先祖供養のやり方について、ちょっと書いてみます。
最近mixiで知り合った人にいろいろ質問されていて、その人への回答として書こうと思ったのですが、他の人たちにも参考になるかもしれないので、このブログで公開することにしました。
なるべく難しい言葉を使わないで、わかりやすく書くことにします。
宜保愛子さんのこと
私は10代の頃から、超常現象や霊の世界を研究したり探究してきました。
先祖供養については、自分がかつて師事していた方からも教わりましたが、宜保愛子さんの本から教わったことも少なくありません。
2003年5月6日に亡くなられてから、もう5年たちましたね。
宜保さんの本はいろいろ読みましたが、先祖供養ということについては、たとえば『宜保愛子の幸せを招くお墓と仏壇の祀り方』がとても参考になります。
先祖供養の仕方について、非常に具体的に述べています。
霊能者でしか書けないようなことが、いろいろ書かれています。
21年前の出版なので、さすがに絶版になっていました。
でもAmazonのユーズドストアでたくさん出品されています。
近所のブックオフなどでも、運がよければ100円ぐらいで手に入るかもしれません。
- 作者: 宜保愛子
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宜保さんについては、いろんな見方があるでしょう。
自分の長年の経験と霊的体験からいえることは、まったく「見えない」人ならば、あそこまで絶対書けないだろうという記述が多いことです。
なぜ先祖供養か
まず、なぜ先祖を供養する必要があるのか?ということについて。
最初に前提として言っておきたいのは、
ご先祖様は感謝するものであって、願い事をする対象ではない
ということです。
このことは、沖縄のあるシャーマンから教わりました。
もっとも、それ以前から、ご先祖様にも神仏にも個人的な願い事などしていなかったけれど。
沖縄では、台所に祀ったヒヌカン(火の神)に祈ります。
向こうでは、人は三十三回忌をすぎると、みな「神さま」なんですね。
以前に、宮古島のカンカカリャ(シャーマン)に何度か会いに行ったことがあります。
その女性が、「神さまは?」と何度も聞くので、なんだろうと思ったけれど、要するに「仏さま」(=ご先祖さま)の意味なんですね。
いままでの自分が研究してきたことなどの経験から、いろんな人たちを見てきて思うのは、
どんな分野でも大成する人は、ちゃんと先祖供養をしている。
ということです。
もっとも、出世したいからとか、お金持ちになりたいからとかいう不純な(?)動機で先祖供養を始めるような人には、あんまり良いことはないでしょうね。
みなさんそれぞれ信仰をもっていたり、持っていなかったりするでしょうが。
仏教徒だろうと他のどんな信仰をもっていようと、無宗教だろうと、先祖は敬うべきだと思います。
先祖の助けがあって始めて、人は世に出て行ける人となるのでしょう。
たしかに本人の努力もあるだろうけれど、それだけでは人間は大成できないんですね。
仏壇のアイテムの意味
要するに、ご先祖さまと産土神(うぶすながみ)様は大切にすべきだということです。
産土神というのは、自分の生まれた土地、いま住んでいる土地を司る神さまのことです。
ときどきお参りして、日ごろお守りしていただいていることに感謝の念を捧げることが大切でしょう。
では、先祖供養については、どうやれば良いのか。
これを読んでいる人の中で、家に仏壇がない人もいるでしょうね。
でも、大切なのは形式ではないから、たとえ仏壇がなくても、供養はできます。
まず、仏壇がある人のために、それぞれの仏具などの意味するところを説明します。
まず、鈴(りん)について。
英語でいうと、最近このブログで紹介している、シンギングボウルですね。
前述の宜保さんの本によると、鈴を鳴らすと、ご先祖さまは即座にやってくるのだそうです。
霊というのは物理的次元での身体というものがないから、行こうと思えば瞬時にどこへでも行くことができるんですね。
体がないから、「飛ぶ」というのとも違う。
要は瞬間移動(テレポーテイション)です。
なので、鈴というのは、ご先祖さまをお呼びするための手段なのです。
鈴を鳴らす回数は、宗派によって2回とか3回とか決まっているので、調べてみてください。
次に、ローソクについて。
ロウソクは、宜保さんによれば、ご先祖様方が暗闇で迷うことないように灯りを灯すためのものだそうです。
仏さまが歩く霊界の道は、時として薄暗い道の場合もあります。
そんなときに、ローソクの明かりを灯してあげれば、助かるわけです。
また、ローソクの明かりによって仏さまは拝んでいる人の顔をよく見ることができるとか。
ちなみに、ローソクは色がついていない白いものがベストだということです。
さいきんは電灯式のインチキローソクもありますが、宜保さんによると、ああいうのは×だそうです。
次に、焼香について。
焼香は、線香や香木を燃やすことで、香りによって空間を清めるためと、自分の心を落ち着けるという意図があるようです。
最後に、供物について。
お供物を供えるということも、決して抽象的な行為ではありません。
宜保さんによると、仏壇に供物を供えると、ご先祖さまはその気の部分を召し上がるそうです。
専門的な言葉を使うと、人間にもアストラル次元(幽界)の身体があるように、食べ物にもアストラル次元があります。
そういうものを食べることによって、ご先祖さまのアストラルボディ(幽体)にとって活力を与える栄養となるわけです。
供物を実際に食べていて、味や固さなどもわかるようです。
供物は、いつ供えるべきか。
最低限、お水は毎日換えます。
宜保さんによれば、お水もお茶も両方供えた方が良いと。
ご飯などは、炊いたときにお供えした方が良いでしょうね。
亡くなられた特定のご先祖さまがいらっしゃる場合は、その方が生前好きだった食物を供えることも大切ですね。
ただし、仏教の祭壇だから、魚介類や肉類は仏壇に供えずに、仏壇の外に置くべきです。
うちでは旧暦の1日と15日に神棚の供物を換えるのですが、その際に仏壇にもお菓子などを供えます。
では、仏壇がない家ではどうすれば良いのか。
たとえば、鈴がなくても、心の中で念じれば、ご先祖さまには通じるでしょう。
最低限、どこか場所を決めてお水や線香を供えることはできますね。
お供物も、その傍らに供えれば良いでしょう。
要は、自分ができる範囲で、真心を込めて供養することが大切です。
祈り
先祖供養をするには、読経が必要ですね。
お経を唱えることによって、霊的存在にとって魂を活性化するエネルギーとなります。
つまり霊界で生きる気力が出てくる。
また、日々般若心経などの尊いお経を唱えている家は、家全体にお経のパワーみたいなものがみなぎってきて、邪悪な霊的存在などや災いを寄せ付けなくなることがあるようです。
ただし、宜保さんによると、お経を唱えるのに慣れていない人が間違えたりすると逆効果なので、そういう場合は、南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経とか真言とかのような、短い文句を唱える方が良いということです。
お経を唱える本人が意味をよくわかっているかどうかも、大切なことです。
祈りの内容ですが、ぼくの場合には、こういう風に祈っています。
(信仰する神仏に対して)、ご先祖さま方および縁ある霊たちが苦しみの念、とらわれの念から自由になり成仏し、霊的成長ができ、皆が成り立つ結果にお導きください。
ここで「皆が成り立つ結果に」というところが大切です。
何か神仏に願い事をするときでもそうですが、「自分だけが」とか「自分たちだけが」ではなくて、たとえ敵対する存在がいたとしても、そういう人々も救われますようにと祈る。
これがダライ・ラマ師も言われているように、仏教の精神です。
利他行
これは先祖供養に限らないことですが、人間が霊的成長を遂げるためには、利他行をするかしないかが重要なポイントとなってきます。
利他行とは、他者の利益となる行為をすることです。
先祖の因縁が深い人や、深いカルマがある人ほど、利他的行為をすべきでしょう。
そのことについては、うちも正にそうなんですが。
そういう行為を続ければ、個人の願い事などしなくても、自分のことは自然とうまくいくようになってきます。
若い人々に期待すること
冒頭で紹介したmixiで知り合った女性は、先祖を供養することに熱心で、いろいろと質問してきます。
そういう態度を持ち続ける人は、きっと大成するだろうと思います。
この瀕死の危機的状況にある世界だから、この世をなんとかしたいという魂が多く生まれつつあるのかもしれません。
いまの20代前半ぐらいの女性たちに、特にそういうものを感じています。
スピリチュアルに関心があるとはいっても、実際は利己的な願望実現などの目的が多かったりします。
そうではなくて、もっと崇高なものを求めている人たちが、現れてきつつあるのではないかと。
「自分はなんでこの世に生まれてきたのだろう?」
「この人生でいちばんしなければいけないことは何だろう?」
大人になるにつれて、そういう純粋な部分というのを失ってしまいがちです。
いまの若い人たちには、純粋な部分を持ち続けてほしいと、期待したいところです。