探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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辛い時ほど人のために


ブログの原稿を整理していたら、前に下書きを書いたまま投稿していなかったものを見つけました。
ちょうど昨年のお盆頃に書いたものです。
ちょっと手直しして、投稿することにします。
いま、すごく人々に訴えたいことなので。

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Photobucket今日は旧暦1日(注:いまは違う)。
ちょうど新月みたいですね。
ヒヌカンと神棚に供物を供える日で、朝ちょっと早く起きて、それをやってから出勤しました。
常駐先の会社では、人が少なくて静かでした。
帰省ラッシュは明日がピークだとか。


霊的な相談事が多い

ぼくのところには、いろんな相談事が舞い込んできます。
霊的なことで悩んでいる人が多いです。
女性でも、かなりプライヴェイトなことで突っ込んだ内容を書いてくる人が、けっこういます。
もちろん、そうやって知りえた内容は、決して人には他言しませんが。
ぼくの場合、本名とか住所とかプライヴェイトなこととか、開けっぴろげに公開しているので、警戒心をもたれないというか信頼してもらえるというのがあるのかもしれません。


この前も一人、うつ状態で悩んでいるという若い女性からメッセが来て、毎日のようにやりとりしてアドバイスをあげて、だいぶ元気になってきたようです。
その子の場合、とても純粋な魂をもっているんですね。
だから、わかりが早いのだと思います。


だいたいそういう相談事のメールがたくさん来る時期というのがあって、一つには、やっぱりお盆ですね。
だから、そろそろ来るんじゃないかと、楽しみに…なわけはないですね。^^;

辛いときほど人のために

さきほど夕食中に、閃いたことがありました。
今日は、そのことをちょっと書いておきます。
「辛い時ほど、人のために何かをする」
そうすれば、『「辛い」という状態に堕ちている自分』から脱することができるのではないか。
また、そのような心構えをもって実行するほど、上の方にいる存在が手を差し伸べてくれるのではないか。


ぼくの場合、自然とそういうことをやってきたように思うんですね。
もっとも、昔からそういうことができたわけではありません。
30歳ぐらいまでは、とにかくジコチューな人間でした。
いま思うと赤面するぐらいに。
ほんとに自分のことしか考えていないような人間だった。


いろんなところで書いているように、それが少しずつ変わっていったのは、30歳頃の時の一連の霊的な体験でした。
世界の平和ということを考えるようになったのは、この頃だったかな。
あの頃は、死んだ父による単なる憑依現象だと思っていたのだけど、どうも違うのではないかと思うようになってきた。
いまの守護霊が、私の中に降りてきた時だったのではないか、と。


あの頃、結婚を経て、5年間ほど平穏な生活が続いたと思ったら、離婚。
一人に戻って、世界の平和を一生懸命祈りました。
この罪深い人間がいままで我がまま放題生きてきて、少しでもお返ししようと。
そしてインドネシア派遣の仕事が来て、最初は楽しかったけれど、更に辛い日々が待っていました。
まあ自分のせいだったんだけど。
そこでも一生懸命祈りました。
プランバナン寺院群などへ聖地巡礼して、インドネシアの平和のために。
戦争で亡くなった人々のために。

神さまの操り人形

そして、その後に、仕事で辛い目に遭って…。
死ぬことも考えました。
そのときに、「これからは神さまの操り人形となって、神さまに使われるままに生きよう」と決めたんです。
自分の利益とか人生の目標とか、一切考えずに。
こうして、「自分の幸せなどどうでも良い」という人間には、時には離婚などの波乱も待ち受けているようです。
人生で同じ目標に向かえなくなった二人には、別れが待っていることもあるのでしょう。


「辛い時ほど、人のために何かをする」
その頃は、まだこのようなコンセプトが言葉として心にあったわけではありませんでした。
でも、そのような行動をとって、良かったのだと思います。
多少なりとも、自分というものを客観的に眺められるようにもなったし。


辛い時というのは、自分から自由になる良いチャンスではないかと思います。
辛くて苦しくて、死にたいと思うようなときに、ふと自分に与えられた試練に気づく。
そんな時に、たとえばぼくだったら、聖地巡礼して、その土地土地に住む人々がみんな幸せになり、地域全体が発展しますようにと祈る。
あるいは、困っている人たちの相談を受けてあげる。


そういうことに熱中していると、ふと自分が辛かったんだということを忘れている自分に気づくんですね。
これが、ぼくが言うところの「自分から自由に」なった状態です。
自分の心が少しずつ開けてくると思うんです。


それでも尚且つ、なかなか悟れない自分がいる。
つい安易な方向へ流れていってしまう自分がいる。
いつも思うんですが、なにもかもうまく行くときよりも、辛くてたまらないという時の方が、高いところへジャンプして霊的に急激に成長する良いチャンスなんですね。
「いまある自分」から解放されて自由になって、さらに一つ高いところの自分に出逢う。


でも最近、怠け気味。
さぼり気味。
人のふり見てなんとやら。
ちょっと夏バテかな…。

業が深いほど…

いままで書いてきた「辛いときほど」というのは、「業が深いほど」に言い換えてもいいと思うんです。
深いカルマがあるとか、家に深い因縁があると思ったら、とにかく人のため世の中のためになること、自分の利益にならないことに没頭してみる。
そうすると、やっぱり開けてくると思うんですよ。
自分の経験からも、はっきり言えることです。


以前にインドネシアに滞在していて、ジャワ人の彼女がいたときのことでした。
彼女が白いご飯だけを食べているのを見て、何やってるんだと聞いたんです。
そうしたら、これは断食の代わりの一種の修行なんだと。
自分の人生は困難なことが多いから、やるんだと。
ジャワ人って、そういうところがあるんですね。
でも、いまの私だったら、そういうことをするよりも、世界平和のために祈ったり、困った人を助けることをした方がずっと効果的だよとアドバイスするでしょう。

利他行をする

私がこうして各地を聖地巡礼して祈って廻っているのも、やっぱり地球全体にとって利益になる利他的な行為でしょう。
この程度のことなら、誰にもできることだと思うんです。
別に特別な能力が要るわけでもない。
問題は、「やる気」があるかどうかだと思います。
そういう志の高い人がいたら、全力を尽くして応援したいです。
また、そのような人には、必ず神仏や高い守護霊がついて手を差し伸べてくれると思うんですね。

(世界や宇宙)全体のことを考えて常に行動している人間には、個人のことは自然とうまくいくようになる。

自分の経験上でも、これが「宇宙の法則」だと思うんです。
そのように、常に観音さまのように「利他行」をしていると、たとえば経済的なことでも、心配することはなくなります。
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現代の日本に住む人たちは、特に都会の人たち。
みんな、いろんなことで忙しいみたいですね。
「自分のため」に何かをやるということで。
でも…
「自分のためでないことに何かをする」
これで超えられると思うんですよ。
この世には、いろんな「誘惑」があって、なかなか難しいですけどね。
何度も書くけれど、「狭き門より入れ」です。
難しいですよ。


それから、何かの「ためにする」ではいけないと思うんです。
たとえそうでも、やらないよりはやった方がいいのではないかとも思うけれど。
ジコチューよりはタコチューの方が(?)


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