探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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横浜市聖地巡礼


昨日8/1(金)の夜に、週末に聖地巡礼すべきかどうか、うしろの存在に伺ってみた。
答えは「yes」で、場所は次の4箇所へ行くようにとのこと。


目的地は、すべて横浜市内だ。
おそらく、すべて初めてお参りするところだ。
祈りの目的は、地震沈静と民族のカルマ解消とのこと。
2〜3年前は、聖地巡礼というと毎回のように茨城県や千葉県の海沿いの地を巡礼させられていた。
だが最近は、神奈川県の海に近いところが多くなってきた。
もしかして、将来起こりうる大地震に備えた祈りということなのだろうか。

浅間神社

2008/08/02(土)、朝9:00頃に家を出る。
渋谷から東急東横線の特急で、横浜へ。
横浜駅西口のシェラトンホテルと高島屋の間の道を西へ川沿いに歩き、広い通り(13号線)に出たら、北西へ道なりに歩く。
浅間下交差点から路地に入ると、岡の上に浅間神社の赤い鳥居が見えてくる。
横浜駅からだと徒歩で15分弱かかるが、東海道本線の隣の平沼橋駅から歩くと、少しは近くなるだろう。


浅間神社(せんげんじんじゃ、あさまじんじゃ)といえば、富士山に鎮座する女神さまをお祀りした神社だ。
その御祭神は、言うまでもなく、木花咲耶姫命コノハナサクヤビメノミコト、木花之佐久夜毘売)。
ここ西区浅間町にある浅間神社は、かつての神奈川と保土ケ谷の間の宿である旧芝生村に鎮座した。
浅間神社というのは、富士山を拝する場所に鎮座することが多いだろうから、やはり神奈川には多いのだろう。


鳥居をくぐり、石段を上っていく。
浅間神社は、袖摺山(そですりやま)と呼ばれる丘を登りきったところにあった。
境内には、幼稚園が併設されている。


地震沈静の祈りをする。
「これから地震津波・火山噴火などがありますならば、大難を小難に替えていただき、この地で大地震があった場合に、住民が皆助かり、死傷者が出ませんように」と。
そして、民族のカルマ解消の祈りも。
「かつてこの地で戦いがありましたならば、顕界・霊界・神の世界とも、皆が争いの心・憎しみの心がなくなり、平和に暮らして行ける世の中になりますように」と。
神社へ行って、この祈りをするときは、いつも辛いものがある。
そこの神さまに怒られに行くようなものだからだ。
その後に体調が悪くなったりすることもある。
まあ、でもそれが自分に与えられた役目とあらば、仕方ない。
最終的に、そのような神々の上に立つ神に通るように祈っているのだ。


祈っていると、女神さまが祀られた神社だからか、暖かいというか柔らかいというか、そういうエネルギーを感じる。
だんだんと、瞑想状態というか、深いところへ入っていくような感じがしてくる。
新月のせいもあるのだろうか。
「もうこの辺でいいだろう」と、目を開けようとするが、開けられない。
トランスとまでは行かないまでも、ある種特殊な意識状態に入っている。
ずっとこのままでいたいという、プチ至福状態。


やっと目を開けられたが、しばらくはボーッとしていた。
10分以上祈っていただろうか。
この土地自体が、霊的に強いものをもっているせいもあるのかもしれない。
境内からの眺めが良く、ビルが邪魔していなければ、横浜港の眺望が得られるのではないか。
あとで調べてみたら、この一体が埋立地になる以前は、袖ヶ浦という美しい入江に面した河口の港だったという。
縄文時代ぐらいの遠い昔から、聖地だったのではないだろうか。


社伝によれば、源頼朝公の勧請によって造営されたとあり、900年の歴史がある。
富士山頂にある浅間神社を元宮としているという。
境内の由緒書きを見つけ、読んでみる。
祭神主祭神コノハナサクヤヒメのほかに、相殿として天照皇大御神(アマテラスオオミカミ)と武甕槌命タケミカヅチノミコト)をお祀りしている。
創建は承暦4年(1080)とある。


更に由緒書きによれば、この地には、今から1700年〜1000年前頃のものと思われる横穴古墳が境内に10数箇所あるという。
やはり、かつては海を見下ろしたこの丘は、神社創建以前からの聖地だったようだ。
民族のカルマの祈りをせよという指示が、なんとなくわかってきた。
この浅間神社は、古い歴史をもつにしては、ネット上でほとんど情報が得られない。
横浜駅の近くにこういう由緒ある神社があるということは、もっと知られて良いだろう。


由緒書きを読んでいるときに、目の前にアブラゼミが飛んできて、変な鳴き方をして地面に降りた。
一見して、瀕死の状態のように見えた。
嫌な予感が…。
弟橘媛さまをお祀りする神社で、瀕死の昆虫何度か見た。
だが、1歩近づくと、飛んでいってしまった。よかった。


境内で写真を撮っていると、またさきほどのアブラゼミが目の前に飛んできて、私が立っているところの目の前の地面に落ちた。
泣き声を聴く限りでは、瀕死の状態に思えるのだが。
よく見ると、オスとメスが交◯状態だった。
合体したまま飛んでいたのだ。
まあ、瀕死の状態よりは良いだろうが…。
ご丁寧に2回も私の眼の前に下りてきたところを見ると、やはりいつもの「神遣い」か。
そうだとすると、果たしてどういう意味(訴え)があるのだろうか。


コノハナサクヤヒメさまで思い出すのは、最近また調べ始めている記紀と聖書の共通点のこと。
この女神さまも、そのことと大いに関係ある。
旧約聖書に、この女神にまつわる逸話と類似した話が登場するのだ。


それは、創世記に登場するヘブライ人の族長ヤコブの話。
別名をイスラエルといい、この人の名前が古代イスラエル人たちの国家の名称にもなった。
このイサクの息子のヤコブには、4人の妻がいた。
『創世記』29章によると、ラバンという男の娘のレアとラケルという姉妹がいた。
ヤコブは美しい妹のラケルを妻にしたかったが、姉よりも妹を先に嫁がせるわけにはいかないので、ラバンは姉のレアの方を先にヤコブに与えた。
その後にラケルも与えられたが、ヤコブは目が弱いレアよりも美しいラケルを愛して、レアは疎んじられた。


このヤコブと2人の姉妹との関係に似ているのが、天孫降臨の主人公であるニニギノミコト瓊瓊杵尊)の話だ。
ニニギは、アマテラスオオミカミ(天照大神)の子でアメノオシホミミノミコト(天忍穂耳尊)と、高木神の娘の萬幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキツヒメノミコト)の間にできた子だ。
ニニギは、オオヤマヅミノカミ(大山祇神)の娘であるコノハナサクヤビメに恋をする。
父のオオヤマヅミは、姉のイワナガヒメ(石長比売、磐長姫)と妹のコノハナサクヤを一緒にオオヤマヅミに与えた。
妹は非常に美しかったが、姉は醜く、嫌われて父のもとへ返された。



これだけの話だったら、単なる偶然の一致と思われるだろうが、聖書と記紀には、このような意図的としか思えないような類似点がたくさん見つかる。
ちなみに、上記の話でのポイントは、ヤコブもニニギも両方とも、イスラエルと日本の建国の祖となる人物(神)だということだ。


前述の交◯するセミのつがいに話を戻す。
これは、女神さまの何かの「訴え」なのだろうか?
謎解きになってきたか。
それとも、たまたま現れたに過ぎないのだろうか。


ニニギの妻となったコノハナサクヤビメは、身ごもった。
一夜限りで子どもを授かったことが信じられないと、ニニギノミコトは姫の貞節を疑い、他の神の子ではないのかと言った。
姫は、「あなたの子であるなら、たとえ火の中でも無事に生まれてくることでしょう」と言って、出口のない大きな産屋(うぶや)をつくらせた。
産屋の中へ閉じこもった姫は、産屋のまわりにみずから火を放った。
そして、燃えさかる炎の中で三人の男の子が産まれた。
その名は、ホデリ(火照)、ホスセリ(火須勢理)、ホオリ(火遠理)という。


ホデリは海幸彦、ホオリは山幸彦とも呼ばれるようになった。
この海幸・山幸のホオリの神話にも、ヤコブの息子のヨセフとの類似点が見られる。
これについては、また別の機会に紹介したい。


女神さまが、何か訴えたいことがあるのかもしれないが、わからない。
本当に何かの訴えがあるのならば、また関連の神社に巡礼させられるだろう。

名神

次の目的地は、菊名だ。
横浜駅へ戻り、東急東横線に乗って菊名駅へ。
駅から北へ5分ほど歩いた道沿いに、神社があった。
菊名は、JR横浜線東急東横線がクロスしていて、大きな町となっている。
おそらく、その地名の由来となっている神社だから、さぞかし大きく立派な神社なのだろう。
…と思って行ってみたら、まず境内が狭いのが意外だった。


社伝によると、室町時代初期、鎌倉・鶴岡八幡宮よりご神霊を勧進し社殿を建立。
その後、昭和10年8月、各村に祀られていた神明社・杉山神社・阿府神社・浅間神社を合祀して「菊名神社」と改称した。
…ということは、菊名という地名が先にあったのだろう。


祭神は、以下の通り。


拝殿の前で、浅間神社と同様の祈りをする。
祈っていて、もしかしたら神さまが狭苦しい想いをされているのではないかと感じた。
本殿の左側に建つ社務所がコンクリート造りの3階建てで、かなり威圧感がある。
しかも、右側にも同様にコンクリートの建物が立つ。
これがもし、建物の上の階が神官家の家となっているのならば、ちょっとマズイのではないか。
一般に、神さまを見下ろすような場所に人間が住んではいけないのだ。
自然の木々もないし、神々にとってはちょっと苦しい場所かもしれない。


おみくじを引くと、10番の小吉だった。
永遠に変わらぬ信心が大切とある。


この神社でも、コノハナサクヤヒメさまが祀られていた。
また、アマテラスオオミカミさまとヤマトタケルノミコトさまは、うちでお祀りしている神さまだ。
主祭神のホンダワケノミコトさまは応神天皇のことで、各地の八幡神社の御祭神とされている。
記紀と聖書の共通点について、ちょうどいま応神天皇を調べているところだった。
原始基督教徒の説がある秦氏は、この天皇の御代に渡来したといわれる。
また、この天皇ご自身が、秦氏と大いに関係あるという説もある。
もともと八幡(ヤハダ)=「イェフダ(イスラエルのこと)」だという人もいる。
その応神天皇が、記紀ではイエス・キリストに比して書かれていると説く人もいる。
これについては、いま調査中のため、なんとも言えない。

總持寺(そうじじ)

次の目的地である總持寺へ向かう。
菊名からJR横浜線で東神奈川へ行き、京浜東北線に乗り換えて、鶴見で下車。
西口から線路沿いに南へ5分ほど歩いたところに、總持寺がある。


曹洞宗(そうとうしゅう)の大本山で、元々は石川県にあったが、明治31年(1898年)に火災で焼失したため、1911年に当地に移転してきた。
うちの父方も先祖代々曹洞宗だから、檀信徒ということになる。
曹洞宗の寺院へ巡礼というのは珍しいが、お彼岸が近いからということもあるのかな。


山門をくぐってから次の門までが、250mほどある。
さらにその門から本殿までも、250mほどある。
とにかく、呆気に取られるほど広い。
敷地面積は約50万平方メートルあるそうで、東京ドームが10個入ってしまう計算になる!本殿が見つからず、しばらく迷ってしまった。


聖観世音菩薩の大きな像があったので、先にこちらでお祈りする。
あとで調べたら、今年平成20年6月18日に開眼式を行ったばかりだという。
高さは6メートルほどあるだろうか。


大祖堂と呼ばれる本殿(?)は、とてつもなくでかい。
一辺が100m弱もありそうだ。
果たして、こんなに大きなお堂を作る必要があるのだろうか。
中に入り、線香をお供えしたあとで、祈る。
曹洞宗の寺院のご本尊は、釈迦牟尼如来だ。


祈り始めたところで、うしろから強い風が吹き付ける。
外ではセミとカラスの鳴き声が聞こえるだけ。
静かな中で、祈りに集中できる。
祈りが終わり、目を開けると、横でチベットかどこかアジアの国から来たと思われるオレンジ色の僧衣の僧侶が2人、日本人に連れられて参拝している。
本堂内のすごく豪華な装飾に関心しているのだろうか、じっと見入っている。


事前にネット上で得ていた情報によれば、この境内に、大きな大黒天像が祀られているという。
それは、香積台(こうしゃくだい、総受付)の建物の中にあった。
建物の正面奥に、木彫りで日本一大きいといわれる高さ約180センチメートルの大黒尊天がお祀りされている。
このお寺は、とにかく大きいものが好きなのだろうか。

日枝(ひえ)神社

最後の目的地、日枝神社へ向かう。
鶴見駅から京浜東北線で川崎へ行き、南武線に乗り換えて1つ目の尻手駅で降りる。
前日に乗り換え案内ソフトで調べるときに、この駅名をなんと読むのかわからなかった。
「尻手(しって)」と読むそうだ。
この駅で降りて、北西へ8分ほど歩いたところに、日枝神社があった。
この神社の御祭神は、大山咋神(オオヤマクイノカミ)。
滋賀県日吉大社や京都の松尾大社、そして全国の日枝神社山王神社の御祭神だ。
日吉大社といえば、秦氏と大いにかかわっている。


来週の長崎聖地巡礼では、山王神社が巡礼地のひとつになっている。
そこの御祭神も同じオオヤマクイノカミだが、そういう関係で今日行かされたのだろうか。
境内には縁台があり、近所のおばあさんが二人ほど井戸端会議の最中だ。
祈りが終わったあとで、腰掛けて休憩する。


今日はけっこう歩いて疲れた。
總持寺の中だけで、2Kmほど歩いたかもしれない。
今日の巡礼地では、コノハナサクヤビメさまの浅間神社がもっとも印象的だった。
非常に霊的に力がある場所だ。
来週の金曜からは、いよいよ長崎聖地巡礼だ。
少しは体力作りの運動になっただろうか。


今日お参りした中で、浅間神社日枝神社は、近隣の住民に愛されて親しまれているのではないかと感じた。
日枝神社は、近所の人々の憩いの場所のようになっているようで、これが本来の神社のあり方ではないかと思う。


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