったことだ。
いつもお参りしていた近所の武蔵野神社が、じつは諏訪大社を合祀していたということを知ったのも、そのとき。
何度引越ししても、自分の意志にかかわらず、常に諏訪神社の近くに住むような定めになっているのだ。
神の導きなくして、こういうことが起きるものだろうか。


神の道具として遣われるべき人が、そういう役目を悟らないと、他の何をやってもうまくいかない。
だから、そのような人は、自分で無理ならば霊能者とかの力を借りて、早く悟るべきだろう。
私のように、40年以上もかかるようなことにならないように。

上社前宮

バスはスムーズに進み、予定よりもちょっと早く12:00前に中央道茅野に着く。
外は快晴で、暖かい。
道路際に雪がちょっと残っている程度。
正月ということに限らないが、歩いている人とすれ違うことは、ほとんどない。
いつもならば、10:00すぎにバスを降りて、16:00にならないうちに諏訪大社4宮を回らなければならないので、急ぎ旅になる。
今日は上社2宮だけを回るので、比較的のんびりできる。
道路は、意外にも空いている。
正月は、この前宮・本宮を通る道路は渋滞していると思ったのに。
徒歩20分ほどで、上社前宮に到着。



このお宮は、いろんな意味で変わっている。
境内があって社務所や十間廊のような建物があるのだが、肝心の拝殿は、境内を出て更に山側へ上ったところにある。
メインの拝殿が、道路の前にいきなりあるのだ。
しかも、本殿というものがなく、御神体は拝殿の向こうにそびえる守屋山となっている。


いままで何度も書いているけれど、霊感があるような人々は一様にこの前宮がもっとも良いものを感じる聖地だと言っている。
諏訪大社は上社・下社の4宮から成り、上社本宮や下社秋宮の方が境内が広く、人もずっと多く訪れるのに。
私自身も、5年前に初めて諏訪大社にお参りしたときに、同じように感じた。
そう思っていたら、あの江原啓之さんあたりも前宮を絶賛していたことを、後になって知った。


江原啓之神紀行 5』(マガジンハウス)という本でのことだ。
この本では、諏訪大社4宮を回ったことが、かなりのページ数を使って書かれている。
下社秋宮→下社春宮→上社本宮→上社前宮という順番で廻った。
最後に前宮に着いた江原さんが感じたのは

前宮こそ日本屈指のスピリチュアル・サンクチュアリだったのです。
江原啓之著『江原啓之神紀行 5』、マガジンハウスより)

ということ。
最近、諏訪が注目されているのは、この理由もあるのかな。
江原さんは、出雲の神さまがついているように見受けられるから、諏訪でそう感じたというのは納得がいくところだ。

江原啓之神紀行5 関東・中部 (スピリチュアル・サンクチュアリシリーズ)

江原啓之神紀行5 関東・中部 (スピリチュアル・サンクチュアリシリーズ)


そして、前宮の拝殿前を流れる名水『水眼(すいが)』。
みんな口をそろえたように、あの水は特別だと言う。
沖縄・大国みろく大社のかみんちゅ比嘉良丸さんも、そう言っていた。
行く度に口にしてみるが、たしかに美味しい水だとは思うが、何がそんなに良いのか、よくわからない。



上社前宮は、元日というのに人出はすごく少ない。
初詣に来ても、みんな上社本宮でお参りを済ませて、それで良しとするのだろう。
前宮こそが歴史的にも最も古い最高聖地なのに。
拝殿前に着いたときには、他に誰もいなかった。
瞑目して手を合わせていると、言葉では表現がむずかしいが、すごく感じるものがある。
いちばん人が多く訪れる上社本宮では、あまりそういうものは感じられない。
いつものように、お祈り。
顕界と霊界に霊的進化と調和が興り、地球に神の国ができ、宇宙全体が平和になりますように、と。
そして、諏訪大社にお参りされる方々、氏子の方々、この地域に住む人々がすべて幸せになり、霊的成長ができ、地域と神社がさらに発展しますように。
最後に、今年も大地震など自然災害で死傷者が出ませんように、大難を小難に振り替えていただきますようにと、眉間のアジナチャクラに集中して念じる。

諏訪大明神のお墓?

前にも何度か書いているように、この拝殿の塀の中には、「諏訪大明神のお墓」がある。
以前に、お供物をお供えしていた神官の方に伺ったところ、たしかにあるのだという。
大祝さまのお墓ではなく、「建御名方神さまのお墓」なのだという。
石垣に囲まれた一角がそうだとのこと。
たまたま神官の方がお供物をお供えしていて、前の扉が開いているときでないと、正面からはその石垣は見えない。
だが、拝殿の左横へ回れば、外から見える。
さすがに、写真を撮るのはまずいと思い、いまだに撮影していないが。


そこに、本当に建御名方神の体が安置されているのかどうかは、誰も知らないという。
そういうお墓があると言われていること自体、あまり知られていないようだ。
私も、数年前に自分が主宰するmixiの「諏訪大明神」コミュで、ある人から教えてもらうまで知らなかった。
ネットで調べてみても、たぶん無駄です。
見つかるのは、探求三昧の記事ぐらいなので。^^;
まあ、日本神話に出てくる神さまとはいっても、もとは生身の身体をもった人間なので、お墓があってもおかしくはないだろうが。
日本有数の信仰を集める神社の境内にそれがあるとは、これも変わっているところだろう。

子安神社

前宮を出て、子安神社へ。
諏訪大社上社摂社で、上社前宮から本宮の方へ数十メートル歩いたところにある。
その名の通り、安産のご利益があるとされている。
家内が妊娠中のときに、ここに柄杓(ひしゃく)を収めて安産を祈願した。



この神社をネットで検索しても、ほとんど情報は出てこない。
「諏訪 前宮 子安神社」とかでググッてみると、トップに出てくるのは探求三昧の記事だったりする。^^
ほんの狭い境内に立つ、小さな神社なのだ。
境内の立て札によると、御祭神は、建御名方神諏訪大明神)の母神とされる高志の沼河姫命(ヌナカワヒメ)と言われている。
ここは無人の神社で、安産祈願をする場合は、上社前宮の社務所で柄杓をいただく。
いくらだったかはっきり覚えていないが、1,000円ぐらいをお納めするようになっていたと思う。
その柄杓に名前と祈願内容を書いて、祠の柵のところにかけておくのだ。

上社本宮

上社前宮から上社本宮へは1.5Kmほどの道程で、歩いて20分ほどかかる。
本宮まであと半分というところを過ぎたあたりで、車の渋滞が始まっていた。
ここの駐車場は狭いから、空くのを待っている車のせいだろう。
地元の人ならば、そういうことは百も承知のはずだが、それでも懲りずに車で来る。
近くに駐車場があればそこに停めて、歩いてお参りするのが正解だろう。


上社本宮の前に着く。
北側の鳥居前がいちばん賑やかで土産物屋が立ち並ぶ参道もあるのだが、本来はこの東側の鳥居から入るのが正式なのだという。
階段を上った内側の境内は、入場規制が出ていた。
前宮と人出の違いに驚く。
内側の境内に入ると、拝殿前まではかなりの行列ができている。
後ろから押されるほどの混み様ではないが。
少しずつ、雪が降り始めた。



ここでは、さすがに前宮でゆっくり祈ったようにはいかない。
後ろが気になって、あまり長居はできない。
だが、前宮で祈ったのと同じことを急いで念じる。


拝殿の右側に、見慣れない建物が建っている。
勅願殿と書かれている。
立て札の説明によると、勅願とは本来は天皇の御祈願という意味だが、諏訪大社では(個人の)御祈願を行う場所ということらしい。
古くからあったものを、今年になって復活したという。


社務所で、神札をいただく。
サイズがいろいろあるが、木製の大き目のもので、2,000円を納める。
今年はよく見なかったが、御柱祭の際に撤去した御柱から作られた割り箸とかも置かれていたかもしれない。
以前にその割り箸をいただいて帰ったのだが、さすがにもったいなくて、それで食事をする気にはなれないので、いまだに神棚に置いてある。
そういういろんな形で、古い御柱は利用されているようだ。
割り箸を作るくらいならば、たとえばミニ御柱とかいって、家の神棚の四隅に建てられるようなものを作ればどうかと思うが、そういうアイデアを出す人はいないようだ。



内側の境内を出る。
雪がだんだん強く降り始めてきた。
おみくじを引くと、2番の大吉。

何事にも末にみこみあり
改め変えれば良き運なり
驕り高ぶらず
意思強く信心すれば
龍(たつ)が風や雲を得て天に昇るように出世する運で
辛抱が第一也


正月早々、縁起が良い。
とはいっても、手放しで大吉ではなく、辛抱すれば末に良くなるということらしい。
とにかく、個人的には良い年になるのだろうか。


諏訪大社4宮で過去に20〜30回おみくじを引いているが、大吉が出ることはあまりなかった。
これで4度目ぐらいだ。
いままで、聖地巡礼しておみくじを引いた記録をつけているのが百数十回で、そのうちの25%が大吉だった。
平均的な大吉が出る確率は、16%前後なのだが、やはり多い方だろう。
だいたい、縁ある(と思われる)神さまのところへ初めてお参りしたときに、大吉が出ることが多かったように思う。
だが、「身内的な神さま」の場合、厳しくて、あまり大吉を出してくれなかったりするのではないかと思う。
もとより、おみくじというものは、大吉が出たから良いというものでもない。
おみくじを引く前には、いつも「今の(今年の)自分に合ったおみくじを引かせてください」と手を合わせて祈っている。

白だるま

雪降る中を、本宮の境内を出て、土産物が並ぶ参道を歩く。
正月の諏訪大社周辺には、なぜか達磨(ダルマ)を売る出店が多い。
ある店では、白いダルマを売っている。
赤色以外の達磨は、はじめて見た。
他にも、いろんなカラーのダルマがある。



1月中旬には、諏訪大社上社本宮の駐車場でだるま供養祭が行われるという。
僧侶が読経をあげるというから、諏訪大社の祭礼ではなく関連したお寺の行事なのだろう。
全国のだるまの80%は高崎で生産されるというのだが。
なぜ諏訪でダルマなのか。
ちょっとウィキってみる(=Wikipediaで調べる)。
だるまの色が赤いのは、達磨が赤い衣を着ていたとされる事に由来するが、他には、赤色に魔除けの効果があると信じられていたり、疱瘡を引き起こす疱瘡神が、赤色を嫌うと信じられていたことにも理由があるという。
白だるまについては、語られていない。
単に、2006年現在では、赤色以外にも、黄色、白色、緑色、金色等の色で塗られているという記述があるのみ。


他サイトをググッてみると…。
高崎でカラーだるまを売っているサイトがあって、そこでは白だるまは「博学だるま」として売っているので、受験生などに好まれるのかもしれない。
甲州では、親子だるまといって江戸時代から白いだるまが作られていたという記述も見つけたので、意外と古くからあるもののようだ。


土産物屋で買い物をしていると、参道を神輿が通る。
諏訪では御柱とかいろいろ見ているけれど、お祭りで神輿を見るのは珍しい。


諏訪市博物館

時計を見ると、14:30頃。
中央道茅野発のバスは、16:00過ぎ。
1時間ほど時間がある。
本宮の参道が終ったところにある諏訪市博物館へ行ってみる。
元日だから閉まっているかもしれないと思ったが、開いている。
「なつかしの諏訪 写真展」という企画展示があるので、入ってみることに。
入口前には、足湯があって、誰でも自由に足を浸かることができる。
入ろうかと思ったが、博物館でゆっくり見たいので、あきらめる。


諏訪市がやっている博物館なので、入館料は310円と安い。
平成2年にオープンで、近代的な建物はまだ新しい。
諏訪信仰、特に御柱祭について調べたいという人には、来訪必須の場所だ。
常設展示は基本的に変わらないのだが、私などは何度訪れても飽きない。
ここに来ると、まず入口に並んでいる資料に目がいってしまって、しばらく動けなくなる。
諏訪に来ないと他ではなかなか入手できないというような出版物が多いのだ。
この博物館で出版されているもの、たとえば御柱祭の資料もある。


この企画展示は、この日が初日だったようだ。
大正時代から昭和初期にかけての諏訪の珍しい写真がいろいろ見れて、面白い。
昭和初期には珍しいカラー写真も見られる。
諏訪大社関係の写真が期待していたほど多くなかったのがちょっと残念。
でも、自分が生まれた年である昭和31年の御柱祭(里曳祭)の写真がたまたまあった。
この里曳祭の期間中、恐らく本宮や前宮に建て御柱が建てられる日の日の出直後(1956/05/05(土)6:21)に、私は東京で生まれているのだ。
諏訪に先祖のルーツがある「御柱男」としては、感慨無量になる写真だ。

なつかしの諏訪 写真展
百年前の昔から− ちょっと昔まで
諏訪市博物館
2008/1/1〜3/30
詳細は下記ページから『第51回企画展「なつかしの諏訪写真展」』のところをクリックする。
http://www.city.suwa.nagano.jp/scm/index.htm


2階へ上り、常設展示を見る。
御柱関係の展示は何度も見ているので、素通り。
古代の諏訪湖のことに関して何か情報はないかと見て回るが、めぼしいものはない。
もっとも知りたいのは、いつの時代に湖面がどのくらいまで達していたか、ということだ。
ただ、縄文時代の頃の諏訪湖周辺の遺跡の分布を見ると、やはり推測される古代の諏訪湖の湖面に沿って遺跡が分布している。
湖岸の位置がくっきりと浮かび上がってくるのだ。
そのことについては、こちらの記事で書いている。↓


他にも、たとえば常設展示室1(民俗)にある映像「ヒマラヤの御柱映像資料」も、御柱祭について研究される人々には必見だ。
あのネパール・カトマンドゥのインドラ・ジャトラという祭の様子を収めた映像が見られる。
なぜこんなにも御柱祭と似ているのか?


1階の入口で動けなくなると書いたが、図書コーナーではもっと動けなくなる。
諏訪関係の貴重な書籍が集められている。
私は本好きの人間で、大きな書店へ行くと2〜3時間出て来れなくなるが、ここでは半日ぐらい居られるだろう。
1時間ではとても時間が足りない。
それだけ、個人的に調べるべきことが多いということだ。


百瀬家のルーツ


この部分、ちょっと詳細に書きすぎているので、自分とは関係ないと思う人は読み飛ばしてください。^^
その図書コーナーで、1冊の本を読み耽ってしまった。
信濃の紋章』(西堀社史、郷土出版社)という本。
以前にも小平の図書館で見つけた本だが、新たな認識を得た。
百瀬家の先祖のルーツを調べたいというのが目的だ。
うちの父方の百瀬の祖先は代々諏訪に住んでいて、武家だったという。
系図などは残っていなく、わかっているのは、家紋が丸に上の字ということぐらい。


この本によれば、百瀬姓は松塩筑地方に最多の苗字だという。
特に松本の西山麓の波田・山形両村と、松本の東山麓の松本市入山辺、中山、寿、塩尻市片丘、平坦部の同市広丘などに多い。
最も多いのは波田村(今は波田町)で、全村の八分の一。
次が松本市寿で、六分の一。
ここは、百瀬陣屋があるところ。
百瀬姓は家系同一ではなく、家紋も20余種類あるので、一筋縄ではいかない。
三つ柏、剣三つ柏、藁柏などの紋が全体の半数を占め、次に多いのが丸に上文字だという。
それは中山、山形の両村に特に多い。


家紋がわかっていても、一筋縄ではいかないのは、百瀬姓に改姓している苗字が多いこと。
この本では、そこまで調べている。
たとえば、百瀬姓で丸に上文字の家紋が多い中山村は、降幡、松田から百瀬へ改姓している。
同じく山形村では、児玉、上条、加納から百瀬へ改姓しているケースがある。


この波田町山形村、中山のあたりは、興味深いところがある。
このあたりには昔、大野牧(波田町山形村)、埴原牧(松本市中山)といった「牧」があった。
牧というのは、平安時代頃に皇室の用馬を放った牧場(御牧)のことだ。
そして、それら牧の地頭だったのが、波多(秦)の巨勢氏(波多腰氏)だったというのだ。
やはり諏訪の近くにも秦氏はいたのだ。
諏訪大社・下社の祝家は多氏の系列である金刺氏だった。
多氏と秦氏は常に密接な関係にあったようだが、ここでも何らかの関係があったのだろうか。


そして、この牧があった周辺で百瀬の姓が多く見られることとは、何らかの関係があるのかもしれない。
つまり、秦氏とつながりがあるかもしれないということ。
あくまでも可能性としてだが。


前述の本では、百瀬姓のルーツとして、江戸時代に五ケ村の名手を代々勤めた百瀬家があって、百瀬左丞源義組(よしとも)が全百瀬の先祖だったとある。
その清和源氏の流れを汲む人物が、建武二年(1335)にはじめて桃瀬を名乗ったという。
伊那から移住してきた義組がいまの寿区に住み、地名を取って桃瀬とした。
その子孫の次郎三郎組長(ともなが)が憙慶二年(1388)に、百済帰化人に師事して、桃瀬を百瀬に変えた。
その家紋は二重亀甲に剣かたばみだという。


やはり、百瀬家は清和源氏につながるのだろうか。
だが、改姓した可能性も考慮に入れなければならないだろう。
家紋の丸に上文字は、本来は村上氏の家紋であるので、村上氏の流れを汲むという可能性が高いかもしれない。


清和源氏(せいわげんじ)は、56代清和天皇の皇子を祖とする賜姓皇族だ。
その中で、源満仲の子頼信の二男源頼清がいた。
その子孫が信濃国更級郡村上郷に行って村上氏となり、信濃源氏と称した。
上に書いた百瀬左丞源義組も、その村上氏の流れだろうか。
山形村あたりにも村上姓があり、その家紋に、丸に上文字のほかに剣かたばみも見られる。


このあたり、村上氏や秦氏など、いろんなルーツをもつ武家が混在していて、先祖のルーツを調べるのも容易ではない。
まあ、今回は手がかりとして、少しは進展があっただろう。


諏訪と古代イスラエル10支族


諏訪大社を訪れたら、やはりこの問題に触れないわけにはいかない。
ちなみに、YouTubeの御頭祭の投稿で古代イスラエル十支族についてちょっと書いておいたら、それを嘲笑するような英語のコメントがついた。
まあ、信じられないのも無理も無い。
私自身も、あくまでも可能性として検討しているだけで、それを頭から信じているわけではない。


この問題に関連する最新の情報(といっても1年ほど前のものだが)を見つけた。↓
http://www.gyouseinews.com/international/jan2007/002.html


親日家として知られる駐日イスラエル大使コーヘン氏についての話題。
コーヘン大使については、以前にこのブログで著書を紹介したことがある。↓


2006年12月に、コーエン大使がTV番組に登場して、こう語ったという。
「古代ユダヤ王国のユダヤ人12支族のうちの10支族19万人が日本にやって来ている。その調査のために、2月から、日本人とユダヤ人のDNA鑑定を行う」。
ただ、その後の情報によれば、この計画はダメになったようだ。
いわく、個人保護法にひっかかることだからとか。


ある種のDNA鑑定によって、自分の先祖のルーツがユダヤ人であるかどうかを調べられるということについては、過去の記事で紹介している。↓


自分でも飽きれるけど、この手のアヤシイ話は過去に何でも書いてるだな。^^
自分もこの調査を受けてみたいというよりか、受けてもらいたい人が何人かいるのだけど。
たとえば、秦河勝の子孫であるという東儀秀樹さんとか。
絶対イヤだっていうだろうけど。


それにしても、事態はそこまで進展していたのか。
少なくとも、一部のユダヤ人たちは大真面目なようだ。
問題は、多くの日本人たちは相手にしないだろうということ。


古代日本には、様々な人種が入り込んでいた。
中東あたりから訪れた人々がいてもおかしくはない。
そう考えている人は、少なくないようだ。
だが、神武天皇がユダヤ人だとか、そういうトンデモな説に同調できないとしても、無理はない。
神武天皇など皇室に古代イスラエルの血が入っていることをアプリオリに否定するものではないが、言葉のコジツケとかいいかげんな論拠からの結論だったらの話)。
そういうあやふやな説を本に書いている人々が、日本に多すぎる。
実名は出さないけれど、特に某オカルト雑誌の常連のような人。
自分の信じている宗教団体がそういう説を出しているから、という理由だったりする。


信濃の紋章』を夢中になって読んでいるうちに、バスの時間が迫っていることに気づく。
慌てて博物館を出て、40分ほどかかる中央道茅野バス停へと急ぐ。

ゼロ磁場?

東京に帰ってきてから、ネットで検索していて、「ゼロ磁場」という言葉に出くわした。
長野県の大鹿村上伊那郡長谷村の境の分杭(ぶんくい)峠に、そのゼロ磁場といわれる場所があるという。
そのゼロ磁場といわれているスポットがスピ派の人々にの人気を呼んで、訪れる人が多い。
分杭峠は、諏訪から40キロほど南へ行ったところにある。
その日本唯一の「ゼロ磁場地帯」は、マイナスイオンをたくさん発生させて、人間の健康に良い影響をもたらす強い「気」で包まれている「気場」だという。
2003年7月に、テレビの情報番組で紹介されてから、一気にブームとなったそうだ。
下記のページに詳しい紹介がある。↓
http://www.minamishinshu.co.jp/news2004/newyear/11.htm


分杭峠が「ゼロ磁場」であることを発見したのは、張志祥さんという中国の有名な気功師
中国政府が公認した唯一の科学的な気功の研究団体である元極学会を率いている。
ゼロ磁場という表現は、科学的機器で測定できないものだろうから、アヤシイ響きがある。
だが、そういう人物が言うのだから、何らかの根拠はあるのだろう。
大鹿村といえば、建御名方神の伝説が残るところなので、そういう方面からの興味はある。


どうも最近は、そのゼロ磁場と諏訪をセットにして、スピ系の人々が訪れることが多いようだ。
前述のように、江原さんも絶賛していることも影響しているのだろう。

家路へ

高速バスには、なんとか間に合った。
だんだん頭痛がしてきた。
帰宅してから、頭痛と胃の不快感があって、早く寝てしまった。
今回、自分の判断で下社を回らなかったせいだろうか。
おみくじで大吉をもらったからといって、怒られるときには怒られる。


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