先週の金曜日から、某携帯キャリアの開発の仕事をやっている。
開発をやるのは、4年ぶりになる。
現場に入っていきなり、C原語でコーディングをやらされている。
帰宅は毎晩12時前後で、ブログを書いている暇もない。
土曜日もデフォルトで休出しなければならない。
少なくとも5月まではこの状態が続くだろう。
相変わらず、古代イスラエル10氏族渡来説を探求している。
ネット上では、日ユ同祖論的な内容でいろいろと怪しい言説も流布している。
だが、一つ、これだけははっきり言えるということがある。
それは、古代の日本に聖書が入っていたということだ。
そして、故富山昌徳氏が主張するように、一部の知識人たちの間で聖書が読まれていた形跡がある。
記紀のような日本の歴史にも、そのことが反映されている。
それは、富山昌徳氏やヨセフ・アイデルバーグ氏の長年の研究成果によっても裏付けられている。
私も数年間の研究の結果として、それが動かし難い事実であるという結論に達するまでになった。
いままでブログなどで公開していたことだけでなく、まだ未発表の内容が少なくない。
それらを、本としてまとめて世に問うことにしようと考えている。
この忙しい時だが、なんとか時間を見つけて調査・執筆をしようと思っている。
聖書の内容に精通していた人々としては、天皇家、秦氏、多氏、藤原氏などが可能性としてあげられる。
「誰が」ということについて、現時点ではまだ確信がもてないが、執筆を続けていくにつれて、見えてくるものがあるかもしれない。
聖書という「物」だけが日本に渡来したとは、考えにくい。
やはり「聖書の民」が日本に入り込んでいたと考えるべきだろう。
そして、それは日本の政(まつりごと)にも大きな影響を及ぼした人々だった。
景教僧などが渡来して持ち込んだこともあっただろう。
だが、それよりもさかのぼって、少なくとも『古事記』編纂の時点で聖書が読まれていたらしい。
研究の結果として得られた成果物の一部は、このブログやYouTubeの「Lost Tribes(古代イスラエル10氏族)」の連載でも公表していくかもしれない。
というわけで、今回は予告だけにとどめておく。