これを読んでいる方々は、自分に与えられた「使命」を自覚しているだろうか。
若い人ならば、そうでなくても仕方ないだろう。
それを悟る人生の時期は、人によって異なるかもしれない。
使命の自覚
私の場合、なんとなくこれだろうと思っていたことがあった。
10代前半のときのことだ。
それは、霊性にかかわることを世に広めるための活動をするということ。
人々が霊性(スピリチュアリティ)に目を向けるようになるために、情報を提供すること。
その根底には、次のような前提がある。
人間がこの世に生まれてくる最大の目的として、今生での学習を経て霊的成長を遂げることがある。
そのため、心霊や超常現象の研究を始めた。
その後、自ら霊性の探究を目指すようにもなった。
もっと遡れば、小学生の頃、この地球という惑星にいることが、何か場違いのように思えていた。
まるで自分が他の惑星から来たかのような感覚があった。
10代前半で気づいた「使命」は、それほど大きく逸れていなかったと思う。
だが、それだけではまだ欠けているものがあった。
神に全託した人生
ところで…
私がブログでよく書いていること。
「自分の人生を神に全託した」という意味、
わかってもらえているだろうか?
あれは1994年のことだった。
インドネシア・東ジャワで仕事をしていたときのこと。
わたしは38歳になっていた。
ある出来事をきっかけに、「自分の人生はすべて神さまにお任せしよう」と心に決めた。
『神さまのワヤン』になろうと。
「神さま、どうか自由にお使いください」
※ワヤン=ワヤン・クリット。ジャワ島やバリ島に伝わる影絵芝居、及びそれに使われる人形のこと。
こうして、自分のもっとも重要な使命に気づいた。
ここでいう「神」とは、宇宙創造主だ。
今は特定の宗教への信仰をもっているわけではない。
特定の信仰がないということは、あらゆる信仰をもっているということかもしれない。
聖地巡礼の始まり
その年に、最初の離婚をしていた。
そして38歳にして、人生の道を悟った。
今年、また家族と別れて、また新たな人生が始まるのかもしれない。
いわゆる聖地巡礼というものを始めたのも、1994年だった。
ジャワ島のプランバナン寺院(かつてのヒンドゥー教の霊廟)などを訪れた。
インドネシアと世界の平和を祈るために。
いま思うと、突然インドネシアへ行かされたり、イスラエルへ行かされたりというのは、偶然ではまったくないのだろう。
あの頃は、ある神社を信仰していた。
宇宙創造の神を祀るところで、そこではこう教わっていた。
「宇宙創造の神を信仰する人は、どこのどんな神社仏閣へ行って祈っても良い。ただし個人の願い事はしないように」
30歳になるまでは、神社仏閣というところはあまり興味がなかった。
ただ、どこだったか、箱根かどこかの神社か寺院を訪れたことがあった。
その頃は、神仏というのが本当にいるのかどうかわからなかった。
だが、とにかく、こういうことを祈った。
「世界全体が平和になりますように」
たしか20代の頃だったと思う。
もしかしたら、あのとき、宇宙創造主とチャネルがつながったのかもしれないと思う。
実際にさまざまな国々の聖地を訪れるようになったのは、1999年あたりだった。
聖地巡礼先を指示を受けて行くようになったのは、2002年のことだったと思う。
なにげに、地図上でダウジングをしてみたのだ。
「ゴールデンウィークに行くべき場所は?」と。
そして、ペンデュラムが振れたのは、京都と天橋立だった。
それ以来、内外の聖地を訪れてきた。
ジャワ島、バリ島、シンガポール、エルサレム、ベツレヘム、ルルド、プラハ、香港、そして日本各地の聖地。
ヒンドゥー教の寺院でも、キリスト教の教会でも祈る。
下記のシリーズで書いているのは、そのごく一部だ。
孤独な旅
というわけで、「私の幸せ」とか「I、My、Me、Mine」とか、そういうところとはまったく別の次元で生きている。
自分のことを、特別な人間とは思っていない。
同じような目的をもった魂は、たぶん今、たくさん生まれてきつつあるだろうから。
人生に何の欲もない
私的な夢もない
ただ神に使われるままに生きる
誰も共感してくれなくても
誰も同じ道を行こうとしなくても
ただひとり歩む
どんなに孤独な旅路でも
後悔することは決してない
これが自分に与えられた使命だから
人間には理解してもらえなくても
神仏に理解してもらえれば良い
自分のやるべきことをやって
いつか人知れず
元いたところへ帰って行きたい