探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ(はてな旧サイト)




大晦日の諏訪聖地巡礼


2008年大晦日から2009年1月3日まで、足掛け2年で諏訪・伊勢・熱田(名古屋)を聖地巡礼した。
その記録を書くことにする。
ブログ記事として書くのは諏訪編のみで、元日からの伊勢・志摩・熱田巡礼については、『聖地巡礼ファイル』として発表することにした。
今回伊勢を廻って、古代イスラエルとの関係でいろいろ書きたいことが多いので。
内容次第では、発表までに1ヶ月かそれ以上かかるかもしれない。


3年前の2006年新春にも、今回と同様のルートで巡礼を行なっている。
今回の巡礼が決定するまでのことは、下記の記事に書いている。

諏訪大明神について

年も改まったということで、普段は書かないが、ちょっと諏訪大社についての基礎知識的なことを書くことにする。
私の父方の百瀬家は、先祖代々諏訪の地に住んでいた。
当然、諏訪信仰をもっていただろう。
また、家の神棚に諏訪大社の神札をお祀りしている。
守護されているという意味でも、自分にとって重要な神さまだ。


祭神の建御名方命タケミナカタノミコト)は、諏訪大明神などとも呼ばれる。
古事記の国譲り神話では、父の大国主命天孫族に国を譲ることを迫られたときに、立ち上がったのが建御名方神だった。
兄の事代主命は国譲りに従おうとしたのだが、勇猛果敢な建御名方命は、天照大神の使者である建御雷神(タケミカヅチノカミ)に戦いを挑んだ。
しかし、その戦いに負けて、命は助ける代わりに、諏訪の地から一歩も出ないことを約束させられる。


本当に国譲りのようなことが行なわれたのかというと、アカデミックな世界でも、本当はそういうことはなかったという主張が強い。
諏訪大社には、かつて大祝(おおほおり)と呼ばれる生神的存在がいた。
大祝は代々諏訪氏から童子が選ばれていた。
初代の大祝は、平安時代初めの桓武天皇の御子だったとする系図もあるが、本当のところは定かではない。
代々の大祝は、諏訪の地から外に出てはならなかった。
これを逆手に取ってつくられたのが、国譲りの神話なのだという学者もいる。


諏訪信仰に分類される神社は2600社ほどあり、神社の数では全国6位という説がある。
だが、一説には5千社とも、末社の類を含めると1万社はあるとも言われる。
諏訪大明神は、昔は軍神として大いに崇敬されたが、同時に水神でもあり、山神でもあり、また風神としての信仰もあった。
だが、それだけではなく、さまざまな方面に霊験あらたかな霊力の強い神として、全国で信仰されてきた。


ここ数年では、諏訪大社古代イスラエルとの関係がTV番組で取りざたされたりして、そちらの方面での関心も強くなっている。
スピリチュアルな面でも、江原啓之さんが著書で紹介したりして、諏訪大社は強力なパワースポットとして脚光を浴びるようになってきている。

出発

7:00頃に家を出て、西武線とJRを乗り継いで、立川へ。
えきねっとで購入した指定券をもらい、あずさ3号南小谷行きに乗り込む。
諏訪大社へ行くのは、いつもならば高速バスだが、今回はちょっとだけ楽をさせてもらった。


今回はじめて、黒のスーツとウールのコートという姿で旅に出た。
伊勢神宮で御垣内参拝をするために、正装が必須だからだ。
いつも仕事で使っているショルダーバッグだけに衣類などを詰めた。

諏訪大社上社前宮

9:51に茅野駅に着く。
駅のコインロッカーに余分なものを預け、バッグの中を少しでも軽くさせた。
普段は、ここからちょっと先へ行った中央道茅野でバスを降りて歩くのだが、今回は歩く距離が多少長くなる。
上川にかかる橋を渡った後は、「御柱街道」を歩き出す。



御柱街道より、諏訪大社の聖なる山である守屋山に連なる山並み。


御柱祭で曳航が行なわれる道だ。
快晴の天気に恵まれて、雪が降った跡もまったくない。
ところどころで、道路の拡張工事をやっている。
2010年に控える御柱祭のためなのだろうか。
30分ほど歩いて、諏訪大社上社前宮に到着。


境内を一度出てから一般道路をちょっと上ったところに、前宮の拝殿がある。
途中の道沿いに、「さる注意!」の張り紙があった。
さいきんは、サルが出没するらしい。
後で上社本宮でも同様の張り紙を見かけた。


ちなみに、諏訪大社参拝の順番について。
特にこれでなければいけないというものはなさそうだ。
だが、上社前宮→上社本宮→下社春宮→下社秋宮(または秋宮→春宮)という順番で廻るのが昔は慣例だったという説もある。
私の場合は、当初は前宮→本宮→春宮→秋宮という順番で廻るように常に指示されていたので、いつしかそれが固定の順番になってしまった。
だが、下社については、本来は季節的に現在神さまが鎮座されている方を考慮すべきかもしれない。



諏訪大社上社前宮の拝殿。


前宮の拝殿前には、テントが張られ、大勢の人々が集まっている。
何か正月のための準備を行なうのだろうか。
拝殿の扉が開いていて、神官の方がお供物を供えているようだ。
前に立ち、祈りはじめる。
祈りの内容は、ダウジングで指示された通り、次のことを祈った。

  • 地震沈静
  • 民族のカルマ解消
  • 派遣切りなどによる失業者のための祈り
  • 御柱祭の成功


いつも感じるのは、ここは諏訪大社4宮の中でもいちばん清浄な波動に満ちているということ。
私の周りの霊感が強い人々も、同様に感じるようだ。
江原啓之さんが著書『江原啓之神紀行 5』で、「前宮こそ日本屈指のスピリチュアル・サンクチュアリだったのです」と絶賛していることを知ったのは、それから後のことだった。


5年前に、生まれて初めて諏訪大社に参拝したときに、前宮に着いてタクシーから降りたとたんに、それまで降っていた雨がやみ、ここの上空だけ雲間にポッカリと青空が見えたのを思い出す。
その円形に空いた青空の中に、雲が龍の頭のような形をつくっていた。


拝殿の左脇に廻って、「諏訪大明神建御名方神)のお墓」と言われているところを眺める。
ペンデュラムを取り出してうしろの存在に伺うまでもなく、写真撮影はダメだろう。
既にどこかで書いたが、この前この前宮に参拝したときに、神官の方に伺うと、たしかに「諏訪大明神さまのお墓」だと言われていた。
代々の生神的存在だった大祝の墓ではないことを、念を押して確認した。
そういうこともあって、私にとっても諏訪大社上社前宮は、特別な聖地なのだ。


下の境内へ下りて、十間廊と呼ばれる建物の写真を撮る。
毎年4月に諏訪大社上社前宮で行なわれる「御頭祭(おんとうさい)」では、この建物に供物が供えられる。
じつは、この建造物が古代ユダヤ教の「幕屋」と類似点が多いということは、すでに過去の記事で書いている。



上社前宮の境内に立つ十間廊。


「守屋山=(エルサレムの)モリヤ山」というような一致点だけでは、言葉の語呂合わせで終わってしまうが、それ以上の何かがあるかもしれないと思う。
もしあるとしても、そこにはキリスト教的な要素は見られない。
秦氏とは別系統で渡ってきた、「失われた十支族」の末裔なのだろうか。
あくまでも可能性としてだが。

諏訪大社上社本宮

10:55頃に前宮を出て、御柱街道を歩き出す。
30分ほどしか前宮に居なかったが、この寒さでは長く居られない。
神長官守矢史料館の前を通り、20分ほどで上社本宮前に着く。


境内には、早くも平成22年の御柱祭を知らせる看板が立っている。
「『式年造営御柱大祭』御奉賛のお願い」とある。
地元の人々は「御柱(おんばしら)」と呼んでいるが、この「式年造営御柱大祭」が正式名称だ。
この名称からも推測できるように、御柱を建て替えるだけではなく、上社では御宝殿、下社では神殿の建て替えも行なう。



上社本宮の境内にて。左手に立つのは上社本宮の一之御柱


拝殿前には、行列はまったくできていない。
翌日の元旦には、長蛇の列ができることだろう。
お祈りを済ませてから、社務所で来年の神札をいただく。


諏訪大社の上社本宮と下社秋宮には、温泉水が出る手水舎がある。
説明書きには「明神湯」とあり、「往古より諏訪明神御愛用の温泉とされ、諏訪の温泉の基とも伝えられている」と書かれている。
温泉の湯で手を清められる神社は、日本で諏訪大社だけだろうと思ったが、そうでもないらしい。
ネットで調べると、鳥取県とか熱海の神社にもあるようだ。
温度は50〜60度ほどあるだろうか。
かなり熱い。



上社本宮の明神湯。


ちなみに、下諏訪駅前には、噴水の代わりに温泉水が湧き出る泉がある。
冷え切った手を温めるのに良い。
もっと書くと、上諏訪駅構内と諏訪大社上社本宮近くにある諏訪市博物館の敷地内には、無料で浸かれる足湯の設備がある。
温泉の湯量が豊富なところでないと、こういう芸当はできないだろう。


境内を出て、参道を歩き始める。
露店が準備に忙しそうだ。
ダルマを売っている店では、9割方が赤いダルマになっている。
今年の正月には、黄色などのカラフルなダルマが目立ったが、きっとあまり売れなかったのだろう。


ちょっと早いが、11:45に電話でタクシーを呼び、茅野駅へ。
だが、下諏訪行きの列車の時刻は、予定していた12:51発より前はない。
結局1時間待たされることになった。
こういうことならば、上社の近くにある諏訪市博物館に入るか、そこの足湯に浸かったりしてのんびりすれば良かった。
時間があるからといって、巡礼が終わるまでは断食中だから食事もできない。

諏訪大社下社春宮

普通列車に乗り、13:00頃に下諏訪駅に到着。
地図を見なくても覚えている道を15分ほど歩いて、下社春宮に着く。
境内に入ると、拝殿が工事中で、仮の拝所に賽銭箱が置かれている。


境内の看板には「平成の大修理」とある。
総工費4億円が必要で、崇敬者各位の尊いお気持ちをお寄せくださいと。
春宮と秋宮の幣拝殿と左右片拝殿を修理中だという。
翌年の御柱祭に合わせた修理なのだろう。


ちなみに、下社では御祭神の建御名方命は、季節によって遷座される。
2月1日から7月末までは春宮に御神体が祀られ、8月1日から1月末までは秋宮に祀られる。お祈りを終えて、15分ほどしか居なかったが、先を急ぐことに。
秋宮までの1キロほどを、中山道に沿って歩く。

首が伸びる石仏?

中山道沿いの温泉宿の前だったか、通りかかったときに、「首が伸びる万治の石仏が、みのもんたの番組で紹介された」とか書かれた看板があった。
諏訪大社下社春宮の近くにある石仏のことだ。
でも「首が伸びる」というのは初耳だ。


見たことがない人は、こちらのページに写真がある。↓
http://shimosuwa.com/siseki/manji/index.htm


数年前に、いちどその石仏を見に行ったことがあった。
自分的には、一度見れば十分ではないかと思うようなものだった。
岡本太郎氏などが絶賛していて、かなり有名なのだが。
失礼だが、「どこかそんなに面白いのか?」と思ってしまう。
たしかに、その形はかなりユニークで、面白くはあるだろう。
後で茅野のホテルでTVを見ていて、地元局の番組で紹介されていた。
昔、この石仏のを諏訪大社の大鳥居の材料にしようと、石工たちががノミを入れたら血が流れたとか、ミステリアスな伝説も残っている。
その石仏の首が、年々と上に長く伸びてきたというのだ。
毎年写真を撮っている人が気づいたとか。


さて、首が伸びる原因は何だったのでしょう?
知ってみると「なぁんだ」という落ちなのだが。
正解は、下記Wikipediaの解説を読めばわかる。

諏訪大社下社秋宮

中山道の温泉街を通って、20分ほどで下社秋宮に着く。
ここも、露店の準備で忙しそうだ。
正月を下諏訪温泉で過ごそうという人々もけっこういて、賑わっている。



下社秋宮の拝殿。


祈りが終わって、社務所でおみくじを引く。
「来年の自分(の運勢)に合ったおみくじを引かせてください」と祈って。
出たのは、26番の中吉だった。
初めは心配事があるものの、後によくなるとのこと。
来年はそういう運勢なのか。


境内を出たのが、14:20頃。
予定よりもかなり早く終わった。
諏訪大社4宮を1日で廻るのは、初めてお参りする人にはあまり薦められないが、何度も訪れていて慣れている人ならば十分に可能だ。
これで今日の巡礼は終わりということで、腹ごしらえをすることに。
秋宮前に蕎麦屋が何軒かある。
どこも、店頭にメニューや値段がない。
1軒に入って、月見たぬき蕎麦を食べる。
950円だったが、そば粉の風味もあまりなく、特別に美味しいというわけでもなかった。


10分弱歩いて、下諏訪駅へ戻る。
15:00の列車に乗れた。
茅野駅で降りる。
ホテルにチェックインするには時間が早すぎると思い、茅野周辺の地図を見る。
駅前に犬射原神社というのがあって、由緒がありそうなので、お参りすることに。

犬射原神社(いぬいばらじんじゃ)

茅野駅東口を出てすぐのところに鎮座する。
境内はけっこう広いが、中央に小さな祠が立っているだけだ。
その大きさに似合わない高い御柱が、四隅に立っている。



茅野駅前の犬射原神社。


この神社は諏訪大社上社末社で、御祭神大己貴命(オオナムチノミコト=大国主命)、建御名方命タケミナカタノミコト)、事代主命コトシロヌシノミコト)。
創建年代は不明だが、桓武天皇の延暦年間の末(800年)頃に、諏訪神社式年造営(御柱祭)が行なわれた時、この社も末社のため、御造営されたというからも、その古さが伺える。
昔はこの付近が犬射原と呼ばれていて、中世には犬追物をした場所と言われ、弓矢で射られた犬を埋めた犬塚ではないかという説もある。


当時の境内はかなり広く、一面原野だったが、天正10年(1582)の天正壬午の乱織田氏滅亡後の北条氏徳川氏の甲斐・信濃争奪戦)以後次第に廃れて、現在はわずかな一画を残すのみとなった。
なるほど、かつて犬を射ていたから犬射原なのか。
諏訪大明神(建御名方命)とともに、父神である大己貴命と、兄神である事代主命が祀られている。

大晦日の夜

神社を出て、デジカメのSDカードを買いに、ヤマダデンキへ寄る。
そして、茅野駅から徒歩5分ほどのところにあるホテルわかみずにチェックイン。
家族だけでやっているビジネスホテルらしい。
大晦日の客は、私以外にいなかったようだ。


18:00頃、食事をしに外へ出る。
ホテルにはレストランがないので、外で探すしかない。
茅野はけっこう大きな町だから、大晦日の夜でもどこかしら空いているだろう。
…と思ったのは、甘かった。
昼間は空いていた駅ビルのレストランも、全部閉まっていた。
大晦日だというのに、蕎麦屋でさえ閉まっている。
商売っ気がないというか、なんというか…。
働いてくれる従業員がいないから、仕方なく閉めるのかもしれないが。
仕方なく、駅前のデイリーヤマザキでコンビニ弁当を買ってホテルで食べた。
具がまったく入っていないオムライス弁当を(大晦日だというのに情けない)。


さきほど、下社を出た頃から、偏頭痛が始まっていた。
左目の上あたりが、すごく痛い。
いつもの電磁波によると思われる頭痛とは、ちょっと痛み方が異なる。
何か諏訪大社粗相があっただろうか。
御柱の寄付金を出さなかったから、守護霊か守護神に怒れているとか?


今回は荷物になるため、ノートPCを持ってこなかった。
TVで紅白歌合戦などを見て大晦日の夜をすごした。


Copyright (C) 2004-2020 Naoya Momose - 百瀬直也. All Rights Reserved. Email