今日は、松原照子さんの世見を取り上げる。
今日2017年01月08日の『「淀君」「おとたちばなひめ」』と題した記事だ。
「おとたちばなひめ」
この名前が出たからには、スルーするわけには行かないではないか。
また、この世見は自分にとって、そしてたぶん日本の未来にとっても、何重の意味でも超重要な内容が含まれているのだ。
地震や津波とも関係してくる話でもあるので。
まだ「あほうどりのひとりごと」にも他のどのブログでも紹介(転載)されていない世見だ。
【聖地巡礼】弟橘媛命さまのレリーフの前で。神棚にお祀りしていて、神札をいただきに来た。
今日は(今日も?)かなり長いですよー。
目次
信仰する弟橘媛さま
何がそんなに重要かというと、まず自分にとっては「信仰」にかかわるものだから。
私は特定の宗教団体に所属していない。
だが、「信仰」があるかないかといえば、たくさんある。
自分が家の神棚や仏壇にお祀りすることを「信仰」というのならば、紛れもなくある。
その一つ…もとい一柱が、オトタチバナヒメさまだ。
最初から最後まで話せば、長~~~~~~くなってしまう。
私と、この女神さまを結びつける最重要キーワードが「東日本大震災」であり「津波」だ。
何のこっちゃ全然わからないでしょう?
だから、長~~~~~~~くなるんです。
津波からの守護を司る女神
たしか、古事記では「弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)」
日本書紀では「弟橘媛命)」だったと思う。
漢字表記のこと。
結論から書いてしまうと、弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)さまは、海上安全を司る女神様と言われているけれど、津波から人々を護ってくださる女神でもある。
そのことは、自分の「宗教体験」というか「霊的体験」というか、「心霊体験」?
とにかく自分が体験した一連の出来事から悟ったものだ。
私は、その回答に中々たどり着けなかった。
あ、そうだ、今日は松原照子さんの世見の紹介だった。
いや、ちょっと前置きが長くなっただけで、道は逸れていないと思う。
「おとたちばなひめ」って
では、今日の記事の引用を始める。
「おとたちばなひめ」って、誰なのですかネ?
自分でひらがなを書いて、何故書いたのかも思わずに、このお姫様らしき人が気になります。
(松原照子、ブログ「幸福への近道」、2017/01/08より)
さすがに知らない女神様の神名を漢字では書けないでしょうね。
学校でいつか習うと思うんだけど、かくいう自分もそんな記憶はまったくない。
無理もないでしょうね。
日本神話では、オトタチバナヒメさまは、倭健命(ヤマトタケルノミコト)の妃神とされる。
『常陸国風土記』では、なぜか大橘比売命または橘皇后で、日本武尊は倭武天皇となっている。
「馳水」?
「馳水」ウ~ン、この意味はわかりませんが、おとたちばなひめと馳水は縁があるのではと思った時、「自然災害」これも又、思ってしまいました。
(松原照子、同上)
「馳水」
これ、恥ずかしながら、私もどう読むのか知らなかった。
「はしりみず」と読むのだ。
それで全てがわかった。
走水は、神奈川県の三浦半島東岸にある地名だ。
その地にある走水神社が地名の由来となっている。
もっと遡れば、ヤマトタケルノミコトさまとオトタチバナヒメさまが東国を旅された時のエピソードにも、この地名が登場する。
ヤマトタケルさまが相模の海辺に来られた時、対岸の上総に渡ろうとされた。
ところが、海神の怒りを買うようなことを言われたために、船は突然の暴風によって漂流して渡るのを阻止された。
そのとき、オトタチバナヒメは海神の怒りを鎮めるために、海に身を投げた。
すると暴風はすぐに止み、船は無事岸に着いた。
前述の走水神社の御祭神は、大和武尊さまと弟橘媛命さま。
私は、このニ柱の夫婦神を神棚にお祀りしている。
「馳水」と「自然災害」
「馳水」これだけはチンプンカンプン?
でも、先程スッと出た「自然災害」との関係があるのかもしれません。
(松原照子、同上)
これだけ読んで、その(不思議な世界の人々の?)真意を悟る人はごく僅かでしょう。
そう、「自然災害」とは「津波」なのだろう。
海岸から12km。
丘陵中の高さを知りたくなったのですが、これも又、意味わからず。
(松原照子、同上)
これは、今はちょっとわからない。
調べている暇がないので、宿題とさせてください。
ただし、弁天山や吾妻・浅間の海岸線は近年注意したいと思いましたが、この海岸線がどこなのかわかりません。
もしかすると、これから日本における災害のヒントが隠されているかもしれません。
馳水…美しい言葉に思いますが、この字は先程見えたので書いただけです。
(松原照子、同上)
「馳水」を「はしりみず」と読むなんて、私も知らなかったくらいだから、すごい。
さて、ここでまた謎の地名が。
弁天山、吾妻、浅間?
私はピンと来た。
「弁天山」は、小田原市田島にある山。
その近く(小田原市前川1116)には、弟橘媛命を御祭神とする吾妻神社が鎮座する。
「吾妻山」は、神奈川県中郡二宮町にある。
この山には、弟橘媛命を御祭神とする吾妻神社(二宮町二宮961)が鎮座する。
「浅間」は、神奈川県にいくつかある浅間神社のことだろう。
この謎解きが一番難解だが、もしかすると上記の二宮町の吾妻神社と同じ吾妻山に鎮座する浅間神社のことか。
浅間はともかく、「弁天山、吾妻」と聞いてピンと来るのは、弟橘媛オタクである私以外に、この世にいないかも。
これらの神社がある付近の海岸線は注意ということは、津波だろう。
ああ、それで嫌なことを思い出してしまった。
東日本大震災が起きた後で、千葉や茨城の聖地を周らされるだろうと思ったら、違った。
なぜか神奈川とか、東京より西の方を周らされたのだ。
横浜とかが多かったが、もしかすると今度はこのあたりが津波に要注意ということか?と思ってしまった。
あ、知らない人のために書いておくと、私が「聖地巡礼」させられる先は、すべて自分が決めるわけではない。
マップダウジングによって、私を指導する存在からの「司令」によって行くのだ。
「まぼり つなみ」
神奈川に住む方々に追い打ちをかけるようで済みませんが、こういうことも思い出してしまった。
2012年1月2日、朝起きて寝床でまどろんでいた時に、突然「まぼり、つなみ」という言葉が頭に浮かんだ(幻聴?)。
「まぼり」というのは、走水神社がある三浦半島の地名である「馬堀」だろう。
この神社へ行く時に、京急線の「馬堀海岸」駅で降りて、バスに乗るのだ。
この馬堀海岸まで、津波が押し寄せるということ?
「東京湾や相模湾に津波が来る」ということでは、私の幻聴と松原さんの世見が一致しているかもしれない。
もしかすると、これから日本における災害のヒントが隠されているかもしれません。
馳水…美しい言葉に思いますが、この字は先程見えたので書いただけです。
(松原照子、同上)
鋭いですねー。
正直いって、松原さんの世見で、オトタチバナヒメさまと津波の結びつきを思わせることが出てくるとは、ビックリだ。
ここまで書いても、まだ「なんのこっちゃ?」でしょうね。
そんな5年も前から私のブログを愛読されている方がいたら嬉しくなるけれど、ほぼいないでしょう。
まあ所詮このブログは、通りすがりの人たちのためのブログでしょうね。
「話せば長~~~~~くなる」の、まだ半分も行ってません。
もう、このへんで読むのやめても良いですよ。
なんだか、あんまり関係ない人に突き合わせるのが悪くなってきた。^^;
東日本大震災
あの3.11が起きた10日後に、大震災後初の聖地巡礼をさせられた。
行き先は、大洗。
それで、すべてを悟った。
オトタチバナヒメさまが祀られる弟橘比賣神社へ行けというのだ。
3.11の5年前に、千葉~茨城~福島の海沿いの神社仏閣ばかりを周らされた。
今となっては、その「目的」は明白になった。
そして、辿り着いたのが、弟橘媛命という海を司る女神様の神社だったということも。
初めて訪れたその小さな無人の神社で、目を疑うものを見つけた。
イソガニだった。
海からかなり入ったところの、さらに石段を登ったところの高台にある神社に、なぜ蟹が?
今思えば、それは女神さまの「神遣い」であり、カニの橙色は弟橘媛さまの色なのだ。
※橘は柑橘系の果実で、橙色をしている。
その後、再度その神社を訪れた時には、境内で瀕死のトンボを見つけた。
何か女神さまが悲しまれているというメッセージなのだろうと直感した。
だが、社殿が古くなっていることを嘆かれているのだろうと思ってしまったのが鈍いところだった。
いや、それも一部にあったかもしれない。
だが、5年後に当地を大津波が襲うことだということまで、まったく頭が回らなかった。
このへんの概要は、その日に書いた記事で書いている。
インドネシア・ジャワ島では、ニャイ・ロロ・キドゥルという荒ぶる海の女神がいる。
中国では、生前に有能なシャーマンだった中国の媽祖さま。
日本では、弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)さま。
また、本来はヒンドゥーの河の女神さまだが、弁財天(サラスワティ)様。
すべて、海の安全を司るのは女神様方だ。
「無償の愛」と「オトタチバナヒメ精神」
1992年秋の国体の開会式で、観覧されていた天皇陛下に暴漢が凶器を投じた。
その時、美智子さまはとっさに片手を挙げて、陛下をかばわれた。
美輪明宏さんは、この逸話を「これこそ最高の愛の形」と絶賛した。
その美智子皇后さまは、オトタチバナヒメ様を非常に敬愛されている。
以上のことは、2009年の下記の記事で紹介している。
tankyu.hatenablog.com
皇后さまは、オトタチバナヒメさまに学ばれたのだろうか。
自分の命に代えても夫を守り通すということを。
なので、私の中では、皇后さまの取られた行動は「オトタチバナヒメ精神」なのだ。
といっても、「妻は夫に従え」的な前時代的な考えではなく、美輪明宏さんが言っているように「無償の愛」の形として素晴らしいと思うのだ。
弟橘媛命さまとのご縁
その後に、司令によって、神棚にオトタチバナヒメさま(とヤマトタケルノミコトさま)をお祀りするようになった。
本来ならば、私の人生を大きく変えた大洗・弟橘比賣神社の神札をお祀りといきたいところだが、そこには社務所も神札もない。
そこで、元祖の神社である走水神社になったのだろう。
その後も、この女神さまが祀られた神社には、いろんなところに行かされた。
3.11の前にも後にも。
やはり千葉県や神奈川県が多い。
前述の吾妻神社(2社とも?)にも、行ったことがあると思う。
これ以上のことを知りたいという人はほとんどいないだろうけれど、念のため書いておく。
下記の記事は、2005年に茨城県聖地巡礼として初めて大洗の神社を訪れた時のこと。
tankyu.hatenablog.com
大震災で、人々を助けるために自分の命を惜しまなかった遠藤未希さん。
現代のオトタチバナヒメといえるかもしれない。
tankyu.hatenablog.com
「歴代神遣いベスト10」
こんな記事を書くほど、聖地で遭遇したことが多いんですよ。
ここで、(4)、(5)、(8)はオトタチバナヒメさまにまつわるものです。
tankyu.hatenablog.com
私が、この女神さまについて経験によって悟ったこと。
それは、以下のことだ。
長々と書いたけれど、要は、弟橘媛命さまという女神さまは、津波から人々を助けるためにお力を尽くされている存在だということ。
なので、津波の心配がある土地の方々は特に、よくお参りされると良いでしょう。
※冒頭に貼り付けた写真に弟橘媛様と一緒に写ってる人。
私にとっての「女神」さま。^^;
いや、たぶん読者の皆さんが思っているような意味じゃなくて、なんていうの?
とにかく、どこまでも「無垢」なんです。
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