数日前に自分で書いておきながら、すっかり忘れてしまった。
この「探求三昧」ブログは、2004年9月18日に「はてなダイアリー」で初めて記事を書いてスタートしました。
そして、2日前の9月18日で満10年になりました。
実際にブログというものを始めたのは、2004年8月にgooブログで開設したのが初めてだった。
だが、その後に気に入らないところがあり、次々と「ブログのはしご」をして、翌月にはてなダイアリーに「安住の地」を見つけることとなった。
その後、はてなダイアリーは今年4月1日に「はてなブログ」へ移行するまで、10年弱続いたことになる。
この10年で、どれくらいの記事を書いてきたかというと、3854本だ。
平均すると、ほぼ1日1本の割合で記事を書いてきたことになる。
ソフトウエア開発で多忙だった頃など、何週間もブログを休んでいたが、1日に複数記事を書いたことがけっこうあったので、この数字になったわけだ。
最近このブログは、月間30万PV(Pave View=アクセス数)を超えるようになった。
当たり前だが、最初から今くらいのアクセスがあったわけではない。
ほとんどバックグランドがないゼロからのスタートだった。
読みに来てくれる人が少なくて、寂しかったものだ。
それでも、3ヶ月後の2005年1月には、月間のPVが2万を超えていた。
その後も月々数万PVの時代が続いて、2013年にやっと10万PVを超えるようになった。
ハピズムなどメディアで記事を書き始めたのが大きかったのかもしれない。
「探求三昧」に込めた想い
「探求三昧」というネーミングは、世の中に絶対ない名称にしようという強い意志によるものだった。
中国にもそんな熟語がないことを確認してから、決めた。
とにかく人と同じことをするのが死ぬほど耐えられないという偏屈な人間なので。
結果的に、「探求三昧」とか「百瀬直也」とかでググると一発で見つかるから、良かっただろう。
百瀬直也というユニークな名前も幸いした。
(他に日本に同姓同名が二人ばかりいるようだが、ネットで見つかる情報のほとんどは私の関係だ)
いま考えてみると、「探求三昧」とは私の人生そのものだから、これが正解だったと思う。
その意図するところは、「真理を得たいから、分かち合いたいから」というキャッチフレーズに尽きる。
今の世の中、「真理」があまりにも知られておらず、また「探求」しようという人が少なすぎる。
「真理の探求」の対象とは、たとえば「スピリチュアル」であり、「原発」であり、「古代イスラエル」であり、また他のいろいろな「世界の秘密」であったりする。
知られていないことが知られていないままになっていることに対する憤り。
これが、私がものを書くエネルギーの源泉といえるかもしれない。
ライフワークとしてのブログ
「探求三昧」が自分の人生そのものだから、
必然的に、このブログは一生続けることになるだろう。
「探求」をやめてしまったら、百瀬直也の存在価値はないから、その時は死ぬ時だろう。
ずっと「はてなブログ」のままでいるかどうかはわからないが。
いつか「プロブロガー」になっていたらいいなと思うが、私のように原稿執筆で稼いでいるような人間は、厳密にはブロガー専業ではないから「プロブロガー」とは呼ばないらしい。
「もの書き」を目指している人がいたら、絶対ブログをやるべきだ。
マスコミのプロからも文章力は問題ないと言われたりするが、特別に文章修行など何もしてこなかった人間でも、10年ブログを書き続けてきたのが大きかったようだ。
それから、30歳前後から25年ほどSE(ソフトウエアエンジニア)として働いてきたことが、結果的に文章力を養うことに結びついていたようだ。
プログラムを書くのも、メディアで文章を書くのも似たような作業であり、結果的に構成力を養うことにもなったからだ。
人生の経験には、無駄なことは一つもないんだなと、つくづく思う。
もともと、ものを書くのは好きな方だったが、話すのは大の苦手だった。
ものを話すときには、後戻りはできないが、文章を書くときには、いくらでもできる。
特に原稿用紙の時代でなく、今のコンピュータの時代には。
このブログの特徴として、コメントがつくのが少ないというのがある。
承認制にしているというのもあるだろうが。
そういうこともあって、読者が何を望んでいるのかとか、あまりわからない。
わからないまま、自分の書きたいことを一方通行で書いている。
それでも、1日1万人とかそれ以上とか、人が集まってくるのだから、これでいいのだろう。
ものを書くのは孤独との戦いという要素があるが、たとえ反響が少なくても役に立っているのならばそれ以上は望まない。
何歳まで生きるように設定されているか知らないけれど、
20周年、30周年になっても続けていられればいいなと思う。
少なくとも、眼が見えて指が動く限りは、だいじょうぶだろう。
それとも、そうでなくても喋った内容がそのままブログになるような日が近いかな?
これからも、このブログを応援してくださいとか、そんなありふれたことは言わない。
応援してくれる人がいてもいなくても、どうせ孤独な作業であることには変わらない。
結果的に、多くの人が求めている情報を提供できれば、それがいちばんの喜びだ。
※家族の支えがあるからこそ、やっていられる。
【龍矢】【愛弥美】おはよ。Good day.