探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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羽田聖地巡礼


2010/10/17(日)
何だか変な聖地巡礼記事のタイトルだが、こうした方がわかりやすいと思って。
久々に、(日本で)聖地巡礼する時間がもてそうなので、前日土曜日の夜に、ペンデュラムで伺ってみた。
まず、いつものように、日本地図帳の上でペンデュラムをかざすと、東京湾あたりで振れる。
それで今度は東京都の地図帳を開くと、水晶ペンデュラムが羽田空港のあたりで振れる。
より詳細のページの上でやってみると、穴守稲荷神社だった。
次の場所を伺うと、こんどもまた羽田空港の近くで、川崎大師だった。


この結果を見て即座に、「あーなるほど」と、思い当たった。
10月21日に、羽田空港が国際空港として生まれ変わる。
そのための安全祈願をしろということなのだろう。
また、いつものように地震鎮静の祈りもするようにとの指示。


いつも、マップダウジングで後ろの存在に伺って、自分が思いもしなかった聖地へ行くように指示される。
出た結果を見て、すぐに「あーなるほど」と悟ることもあれば、すぐにはわからないことも。
行ってみたら、神社仏閣の大きなお祭りの直前だったりすることも少なくない。
そのような場合は、祭礼がつつがなく行われるようにと祈願しろということなのだろう。
そういう「裏方」の仕事が多い。
また、地図帳では載っていないが、そのあたりをGoogleマップなどで検索してみると、そこになぜか諏訪神社があったりすることも。
私が「うしろの存在」と呼んでいる、私をメインで指導する存在は、昔は諏訪大社の神官を務めていたと言われている。
なので諏訪神社が頻繁に登場するのは当然なのだ。
やはり諏訪の神さまは地震などの災害の守護もされていると思われる。
大きな地震が起きるところへ事前に巡礼させられることもよくあるから、そうだとわかる。
いずれにしても、「あーなるほど」と納得することが多いから、ペンデュラムがデタラメに振れているのではないのだと悟るのだ。


このように、私の聖地巡礼は、その時その時に応じていろんなことを祈らされる。
まあ大して霊力がない人間にも、こうして徳を積ませてくれているのだろうから、有難いことではある。

穴守稲荷神社の由来

穴守稲荷神社は、今回初めて訪れる。
京急線羽田空港まで行ったことがある方ならば、羽田線に穴守稲荷という駅があることをご存知だろう。
ちなみに、その1つ手前の大鳥居駅は、かつて穴守稲荷神社の大鳥居がそのあたりにあったので、そういう駅名になっている。


9:00に家を出て、品川から京急羽田線穴守稲荷神社駅へ。
いつもの聖地巡礼のように、夜までは断食だ。
駅から徒歩5分ほどとあったので、地図をプリントしないで来た。
だが、神社の方向がいまいちわからない。
BlackberryGoogleマップアプリを起動して現在位置を調べたら、すぐにわかった。
駅前の通りをちょっと歩いていくと、ある角を右折した彼方に朱色の鳥居が見えた。


二重に駅名にもなって、社名がよく知られている割には、予想していた程は大きな神社ではない。
だが、かつては広大な社叢をもつ神社だったのだろう。
というのも、現在の羽田空港の敷地の一部は、この神社の境内だったのだ。
まさに、羽田空港を守護されている神さまなのだ。


穴守稲荷神社には、次のような由来がある。
文化元年(1804年)、新田開墾の折りに、海が荒れて沿岸の堤防が決壊し、甚大な被害を受けた。
そこで村民が堤防の上に祠を勧請し、稲荷大神を祀った。
すると、海が静まって大きな実りをもたらした。
堤防に開いた穴を守るという意味で、穴守稲荷の社名となった。


1931年(昭和6年)、穴守稲荷神社の隣に、羽田飛行場が開場した。
第二次世界大戦の終戦の年の9月に、羽田空港の拡張のため、神社は米軍より退去を迫られる。
だが地元の有志らが現在の鎮座地を寄進し、移転することとなった。


穴守稲荷神社の御祭神は、豊受姫命トヨウケヒメノミコト)。
伊勢神宮の外宮(げくう)に祀られる豊受大御神(トヨウケオオミカミ)と同一の神さまだ。
ふつう稲荷神社の御祭神といえば、本来は総本社伏見稲荷大社がそうであるように、宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)、つまり稲荷大神だ。
それが、同じ食物(ウカ・ウケ)を司る神ということで、同一視されるようになったのだ。


稲荷大神といえば、じつは原始基督教徒だった秦氏がイエスを「隠れ信仰」の対象として祀ったのが始まりだと主張する人もいる。
伊勢神道度会神道)では、豊受大御神天之御中主神・国常立神と同神であって、宇宙の最高神的存在とされる。
外宮に祀られる神が特別な存在だということは、ブルガリアの女性超能力者ベラ・コチェフスカさんが伊勢神宮に参拝した時のエピソードでも推測される。
そのことは、昨年のこちらの記事で紹介している。(「ブルガリアの超能力者」の項)

穴守稲荷神社で祈る

本殿の前で、祈る。
いつものように、宇宙全体の平和の祈りから。
そして、この神社にお参りされる方々と氏子の方々、そして地域一体に住む方々がすべて幸せになり、霊的成長がもたらされ、皆が成り立つ結果にお導きください、と。
このいつもの祈りが終わって、やっと今日の目的の祈りを始められる。
羽田空港の国際化がつつながなく行われ、飛行機事故などが起きませんように、と。
また、この地震津波・火山噴火などの自然災害からも免れますように、と。



私の祈りは長い(というか、神の道を歩む人々のように、自分的にはこれが普通だが)。
ふつう、5分、10分と続く。
祈っていてトランス状態に入りかけると、もっと長くなることも。


続いて、本殿の奥にある奥の宮へ。
拝殿には、無数の小さな朱色の鳥居が乱雑に置かれている。
ちょっと異様な光景だ。

川崎大師

穴守稲荷駅へ戻り、京急線京急川崎へ。
そこから京急大師線に乗り換え、川崎大師駅で降りる。
今日の巡礼地は2箇所とも神社仏閣の名前がそのまま駅名になっていて、迷うことない。
また駅から徒歩ですぐなので、いつもの聖地巡礼より楽ができる。
川崎大師の場合は、参道を歩いていく人々について行けば良い。


飴や達磨を売る店を通り抜けると、大山門の前に着く。
川崎大師は、正式には金剛山金乗院平間寺という。
御本尊は、厄除弘法大師
高尾山薬王院成田山新勝寺とともに、関東三本山の一つとされる。



境内には、大勢の人が。
早めの七五三なのか、着物姿の子供を連れた家族もいる。
大本堂に上がり、座ってお祈り。
ちょうど、お護摩祈祷が終り、大勢いた人がいなくなった。
静けさの中で、穴守稲荷神社でしたのと同じ祈りをする。


次に、不動明王をお祀りした不動堂でも祈る。
薬師如来を祀った薬師堂もあるはずだが、過去2回お参りした時には、どこだかわからなかった。
境内の案内図を見ると、境内のいちばん隅にある。
薬師殿は、川崎大師開創880年の記念事業として、2008年11月1日に開設されたばかりだという。
最後に巡礼したのはその前だったから、私が知らないはずだ。
堂内に入ると、キンキラキンの真新しい薬師瑠璃光如来尊が鎮座している。
ここでもまたお祈り。
今回は、ここでもっとも強い力を感じた。
以前に訪れた時には、お釈迦様の坐像がある経蔵だったが。


その経蔵でも、お祈りする。
ここの御本尊である説法釈迦如来の前に置かれた五鈷杵では、金箔を奉納することができる。
タイの仏教寺院ではどこでもやっていることなので、それを思い出した。
寺院で献花や線香などのセットを求めると、小さな金箔もついてくるのだ。
それを、仏像に思い思いに貼り付ける。

馬頭観音堂

川崎大師を後にして、参道を歩き川崎大師駅へ向かう。
その途中に、馬頭観音堂がある。
以前に来た時に、気づいていただろうか。
ちょっと覚えていない。
すごく小さな祠だけなので、見過ごしていたかもしれない。



観音さまといえば、タイムリーだ。
タイの彼女のOが、私と同じ観音さまへの信仰があると知って、過去生からの運命的なものを感じていた矢先だった。
観音と名が付くからには、素通りはできない。
そういえば、川崎大師の大本堂にも、救世観音が祀られているのだが、それを知ったのは帰宅した後だった。
しまった…。
祠の前に立って、お祈りする。


このお堂は、370年前に創建されたという。
縁結びの仏さまだとも信じられていて、若い人たちのお参りも多いとか。
馬頭観世音菩薩は、畜生道に堕ちた人を救う菩薩さまだという。
ふつう観音さまは女性的で優美な表情で表わされるが、馬頭観音は怖い形相の忿怒(ふんぬ)相で表される。
観音像は格子戸の奥に隠れてよく見えなかったが、もっと観察しておくべきだった。
梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意味だが、ヒンドゥー教の最高神ヴィシュヌの異名でもあるため、ヒンドゥー教の影響が考えられている。
ちょっと毛色が変わった観音さまだ。


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