イスラム教のラマダン(断食月)が始まった。
ほとんどの日本人にとって、まったく関心のない領域かもしれない。
私にとっては、大いに関心がある。
インドネシアにムスリム(イスラム教徒)の友達が少なくないこともある。
この国には主要な5つの宗教がある。
イスラム教、カトリック、プロテスタント、仏教、ヒンドゥー教だ。
そのうち、人口2億2千万の国民の約90%はムスリムだ。
ラマダンとは、イスラム教の太陰暦であるヒジュラ暦の第9月のこと。
この月には、基本的にイスラム教徒は断食を行なわなければならない。
ラマダーン月の開始と終了は、国によって異なるらしい。
長老たちが新月を目視で観測することによって、開始が宣言される。
雲などで月が隠れて新月が確認できなかった場合は、始まりが1日ずれる。
このコンピュータの時代に、ずいぶん悠長なことやってると思うだろうが、宗教的伝統の一つなのだろう。
今年のインドネシアでのラマダンは、今日8月22日に始まることになった。
1ヶ月も断食して、生きていけるのかという素朴な疑問が出るかもしれない。
だが、飲み食いが禁じられているのは、日の出から日没までの間だけなのだ。
日が沈んだら、自由にいくらでも食べても良い。
なので、断食月の方がかえって太るということも聞いたことがある。
インドネシアのような熱帯の国でプアサ(断食)をするのは、すごく大変なことだ。
私はそれを、身を持って体験してわかっている。
ただでさえ新陳代謝が活発化して、エネルギーを消費して、おなかがすいてくる。
喉も渇くが、敬虔なムスリムは自分の唾も飲み込まない。
断食をサボって行なわないムスリムも中にはいるが、真面目にプアサを行なう人々は、それだけで尊敬に値する。
「イスラム教も学べ」か?
イスラム教といえば、私にとって長いこと「理解不能の宗教」だった。
逃げ回っていたのかもしれない。
ムスリムの女性をなるべく好きにならないようにとも思っていた。
もし将来結婚まで話が進んだときには、大きな障壁がある。
それは「ムスリムはムスリムとしか結婚できない」という戒律だ。
だが、今回のジャワ島行きで、「イスラム教のことも学べ」と言われているように思ったものだった。
世界のいろんな宗教の教えを「理解」しなければ、人を助けることもできない。
そういう風に、守護する存在に指導されているのではないかと思うのだ。
Facebookなどの海外SNSでも、これからはムスリムの人々との交流も深めたいと思っている。
ジャワ島マディユンで働いていた時には、あまり「敬虔なムスリム」は身近にいなかった。
たとえば、私のことを「オジチャン」と呼ぶジョグジャカルタのCちゃんなどは、すごく深い信仰心をもっている。
学べることは、いろいろあるはずだ。
毎日、朝4時に起床して1日5回の礼拝をしているだろう。
まだ真っ暗な中で流れる「アザーン」(礼拝の呼びかけの町内放送)にはいつも泣かされた。
(そのうち慣れて目が覚めなくなったが)
いま、世界平和の実現の障壁となっていることの一つが、宗教間の対立だ。
同じ創造主を信仰している同士が、「わが宗教の神こそ唯一なり」と争う。
だが、どう考えたって、やはり「神(創造主)は一つ」なのだ。
ただ異なる名で呼ばれ、異なる形でいろんな人々(開祖たち)のもとへ降りてきただけだ。
世界を一つにと祈る者にとって、やはりこういう問題を避けては通れない。
一つ一つの宗教を理解すること。
やはりそれを望まれているように思うのだ。
道は遠いが、歩き続けなければならない。