探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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スマトラ島沖地震津波の三人の少女の感動的な話~人々を助けた10歳と奇跡的に助かり再会した二人


今日3本目の記事、行きます。
私の人生には、ブログのネタが尽きるということは一切ない。
あるのは、それを書く時間がないということだけです。
いま、Googleドライブ上のネタメモを数えたら、ストックが70以上あった。
今後もたぶん、認知症にでもならない限り、一生ネタは尽きないでしょう。


この記事では、2004年スマトラ島沖地震津波の時の三人の少女の感動的な話を紹介する。
一人は、津波について授業でならったことを思い出し、数百人の命を救った英国の10歳のの少女。
あとの二人は、津波で流されたが奇跡的に助けられ、数年後に両親と奇跡的な再開を果たした少女たちだ。

人々を津波から救ったティリー・スミスちゃん(当時10歳)

まず、英国のティリー・スミス(Tilly Smith)という当時10歳の少女の話。
地震が起きた2004年12月26日、彼女は、家族とともにタイ、プーケットのマイカオ海岸で休暇を過ごしていた。


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海岸で7歳の妹のホリーと遊んでいた時、白い泡が立った後で波が引いたのを見て、2週間前に学校の地理の授業で習ったばかりの「地震津波」の内容を思い出した。
津波の前兆現象だと教わったことを、目にしたのだ。


彼女はすぐにホテルに戻り、両親にそのことを伝えた。
報告を受けた両親は、10歳の子供の戯言だと無視することなく、真剣に受け止めた。


母のペニーさんは、すぐに海岸にいた人々やホテルに連絡し、人々は高台へと避難した。
そのために、マイカオ海岸では負傷者も犠牲者も出なかったという。


この津波では、全世界で22万人の犠牲者を出す大惨事となった。
タイのプーケットでも5千人ほどの不幸が出たが、マイカオ海岸だけはその悲劇を免れた。
ティリーは「ビーチの天使」(Angel of the beach)と呼ばれた。
今では21歳の美しい女性になっている。


この話の教訓としては、地震津波の前兆現象を多く知っているほど、後々で実践的に役に立ち自分や他者の命が助かる可能性があるということだ。
また、子供が荒唐無稽そうなことを話し始めても、その態度などから事の重大さを読み取ることも大切だということ。


下記のYouTube動画に、英語になるが、彼女を紹介した番組がある。



Angel Of The Beach - YouTube



labaq.com
日刊ベリタ : 記事 : 「ツナミよ」英人少女の叫びがタイで人命救う 学校で習った地理の知識が役立つ

 

津波で流された4歳の少女が10年後に両親と奇跡の再開

次は、津波の当日、インドネシアの西アチェ県に住んでいた4歳の少女の話。
インドネシアアチェ州では、16万人の逝去者・行方不明者が出た。
そんななかで、当時4歳だったラウダトゥル・ジャナちゃんと、兄で7歳のアリフ君も、津波に襲われた。
母親のジャマリヤさん(当時32)らは約1カ月間、捜したが見つけられず、亡くなったと考えた。


https://instagram.com/p/8u_SoiI2md/


だが、実際はジャナちゃんは板に乗ったまま海に流され、スマトラ島沖の小島周辺で漁師に助けられ、南西アチェ県の漁師の家で育てられていたのだ。
2014年6月頃、ジャナちゃんの母親の兄がたまたまその地を訪れた時に、母親とよく似た顔のジャナちゃんを偶然見かけた。
14歳になったジャナちゃんを育てていた漁師に会って確認したところ、津波で流された子供と分かり、両親が対面して娘だと確認した。
ジャナさんは今後、実の両親と一緒に暮らすという。


母のジャマリヤさんは「娘の無事をずっと祈り続けてきた。神がもたらした奇跡だ」と涙を流しながらメディアに話した。
同時に津波に流された兄のアリフ君についても、その後生存が確認されたという。


このケースでは、ジャナちゃんの伯父さんが彼女を見かけて、「行方不明の姪かもしれない」と直感的に思わなければ、奇跡的な再開はなかっただろう。
この家族はムスリムのようだが、アッラーのお導きなのだろうか。
下記に、YouTubeの動画がある。



津波から10年 少女が家族と奇跡の再会 - YouTube


www.nikkei.com

 

津波から助かり7年後に自力で生還した9歳のメリちゃん

次も似たようなケースだ。
同じ西アチェ県に住む、メリ・ユランダ(Meri Yulanda)ちゃんの話。
当時9歳くらいだったメリちゃんは、西アチェ県ジョハン・パフラワン郡ウジョン・バロ村ロロン・サンキス地区に暮らす父タルミウスさんと母ユスニアールさんの次女だった。


母親によれば、津波が村を襲った日、家族は皆で高台を目指した。
だが、取りあえず安全と思えた自宅よりも高い一軒家まで逃げた。
しかし、津波はその家を呑み込んでしまった。


両親と、当時1.5歳だった末っ子のアリちゃんは助かったが、メリちゃんと姉のユリちゃんは行方不明となった。
7年の歳月がたったある日、メリちゃんは突然に家を訪れた。


トラウマのためまだ多くを語れないが、聞いたところによれば、津波からは何らかの形で助かったようで、“里親”からヘラワティ(Herawati)の名で呼ばれて育てられた。
だが、女の子なのに坊主頭にさせられm物乞いをさせられていたという。
女主人から手荒く扱われ、頻繁に殴られたりしていた。


そしてメリちゃんは2011年12月20日に脱出を決意し、生まれ故郷のムラボを目指した。
母親のユスニアールさんは、こう語る。
「初めはまさかと思いましたが、お腹の傷跡や目の周りのホクロを見て、間違いなく次女のメリと確信しました。あの津波で姉のユリと共に消えてしまった娘だと」


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津波の直後から、アチェ州では子供の人身売買が頻発し、政府は、アチェ出身の子供を連れて出国する者を対象に厳しい出国制限措置をとった。


メリちゃんのように、津波から助かったが、その後両親と再会するまではあまり恵まれた境遇で育てられなかったケースもある。
だが、人身売買されないだけ良かったかもしれない。


インドネシアの二人の少女の話を知って思うのは、たとえ親子と生き別れになったりしても、完全に亡くなったのだと諦めずに一縷の望みをもっていれば、このように奇跡的に再開することもあるのだということ。
全体の中では数少ないが、有能な霊能者やサイキックならば、本人が生存しているか亡くなったかぐらいはわかるだろう。
住んでいる場所まで特定できる人もいるかもしれない。


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