この記事、「無料の愛」にしようかと思ったが、冗句で書くことではないので、やめた。
愛にはもちろん、有料も無料もない。
「無償の愛」でやっている人たちを見ると、ホッとする。
自分の行いに対して、一切の報酬を求めない人たち。
およそ人間の霊的成長の過程において、「自己犠牲が根底にあるかどうか」は、ひとつの分岐点だろう。
世の中いろんなグルゥ(霊的指導者)がいるけれど、そういう人々についても、そのへんがひとつの判断の基準となる。
身近な例をあげると、アンマがいる。
この人など、無償の愛の権化といえるだろう。
同じインドでも、インチキくさいグルゥもいる。
そこに感じるのは、無償の愛ではなくて「自己愛」だったりする。
インドのグルゥといっても、ピンからキリまでいろいろいる。
自己愛は自我の肥大へ向かわせる。
無償の愛は自我の縮小へ向かわせる。
どちらの「愛」が根底にあるかで、ベクトルはまったく異なってしまう。
人間にも神々にも言えることだろう。
自己犠牲
人間にとって、自己犠牲を学ぶことが究極の霊的成長の道ではないか。
宇宙創造主は、自己の一部を放棄して万物を創造する。
そこには自己犠牲がある。
つまり、自己犠牲を行なうことは、創造主の行為を真似ることでもある。
真の愛である無償の愛は、自己犠牲によってこそ成り立つ。
同じことを、アンマはこう語っている。
純粋な心からなされる献身は、無条件の愛をその根底に持っています。無条件の愛とは自己放棄だからです。
(『フロムアマズハート』、シューリー・マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィ、日本マーター・アムリターナンダマイー・センター)
真の意味で自己放棄(自己犠牲)を実現した人は、もう地球という学校の「卒業」の時がきたということなのだろう。
スピリチュアル志向の人も、そんなの関係ねぇという人も、いつかは必ず到達しなければならない。
たとえ何千年何万年かかっても。
「そんな当たり前のこと」と思われるかもしれませんね。
でも、今の世界ではそれが当たり前になっていないからこそ、書かなければいけないのだけど。
- 作者: スワーミ・アムリタスワルーパーナンダ
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