探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ(はてな旧サイト)




東日本大震災から1年


いろいろと忙しくて、ブログを書けなかった。
龍矢の世話も手伝わなければならない。
こういうタイトルで書こうと思っていたが、まとまりがなくなるかもしれない。
3月11日は、午後に武蔵小金井赤ちゃん本舗で龍矢の服などを買ってから、病院へ。
この店は、近所の西松屋ほど安くないが、品数が豊富だ。
3/5に生まれた龍矢が、サルちゃんから1日遅れて昨日の昼に退院した。
新生児黄疸は、けっきょく悪化を見せなかったので退院ということになった。


息子の龍矢は、東日本大震災から1年目の直前に生まれた。
サルちゃんと私は、この大震災の発生直後に初めて会った。
オンライン上の出逢いは、その前年だったが。
あの頃は、墨田区の某携帯キャリアのビルで開発に携わっていて、あの日の14時46分には、20数階建てビルの10階にいた。
あの頃は忙しいのと疲労で、聖地巡礼とか地震予知などからずっと遠ざかっていた。
たとえ震源は遠くてもあの規模だし、ある程度頭痛などの体感があっただろう。
覚えていないし、仕事中にそういうことを意識する余裕はなかった。

体感はあった

ただ、翌日のブログで、「先週から今週初めあたりにも、職場でかなりの眠気に襲われていた」と書いていた。
遠くで起きる大きな地震の場合、そういう体感がある可能性を考えている。
ちなみに、「眠気」は、電磁波過敏性の症状の一つとされている。
ちなみに、昨日と今日も昼休みに強い眠気があった。
先ほど18:09の三陸沖M6.8は、ツイートした11日夜の頭痛でダウンに対応していると思われる。
まだ後続ありか。


2004年のスマトラ島沖地震津波の時に、1週間前に夢で知らされていた。
あのことをきっかけに、市民権を得ていない地震予知の活動を始めた。
東日本大震災に先立つこと6年前からは、千葉・茨城・福島の海沿いを何度も聖地巡礼した(させられた)。
福島第一・第二原発のすぐ近くの双葉町の3つの神社でも、大地震原発事故を防ぐための祈りをした。
2005年4月8日には、8ヶ月以上にわたる一連の巡礼シリーズが終わり、その4日後に津波の「ビジョン」を見た。
あの時、すべてを悟るべきだった。

寂寥感

自分がやってきたことは何だったんだろうと、深く落ち込んだ。
すべての情報は、5年前に渡されていたのだ。
信じる信じないの世界になるが、私はそう解釈した。
だが、一つ疑問に残ることが。
5年前を過ぎると、関東近辺の巡礼先が、主に東京以西に変わって行ったこと。
「もうこれ以上祈る必要はない」などということは考えにくい。
もしかすると、指示を出す側も、「起きる」とはわかっていても、「いつ」という情報までは持っていなかった?
これも、あまり納得できる解ではない。


ただ一つ、それ以降も何度も巡礼した場所があった。
茨城県の大洗だ。
ここ自体は、津波の被害はそれほど甚大ではなかった。
だが、そこには弟橘比賣神社がある。
あの神社に導かれて、カニさんや瀕死のトンボが出現さたのは、荒廃して神社をなんとかして欲しいという女神さまのお知らせだと解釈したが、それだけではなかったのか。
海上安全で信仰されるが、津波の災害も司どっているのだろうか。

3.11の祈り

11日は、病院から帰宅して昼食をとって、気がつくと14時。
一人で家を出て、病院の隣の武蔵野神社へ。
祭神猿田彦大神さまと諏訪大明神さまに祈る。
14:46の5分前に祈り始めて、15分ほど続いただろうか。
本来ならば巡礼先を伺ってどこかへ行くべきだろうが、その時間も金もない。
自分でできる精一杯の力で、集中して犠牲者の慰霊の祈りをする。
本務を尽くさなかったせめてもの罪滅ぼしとして、この1年間、家の神棚や聖地で祈ってきた締め括りとして。


祈り疲れた。
たかだか15分かそこらだったのに。
かなりのエネルギーを費やしたのかもしれない。
多くの犠牲者が出た時の慰霊の祈りは、かなり消耗する。
犠牲者のための祈りは、これからも聖地巡礼して続けて行かなければならないと感じている。


Copyright (C) 2004-2020 Naoya Momose - 百瀬直也. All Rights Reserved. Email