「男だけど女」という人々に惹かれることが多い。
べつに恋愛対象として、という意味ではない。
たとえば、こういう選択肢があったとする。
- 体は女だけど、内面は(ほとんど)男
- 体は男だけど、心は女
どちらか一方を取れと言われれば、個人的には2を選ぶ。
なんでそういう人々に惹かれることが多いのか、今日はじめてわかった気がする。
「見えない部分」の方が、圧倒的に大切なのだということ。
美しく生まれてきたり
醜く生まれてきたり
みんなそれぞれ意味があることだろう。
神の子として生まれてきた人々や
悟った聖者たちが、
みんな容姿端麗なわけではない。
たとえば一生の伴侶を選ぶときに、
外見的な美醜は、あんまり関係なかったりする。
人間の魂には(形的な意味での)美醜はない。
その本質は、光の玉だったりする
(ある程度高い次元に到達すれば、霊体にも姿形はなくなる)。
もっとも、
「外にあふれ出る内面」
ということもあるだろう。
言ってる意味、わかってもらえるだろうか。
「美しさ」ということについて語っているのだけど。
見えないもの
それは
「情報」であり、
また
「精神」である。
形あるものよりも、見えないものに価値を見出す。
もちろん、その志向の行き着く先は「Spiritual」だ。
見えないものの方が大事。
今日、咲き乱れる桜並木を歩いていて、ふとそう想った。
たとえば桜を見て綺麗と想う。
そこには、背後にある「精」みたいなものに感応しているということもあるのかもしれない。