今日、産土神さまである武蔵野神社へお参りした。
歩いて5分のところにあるのだが、京都から帰ってきても、風邪で寝込んでいて行けなかった。
行かなければ行かなければと思っているうちに16:00近くなってしまい、急ぎ足で神社へ。
御祭神の猿田彦大神さま、諏訪大明神さまに、今年もよろしくお願いしますとご挨拶。
境内に一人の女性がいて、背丈からして「もしかしたらmixiマイミクの○○さん」と思って見たら、別人だった。
そして境内を出て50メートルほど歩いたところ、向うから、そのマイミクさんが歩いてくるではないか。
「会うんじゃないかと思った」と私。
お互いにシャイな人間ということもあって、二言三言言葉を交わしただけで別れた。
彼女も、武蔵野神社へお参りするところだとか。
家はそう遠くないご近所さんだが、数分しか違わないタイミングで同じ神社へお参りするとは。
しかも、出逢う直前に彼女のことを考えていたとは、自分でも驚きだ。
恐らく向うは、普段はその道を歩くことはそれほど頻繁にはないのではないかと思う。
ネット上で知り合って、実際に会ってから1年ほどたつが、こうして道でバッタリ出逢ったことなど今までなかった。
この二人は以前からいろんなシンクロがあって、恐らく過去生で何度も、近い関係にあったのではないかと思う。
具体的にいうと、一緒に何かの霊的修行をしていたとか。
だいたい、本当に過去生で出逢っているとしたら、今生でもこうしてご近所さんになるというのは、奇跡的なことではないだろうか。
シンクロといえば、自分の経験からいっても、やはり恋人とか夫婦になるような間柄だと、よく起きるようだ。
今の家内とまだ結婚する前からも、よく起きていた。
そのケースを書いたものが、下記ページにある。
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TG/CG/CGKoibito.html
でも、家内との間にさいきんシンクロがあまり起きないのは…?
男女の仲に限らず、こういうシンクロが起きやすいのは、占星学的にいうと、火星同士の相性が良い場合が多いようだ。
知っている人と、道でバッタリ遭ってしまうというのは、本当の偶然もあるのだろうが、二人が同じようなことを考えていて、つまりテレパシー現象が働いて、同時に同じ場所へ行ってしまうということもあるのではないかと思う。
それとか、たとえばある二人の男女を結びつけるような『力』が働くときに、二人が同時にある場所へ導かれるということも、あるのではないかと思う。
偶然(ではなく必然)の出逢いというやつだ。
小田和正の歌に、あの日、あの時、あの場所で出逢わなかったとしたら、二人はまだ他人のままだったろうというようなのがあるが、まさにそのような奇跡的な出逢いによって導かれることって、あるのではないだろうか。
もっとも、あまりにもそのような「吸引力」が強い場合だと、いわゆる『逆縁』を疑ってみた方が良い場合も多いのではないか。
だが、男と女はたとえ逆縁だろうが、今生で学ぶべきことがあれば結ばれもするだろうし、それがお互いにとって良いことなのだろう。
人はみな良い悪いなんて勝手に判断するが、良いも悪いも相対的なものであって絶対ではなく、時間の経過によってその価値基準は変わるものだろう。