この3連休の初日は、いつものように土曜日出勤だった。
2日目の昨日は、在日タイ人の友だちと会ってきた。
3日目の今日は…
これしかないだろうということで、昨夜久々に聖地巡礼先を伺った。
思えば、正月の聖地巡礼以来、ペンデュラムを手にすることはなかった。
失業状態で時間は十分あったが、Webサイトの作成やYouTubeビデオの制作に追われていた。
「明日こそ」と毎日思っているうちに、2月中旬にいきなり仕事の話が舞い込んできた。
自分からはまったく探そうとしていなかったのだから、これはもう神さまの恩恵というしかない。
そうして、某携帯キャリアの開発に追われているうちに、3月11日に東日本大震災が起きてしまった。
そのような経緯から、この地震には「後ろめたさ」をもっていた。
大した霊力のない自分が祈ったところでどうなっていたとは言えないが、やらなかったということに対する後ろめたさが今も重くのしかかっている。
聖地巡礼することは自分にとって、今生の大きな目的のひとつなのだから、その本務を怠ったことは重いだろう。
弟橘媛(オトタチバナヒメ)さまに呼ばれた?
1月からずっと、オトタチバナヒメさまに呼ばれているような気がしていた。
もっと正確にいえば、大洗の弟橘比賣神社に呼ばれていたということになるだろうか。
うちの神棚には、日本武尊さまと弟橘媛さまが御祭神である走水神社の神札をお祀りしている。
正月には、例年のように新年の神札をいただきに行っていたのだ。
だが、先に書いたように、ペンデュラムを持つことはしなかった。
昨夜、久々にペンデュラムを手にして、マップダウジングを行う。
すると、茨城県大洗へ行くようにと指示が出た。
大洗と出たからには、それ以上のことは伺う必要もない。
海辺の神磯鳥居で、お供物を海に投じるべきかと伺うと、その必要はないとの答え。
ちょっと疑問に思ったが、その理由は後でわかった。
これだけ多くの不幸が出たならば、これまでならば食物や酒を海に投じて供養をするようにと指示が出てもおかしくないのに。
だが、そもそも神磯鳥居まで辿りつく時間的余裕がなかったのだということが、後でわかった。
うしろの存在は、そこまで見越して指示を出しているのだろうか。
大洗までどうやって行くか?
大洗へ巡礼するのはいいが、果たして辿りつけるのか。
鹿島臨海鉄道のHPを覗くと、水戸−大洗間を結ぶ大洗鹿島線は全面運休しているとある。
復旧の目処は立っていないようだ。
HPの写真を見ると、レールがぐにゃぐにゃに曲がっていて、これは簡単には復旧できないだろう。
水戸から大洗アクアワールドへ行くバスはあるが、アクアワールドのHPを見ると、地震の影響で休館中だ。
バスが運行しているかどうか不安になる。
常磐線の勝田からひたちなか海浜鉄道湊線で那珂湊駅まで行くと、駅から弟橘比賣神社までは徒歩で1キロちょっとだ。
湊線も運休しているが、代行バスが運行開始したとHPにあった。
これを利用することにした。
だが、後になって、この考えが甘かったことを知るのだが。
大洗へサバイバル・トリップ
2011年3月21日(月)春分の日
朝8:30に家を出る。
外は生憎の雨だ。
前夜の睡眠時間が短く、朝起きるのが辛くて、やめようかとも思った。
だが、そんなことは許されない。
西武新宿線は今日も特急と急行が運休していて、変則的なダイヤになっている。
駅に着いてみると、運良く準急が来た。
高田馬場で山手線に乗り換え、上野へ。
10:00発のスーパーひたち号で、勝田まで行くつもりだ。
みどりの窓口で特急券を買おうとすると、常磐線の特急はすべて運休しているという。
さらに、土浦から先は常磐線が全面運休していると。
仕方なく、土浦までの乗車券のみ買う。
乗車券を買っても、大洗まで辿りつけるかどうか不安になってきた。
だが、今までの経験から、うしろの存在は「不可能な指示」は絶対に出さないことはわかっている。
それを信じて、とにかく行けるところまで先へ進むことに。
常磐線快速は運行しているが、土浦までは行けず、取手止まりになっている。
9:40発の取手行き快速に乗り、取手へ。
車内はガラ空きだ。
10:20頃に取手に着くと、11:02の土浦行き普通があった。
だが、土浦から先はどう行くか?
各駅停車の車内で、BlackBerryで解決策を探す。
ググってみて、土浦から水戸へ行く臨時の高速バスが関東鉄道から出ていることを知る。
11:35に土浦着。
バス乗り場へ行き、12:00発の水戸行き高速バスに乗る。
13:00頃に、水戸駅前に着く。
水戸は常磐線が全線運休していて、駅が閉鎖している。
駅ビルも休館中で、閑散としている。
バスの案内所でアクアワールド行きについて聞くと、運行しているという答え。
良かった、これでなんとか大洗へ辿りつける。
11:34発のアクアワールド経由那珂湊行きに乗る。
バスの窓から眺める水戸や大洗は、地震や津波の被害は感じられない。
すでに12:00になっていて、交通手段の制限もあるので、大洗磯前神社と大洗諏訪神社は諦めて、弟橘比賣神社だけ巡礼することにした。
大洗諏訪神社を過ぎて、バスは内陸部を走っていく。
アクアワールドまで海岸沿いに走るのかと思っていた。
津波の被害状況を見れると思っていたが、海はほとんど見ることができなかった。
本来は「かんぽの宿」バス停で降りるべきところを、橋を超えて次の「開門橋北口」まで行ってしまった。
いつも大洗駅前から乗っている海遊号のバス停と名称が違うので、戸惑ってしまった。
小雨が降る中を、傘が吹き飛ばされそうになりながら、赤い開門橋を渡って大洗方面へ戻る。
津波の被害は?
海門橋から下を見ても、津波の被害はあまり感じさせない。
東日本大震災の津波で、大洗も被害を受けたことは報道で知っていた。
だが、その被害状況はよくわからない。
鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線やひたちなか海浜鉄道湊線が現在も全面運休しているところを見ると、大洗近辺の被害が軽くなかったことは察せられる。
帰宅してからYouTubeで「大洗」で検索してみたところ、津波の被害状況を映した動画を見ることができた。
漁船が陸上に打ち上げられていたり、道路上までコンテナが押し流されていたり。
床上浸水などはあったようだ。
被害が比較的少なく済んだのは、大洗磯前神社の御祭神やオトタチバナヒメさまのような「強力な神々」の御神徳だろうか。
いつもの巡礼ルートである大洗磯前神社、弟橘比賣神社、大洗諏訪神社は、いずれも高台に鎮座していて、津波の被害はなかっただろう。
大洗は、歴史を通じて何度も津波の被害に遭っているだろうが、高台に聖地があるのも大きな意味があることなのだろう。
弟橘比賣神社(おとたちばなひめじんじゃ、天妃神社)
弟橘比賣神社が鎮座する小高い丘の前に着く。
時計を見ると14:20頃で、家からここまで6時間もかかってしまった。
石段を上って、境内へ。
一見して、それほど荒れている感じはない。
だが、古い石灯籠が2基とも倒壊していた。
その奥の、これも古そうな狛犬は無事だった。
正面から見たところでは、拝殿と本殿は無事だったようだ。
無人の神社でどれだけの被害が出ているかと心配していたが、一安心だ。
まだ小雨が降る中を、傘をたたんで祈り始める。
オトタチバナヒメさまと、合祀されている豊御食津大神(トヨミケツノオオカミ)、そして媽祖さまにもご挨拶する。
まず、いつものように宇宙全体の平和を祈った後で、本題の祈りを。
東日本大震災で亡くなった方々が霊界で救われますように、
福島原子力発電所でこれ以上の事故が起きませんように、
まだ休出されていない生存者が助かりますように、
被災者に十分な食料や物資が与えられますように、
被災地が一日も早く復興しますように、と。
10分ほど祈り続けている間は、雨がほとんどやみ、強い風がそよ風程度に弱まっていた。
祈りを終えて、写真とビデオを撮っているうちに、またパラパラと降り始め、風も強くなってきた。
いつものことだが、有り難いことだ。
オトタチバナヒメさまとのご縁
私がオトタチバナヒメさまとご縁ができたのは、話せば長くなる。
このブログのいろんなところに書き散らしていて、全貌を把握するのは難しいだろう。
2年ほど前に書いたこちらの記事が、比較的わかりやすくまとまっているかもしれない。
どうも、私はこの女神さまに祈りを請われていたのではないかという節がある。
そして、何度も書いている「神遣い」の登場となった。
ふつう神社では「あり得ない」磯ガニが登場したり、
瀕死のトンボが忽然と現れたり、
掃除を終えた後で、バス停でバスを待っていて、トンボが肩に停まったり、
不思議なことが続いた。
女神さまが神社の荒廃ぶりを嘆いて、なんとかしてほしいと訴えられているのではないかと悟った。
その後、この神社で、お掃除や祈りを繰り返してきた。
何年か経ち、社殿が修復されて、ほとんどお参りする人がなかった神社が海辺の散歩コースに取り入られて、小奇麗に変身した。
当初は、拝殿の前で祈っても、ここに本当に神さまがいるのだろうかと思うほど、「神の力」をまったく感じなかった。
それが、今日もそうだったが、ある程度の「力」を感じるまでに神社が回復したように思われる。
ひとつの自分の役割が終わったと思ったものだった。
…と、解釈の仕方は人それぞれ違うかもしれないが、私はこのように理解している。
今日も呼ばれたとすれば、神社の被害状況を知らせるためだったのだろうか。
弟橘比賣神社の被害状況
ビデオカメラを回しながら、裏に回ってみると、本殿の石垣の一部が崩れ落ちていた。
表面の石が剥がれ落ちただけなので、修復はそれほど手間取らないだろう。
先に書いた石灯籠の倒壊に加えて、この程度で済んで良かったかもしれない。
早く修復がされますようにと、再度拝殿の前で祈った。
何しろ無人の神社なので、すでに氏子の方が気づかれていれば良いのだが。
石灯籠も倒壊したまま、まったく手がつけられていないようなので、ちょっと心配だ。
それにしても、数年前に社殿が修復されていて良かった。
もし古い社殿のままだったら、もっと大きな被害が出ていただろう。
ふと考えてみる。
もしかして、オトタチバナヒメさまの「悲しみ」は、あの老巧化した社殿では、数年後の地震で大きな被害が出るからということだったのだろうか。
それとも、将来の地震と津波の犠牲者が出ることを見越しての悲しみもあったのだろうかと。
そこまでいくと、ちょっと考えすぎかもしれないが。
東京へ
かんぽの宿バス停のひとつ先の祝町中学校前まで歩き、バスを待つ。
15分ほどで、水戸行きのバスが来た。
40分ほどで、16:00前に水戸駅前に着く。
水戸駅から、東京駅行きの高速バスに乗る。
16:00発射のバスは満員で、16:30発の次のバスを待つ。
その前に、急遽16:20発の臨時バスが出て、それに乗ることができた。
常磐線が止まっているので、水戸から東京へ向かう唯一の交通手段(?)ということで、かなり混んでいた。
3連休が終わって、明日から仕事という人が多いのだろう。
オトタチバナヒメさまの色
バスの中で、ふとオトタチバナヒメさまのことを想う。
以前に「神遣い」が現れた時のことを思い出す。
イソガニは赤かった。
そして、神社を掃除していて現れた瀕死のトンボも、肩に留まったトンボも、赤とんぼだった。
共通するのは、色がオレンジ色(橙色)に近いということだ。
そこで、ふと気がついた。
「橙色(だいだい色)は、オトタチバナヒメさまの色ではないか」と。
橘の実の色なのだ。
この色は、弟橘媛命を御祭神とするいくつかの神社でシンボルカラーとして使われている。
この女神さまの神名に含まれる「タチバナ」(橘)は、ミカン科ミカン属の常緑小高木だ。
その果実は、日本で古くから野生していた日本固有の柑橘類だ。
見かけはウンシュウミカンに似ているが、酸味が強くて生食用には向かない。
磯ガニにしても赤トンボにしても、この「橘の色」が含まれている。
オトタチバナヒメさまの「神遣い」として、これ以上にふさわしい生き物はいないではないか。
ネット上でイソガニを調べてみると、必ずしも赤い色をしているとは限らない。
だが、はじめてこの神社を訪れた私の前に現れたのは、鮮やかなオレンジ色をしていた。
その色でなければいけなかったのだろう。
また、前にも書いたが、カニやトンボは、「龍」とも関係があるのだ。
ちなみにトンボは英語でdragonfly(飛ぶ龍)という。
オトタチバナヒメ様は、「龍宮の女神さま」だという説もある。
バスの中で橘色の神遣いのことを考えて、微笑ましく思った。
やっぱり女神さまらしいな、と。
そして、磯ガニも赤トンボも、やっぱり神遣いだったのだと、確信するようになった。
長年各地を聖地巡礼していて、ちょっとやそっとの不思議なことが起きても驚かない。
だが、あのカニが現れた時には、目が点になった。
「なんでこんなところにカニが…」と。
瀕死のトンボの時には、その意味するところを即座に悟った。
聖地で神使が現れても、それは必ずしも「良いこと」とは限らない。
ちなみに、今までの聖地巡礼で印象深く記憶に残っている神遣いを、下記の記事にまとめてある。
d.hatena.ne.jp
久々の巡礼を終えて
帰りは、行きの時ほど苦労はしなかった。
東京駅から中央線快速で座れたので、そのまま終点の武蔵小金井まで乗って行くことにした。
武蔵小金井からバスに乗り、花小金井で降りる。
昨夜、JRの運行状況をちゃんと調べていれば、最初から東京駅へ行って高速バスで行ったのに。
そうすれば、時間的に大洗磯前神社も巡礼できたかもしれない。
ちょっと準備不足だった(いつものこと?)。
大洗に辿りつけたこと自体が幸運だった。
指令する方にしてみれば、ここまで見越してのことなのだろうが。
何もかもお見通しなのだろうか。
途中、大洗へ行くことを諦めかけたこともあったが。
地震の祈りは、これからも続ける必要があるだろう。
福島の原発のことも、まだ完全に解決したわけではない。
これから慰霊の祈りなどで、各地を回る必要が出てくるだろう。
言うまでもないことだが、東日本大震災では、まだまだ多くの祈りを必要としている。
個々にそれぞれのやり方で、祈ってくれる方々が増えてくれることを願っている。