探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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祈りを終えて


いま、帰宅しました。
どこからかというと、家のすぐ近くにある武蔵野神社です。
ここには、猿田彦大神諏訪大明神という超強力コンビ(?)が祀られています。
今日は、ルナさんの呼びかけで、日本に起きる大地震などの自然災害の大難を小難に変えてもらおうと、みんなで祈りを捧げましょうということになりました。そして、9:00と14:00に祈りました。
詳しい事情は、12/22のブログで書いています。

さきほど武蔵野神社に5分ほど前に着いたので、お祈りを始めるのはちょっと待とうと、銀杏並木をぼんやりと眺めていたら、どこからか「ニャ〜」と聞えてきて、下をみたら猫が足に擦り寄ってきていました。
それで、その猫ちゃん(神社か近くの家の飼い猫かな)としばらく遊んでました。もちろん、お祈りの前には手水場でちゃんと手を洗いました。
考えてみると、神社へお参りすると猫が近寄ってくるということがけっこうあるんですね。なんなんでしょうね。
去年だったかな。沖縄の波上宮でもありました。

お祈りを終えて、いま気持ちいいというか、爽やかな感じがします。
これは大事なことだと思います。
世界の平和や自然災害回避のためのお祈りをした後で、なんとなく気分が悪いとか、そういうマイナスの気持になったとしたら、それはその祈る場所が自分と合わないとか、何かしらの理由があるのだと思います。
武蔵野神社はほとんど無名の神社ですが、そういう意味では非常に良い波動をもった場所だと思います。

ところで、今回のお祈りに参加した方々は、これを機会に自らの意志で、たとえば聖地などへ行って、自己利益のためだけのお祈りではなくて、こういう風な全体のためのお祈りをすると良いでしょうね。
そうすることによって、自分が徳を積むことになるし、また、より高い次元の神々と縁ができるものだと思うんですね。自分の経験から言っても。
ただし、徳を積むとか何かの「ご利益」を求めてそういう祈りをするのは邪道ですよ。あくまでも結果を求めずにやって、そういう結果は後からついてくるものなんです。
また、たとえば神霊が支配する御嶽とかへ行って今回のようなお祈りをして、はたして日本全体を守護する神や創造主へ祈りが通るのかという疑問をもつ人がいるかもしれませんが、そういうところでそのような祈りをすることによって、そこに祀られている神霊なり神々の世界の存在なりも、その人と一緒になって、より高い次元の神さまへ向かって祈ってくれるそうなんですね。
だから、無駄ではないんです。

何度も書きますが、祈りと言うのは決して抽象的な行為ではありません。
向こうの世界では、祈ること自体がエネルギーを生み出すんです。
霊界の迷っている存在が、祈りを捧げてくれることによって、ちょうど現実世界の人々が食べ物を食べて栄養を取るように、祈りが「栄養」というか生きるエネルギーになるんですね。
だから、お祈りしたり線香を焚いたり供物を捧げたりすることは、それぞれみんな意味があることなのですから、昔からある風習に従ったらいいんです。

今回のようなことをやることが、宗教的行為だとかとやかく言う人がいるかもしれませんが、みながそれぞれ持っている(かもしれない)信仰を超えたところで、皆が一つの目的で祈りを捧げるということ自体に意義があると思うんですね。

それから、これも大切なことなので、書いておきます。
今回のように、インターネットで知り合った人々が集まって同じ時に同じ目的で祈りを捧げるということは、たしかに尊い行為ですが、たかだが1回か2回そうやってお祈りしたところで、たとえば来年起きるべき大地震が起こらなくなるわけではないでしょう。
たとえば自分たちが選ばれた特別な存在なんだから、そういうことでも可能なんだというような考え方は、一種の傲慢な態度を生み出す恐れもあるので、それは慎んだ方が良いと思います。
もっとも、お祈りという習慣があまりない人たちが10人集まって祈るよりも、祈りの力をもった人が2〜3人で祈る方が効果があるというようなことは、あり得るでしょうが。

要は、自分のことを実際よりも低く見すぎたり、高く見すぎたりしないで、等身大の自分(たち)をありのままに見るということが大切ではないかということです。
もちろん、祈ることがまったく無駄になるということも、ないはずです。大難が少しでも小難に変わるとか、または被害者の数が少しでも減るとかいうことは、ありうると思います。

武蔵野神社(諏訪大明神との神縁の不思議)

最後に、武蔵野神社について少し書きます。
ぼくがいろんなところで書いたものを読んでいる人は知っているでしょうが、うちから歩いて5分かそこらのところにある武蔵野神社は、昔この近くにあった諏訪神社が合祀されているんです。
いま住んでいる小平市花小金井に引っ越してきたのが、2001年3月のことでした。
ぼくが物件を見つけたんですが、そのときは、そこから歩いて5分のところに諏訪神社があるなんて、まったく知りませんでした。
諏訪大社といえば、先祖代々父方の祖先が長野県上諏訪の地に住んでいて、うちの産土神(うぶすながみ)さまです。
もっと言えば、ぼくは1956年5月5日生まれで、6年に一度の諏訪大社御柱祭が行われている真っ最中に(予定日を2週間もすぎて、御柱祭になるのを待って?)生まれた「御柱男」なんです。
しかも、これから下に書くカミンチュー曰く、ぼくにはその諏訪大社で神官をされていた方が守護神としてついているそうなんです。

引越しといえば、どういうわけか、ぼくが自分で物件を選んで引っ越した先には、必ず半径2Km以内に諏訪神社があるんですね。
諏訪神社なんて、東京にそうたくさんあるわけではないんですよ。不思議としか言いようがありません。

2年ほど前に、本土のあるカミンチュー(ユタ)と出逢って、初めて判示をしてもらったときに、そのカミンチューが言うには、百瀬さんの家から歩いて行けるところに、水神さまが祀られた神社があるから、そこへ行ってお祈りすると良いですよ、とのことでした。その境内には銀杏並木みたいなのが見えると。
でも、水神を祀った神社なんて、いくら探しても徒歩圏内にはないんですね。武蔵野神社には確かに銀杏並木はあるけれど、御祭神猿田彦大神だから「水神さま」ではない。
ところが、それからしばらくたって、武蔵野神社でお札をいただいた時に暦をもらって、そこに書かれた御祭神についての説明書きに、その諏訪神社が合祀されていることが書いてあったのです。
唖然としましたね。そのカミンチューが言っていることが当たったというだけでなく、諏訪大社は自分にとって「超」がつくほど特別な存在ですから。

あとでその話をそのカミンチューにしたら、笑われました。でも知らなかったのも無理ないんですよ。神社の境内の由緒書きにもどこにも、主祭神猿田彦大神の神名はあっても、諏訪神社の名前はどこにもないんですから。

その後、そのカミンチューの指示によって、家で神棚を建て、天照大神諏訪大明神弁才天をお祀りしています。

みなさんも、過去生からある神仏への信仰が厚かった人には、そういう特別に縁ある神仏がついているかもしれません。『探求』してみてください。


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