こういう使い古された言葉を使うのは、本来は自分の美意識に反することなんだけど…。
今日はそれを実感したことがあったので、敢えて記事のタイトルにしてみる。
今日、常駐先の職場で、3月いっぱいでやめる人の送別会があった。
場所は普通の居酒屋かと思ったら、三鷹駅前のカラオケ屋だった。
最初のうちは普通の飲み会モードだったが、後半からカラオケ大会になった。
私がThe Beatlesの'The Long And Windind Road'を歌うと、堰を切ったように、みんなが懐かしの曲を歌い出した。
他の人が歌っているとき、自分が知っている歌では、ハモリをやったりした。
喉が弱いから、あんまりたくさん歌えない。
ほとんどの人たちは、私よりもちょっと年下だが、近い年齢層が多かった。
だから、若いときに聴いていた音楽というのも、共通するところが多い。
音楽以外の話題になったら、たぶん何を話していいかわからなくなって戸惑うかもしれない。
隣に座った人は、昔プログレが好きだったという人で、キング・クリムゾン、ELP、ピンク・フロイドなどの名前を出して、「知ってますか?」といちいち聞いてくる。
「好きでしたよ」と私が言うと、嬉しそうな顔をする。
その人は、昔はキーボードをやっていたが、今は「全然ダメ」だという。
カラオケのおかげで、盛り上がった宴会になった。
こんどはギターでも持っていけば、もっと盛り上がるかもしれない。
普段は私のように物静かな人でも、自分から進んで、生き生きとして歌っていた。
私がBeatlesを歌ったら、対抗するかのように'Let It be'を歌っていた人もいた。
うまいヘタなんて関係ない。
まずは、自分たちが楽しければいいんだ。
大学生2年生だった20歳のとき、夏休みにカリフォルニアにホームステイした。
参加者が30名くらいで、男性は割合からすると3人に一人以下だった。
1ヶ月くらいのステイ期間中、誰かの誕生日パーティーに呼ばれることが多かった。
たぶん一番口数が少ない私が呼ばれたのは、ギターを弾けるからという、ただそれだけの理由だったのかもしれない。
くだらないおしゃべりをしなくても、ただギターを弾いて歌っていればいいというのは救いだった。
私の場合、ホームステイといっても、私は独身の男性のアパートにステイしていた。
シカゴから来て居候していた彼の友人との共同生活だった。
そのホストのジョンという男は、エンジニアでヴェジタリアンだった。
ウエイトトレイニングに励んでいて、体格はマッチョだった。
あの頃のカリフォルニアには、すでにそういう進んだ人々がいた。
ある夜、3人で表に出ると、近所の家のプールが騒がしいので、言ってみると、プールパーティーなるものをやっていた。
男女ともども、生まれたままの姿で泳いでいる若者たちがいた。
それを見てみぬフリをして、私は持ってきたギターでアドリブを聴かせていた。
オリエンタルな雰囲気が気に入られたようだった。
サンフランシスコの街中で路上ライブをやっていた黒人たちに声をかけたこともあった。
「ちょっとギター貸して」と言って、黒人とブルースのセッションをやったこともあった。
今思い出して見ると、なんと恥ずかしいことをしたんだろうと赤面する。
引っ込み思案の私だから、一人だったら絶対やらなかっただろうが、一緒にいた友人に唆されたのかもしれない。
音楽は共通言語なんだなと、つくづく思う。
コミュニケイションの手段としては、言葉よりも音楽の方がずっと普遍的だということは、たとえばジョン・レノンとかデヴィッド・ボウイも言っていた。
たとえば言葉が通じない人間同士でも、音楽という共通言語があれば、分かり合えたりするものだ。
だから楽器は手放せない。
アメリカでもインドネシアでも、そういう経験をしてきた。