出逢うべき運命によって出逢う人がいる。
いままで、日本でも外国でも、そのような不思議な出逢いがあった。
互いに好き合っていても、結ばれない二人もある。
長い目で見れば、それで良かったのだと、後になってわかることもある。
自分のプライヴァシーなどどうでも良いが、相手があることだと、書けないこともある。
友達としては良いけれど、夫婦としては駄目。
そういう烙印が押される。
これも一つの学習だろう。
神の道具として生きている人間は、自分の意思で結ばれることが許されない。
運命の出逢いと、辛い別れ。
でも、それは本当の別れではない。
先妻との間がそうであったように。
友情を交わすことはできる。
その相手は、せめてお兄さんでいてくださいと。
遠い異国の妹。
どんな困難に遭っても笑顔を見せ明るく生きる、純粋な魂だ。
私のように、全てを捨てて神に使われている人間は、個人の幸福とは無縁のところで生きている。
同様に、全てを捨てて、ついて来れる人でないと、神さまは結びつけてはくれないだろう。
そういう人が、いるかどうかもわからない。
いなければいないで、それに従って生きるまでだ。
いるとしたら、私のこのような活動に深く共感を抱いてくれる人だろう。
そのような人は…残念ながら滅多にいない。
このような個人的なことは、うしろの存在に伺っても、答えてはくれないし。