5/18(金)の記事で書いたとおり、夜にマップダウジングで伺ってみると、秩父へ行くようにとの指示。
関東近辺の巡礼で、海の近くではないところへ巡礼の指示が出ることは、とても珍しいこと。
最初に出たのは、秩父神社。
その次に、秩父市中心部から北にある黒谷駅近くの諏訪神社と、中心部の南にある浦山口駅近くの諏訪神社。
順番的に効率よくないため、後ろの存在にお願いして、下記の順番で回ることに。
最後の影森諏訪神社については、Googleマップを見ていて見つけたもので、巡礼地に加えるべきかどうかダウジングで伺ってみると、「yes」と出たところだった。
秩父へ
2007/05/19(土)
朝8:00に家を出る。
外へ出ると、雨が降っている。
花小金井から西武新宿線で所沢まで行き、そこから快速急行の長瀞行きに乗り換え。
8:30発の電車は西武池袋線→西武秩父線→秩父鉄道(乗り入れ)というルートで、目的の黒谷(くろや)駅へ直通だ。これは便利。
途中の西武秩父駅で行き先が分かれて、長瀞行きはうしろの4両になる。
西武線沿線に住んでいるという利点もあるが、家を出てから2時間弱で秩父へ来れてしまう。
PASMOで乗ったのは失敗だった。
秩父鉄道の駅はまだSUICA・PASMOは未対応のようで、駅員さんがSUICA用の電卓のような機械にPASMOをあてる。
すると液晶部分に「花小金井」と表示された。
乗車駅からの料金を払う。
聞いてみると、PASMOは初乗り料金は引かれないのだという。
「あれっ、SUICAって前からそうだっけ?」と思ってネットで調べてみると、PASOMO導入に伴って完全後払い制に変わったとか。
あれはシステム的によくないと思っていたが、これで改善(?)された。
諏訪城?
最初の目的地は、埼玉県秩父市大野原蓼沼にある諏訪神社だ。
黒谷駅を出ると、雨が一時的にやんで、青空が見えている。
秩父鉄道は電車の運行間隔が長く、電車の時刻の関係上、最初の諏訪神社へ行って返ってくるのは、少々急ぐ旅になる。
直線距離では1Kmほどだが、1.8Kmほどの遠回りになる。
早歩きでも20分はかかる。
駅前の案内地図を見ると、目的の諏訪神社があるところに「諏訪城跡」とある。
「ん? 城? 聞いてないよ」
後でネット上で調べてみると、たしかに昔は秩父諏訪城があった跡に神社が建っているのだ。
Googleで「秩父 諏訪城」検索すると、ボロボロと出てくる。↓
google:秩父 諏訪城
このような城マニアというのは、けっこう多いのだろう。
紹介しているサイトのうち、いくつか下記にピックアップしておく。
- http://www.shirofan.com/shiro/kantou/suwa/suwa.html
- http://joe.ifdef.jp/saitama/121suwa.htm
- http://www.water.sannet.ne.jp/u-takuo/suwazyo.htm
かつての諏訪城は、荒川と横瀬川という2つの川が分岐するところの丘の上の三角形の土地に建っていた。
上記リンクの3番目に、城跡の詳細な地図がある。
鉢形城主北条氏邦の家臣だった諏訪民部が城主だったとか。
別名・大野原城または蓼沼城。
この近くには、和銅採掘遺跡もある。
諏訪レイライン
なぜ秩父に諏訪城という名の城があるのだろうか。
諏訪氏が城主だったのだから、そういう名がついて当然なのだが。
じつは、秩父というのは昔、信州から治水工事のために移住してきた人々が開拓してつくりあげたという伝承がある。
秩父の小鹿野や吉田町のあたりで治水工事を行ったといわれており、地元では自分たちの先祖が諏訪から来たと信じている人々もいるという。
そのことが本当かもしれないという、ある事実がある。
私の小論「諏訪−鹿島レイラインの研究」を読んだことがある方ならば、覚えているかもしれない。
今回の巡礼のメインの目的地である秩父神社と諏訪大社上社本宮は、ぴったり東西線上にあるのだ。↓
かつて諏訪の民が東へ東へと移動したところに、たしかに秩父の地があったのだ。
では、この諏訪神社を西へたどっていったところには、何かあるのだろうか。
そう思って、Googleマップで調べてみる。
すると、西へ4キロほど行った伊古田というあたりにも、諏訪神社があった。
緯度の差は、ほんの数十メートルだ。
さらに西へたどると、群馬県上野村に、諏訪山があった。
更に更に西へたどっていくと、そこには諏訪湖があり、湖のほぼ中心を貫いていた。
果たして、そこまでを意識しての立地なのだろうか。
諏訪城主の諏訪民部という人物は、歴史上ではほとんど知られていないようだが、その祖先は諏訪の方から来たのかもしれない。
少なくとも言えることは、秩父には諏訪神社が多いということだ。
諏訪神社(大野原)
140号線を南へ歩き、横瀬川にかかる高い橋を渡った後で次の路地を右へ入る。
その後に、細い路地を右に曲がらなければならないのだが、しばらくまっすぐ歩いてしまった。
Infoseekサイトの詳細地図が頼りだ。
普段はGoogleマップを愛用しているが、聖地巡礼で目的地の地図をプリントするには、GoogleやYahooよりもInfoseekが良い。
この地図がなければ、もっと迷っていただろう。
踏み切りのないところで線路を渡り、野道をしばらく歩くと、鳥居が見えてきた。
小さな社だが、思っていたよりも立派な社殿だ。
直観的に、よく拝まれて大切にされているように思う。
御祭神は、調べるまでもなく、建御名方神(タケミナカタノカミ)だろう。
今日の巡礼の目的は、民族のカルマ解消と地震沈静の祈り。
祈っていると、唇に雨粒が一適あたる。
「いつもとは逆だな…」
そう思いながら祈りを続ける。
最後に「祓い給え浄め給え、守り給え幸(さきは)え給え」を三唱。
「はらい…」と言ったとたんに、サーッと雨が強く降り出す。
ほんとに、同期しているとしか思えないタイミングの良さだ。
拝殿前はひさしがないため、祈りの最中に強く降り始めていたら、祈りに集中できずに困っていたことだろう。
そう考えると、これもいつもの「恩恵」なのか。
つまり、雨が降るのを待っていただいたということなのか。
そうだとすれば、「いつもと逆」ではなかったのだ。
祈りを終えて、社殿に続いた社務所の前のひさしがあるところで、しばらく雨宿り。
周囲には車が通るような道路がなく、2つの川に挟まれた空間なので、静寂につつまれている。
時々電車が通るのを除けばの話だが。
買ったばかりのドコモn930iで、境内の写真を撮る。
この携帯のデジカメ機能は320万画素という高解像度だが、デジカメ機能は「ハズレ」だった。
ネット上でも評判がよくないが、事前調査する時間がなかった。
GWの京都行きの前日に、今月中に買えば0円というので、慌てて買ったのだ。
それ以上にカメラ機能の評判が悪いSH930iにしなくて良かったのだが、これも同様だったとは…。
まあ仕方ない。
今月に入ってから買っていたら、新規でも1〜2万に戻っていたそうだから。
いま考えてみると、これだけ安く売っていたのは、ドコモ2.0発売の前触れだったのだろうか。
まあ、ケータイで買い物ができても、あんまりうらやましいとは思わないが。
雨脚が次第に弱くなる。
時間が押している。
黒谷駅へ戻ることに。
事前に諏訪城跡のことを知っていたら、もっとゆっくりと城郭跡を散策できたのだが。
秩父神社
黒谷駅に戻り、2つ目の秩父駅で降りる。
徒歩5分ほどで、次の目的地である秩父神社だ。
同じ秩父の三峯神社には何度かお参りしたことがあるが、秩父神社にお参りしたのは恐らく初めてだ。
諏訪−鹿島レイラインのこともあって、以前からお参りしたかった神社だ。
なかなか行かせてもらえなくて、やっとという感じだ。
上記のうち、主祭神は八意思兼命だ。
『古事記』では思金神または常世思金神、『日本書紀』では「思兼神」と書き、思慮(おもい)を兼ね備えた神といわれる。
岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に、天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けた神だ。
『先代旧事本紀』では、八意思金神は信濃国に降り立って信之阿智祝の祖になったとある。
その地には、現在でも阿智神社(長野県下伊那郡阿智村)がある。
同書ではまた、「八意思金神十世孫知知夫彦命を、国造に定め賜う。大神を拝祠す」ともある。
秩父開拓の祖神とされる知知夫彦命が、八意思兼命の子孫だとされていたのだ。
この神は、なにか渡来人と関係しているのではないかとも考えているが、これについてはまだ自信がないため、書くことを控えておく。
天之御中主神が御祭神に加わっているのは、妙見信仰の名残だ。
中世では神仏習合の折に、北斗七星を神格化した妙見菩薩と同一視されたのだった。
恐らくかつて秦氏たちがそうしたように、私はいつも天之御中主神を宇宙創造の神として祈っている。
昭和天皇の弟君だった秩父宮が合祀されたのは、その宮号に由来するものだ。
広い境内に入ると、ちょうど宮司とおもわれる方が太鼓を叩きながら祝詞を奏上している。
諏訪神社で祈ったのと同様の内容を祈る。
お祈りが終ると、パラパラと雨が降ってきた。
すぐにやんだが、これもお知らせなのか。
この神社は、彫刻が立派なので知られている。
天神地祇社に感動
何気に、本殿の裏へ廻ってみることに。
すると、そこには思いがけないものが。
天神地祇社(てんしんちぎしゃ)という末社だ。
由緒書きの立て札を読む。
この社は、全国の一之宮を一堂に会してお祀りしているのだという。
その数、なんと75社だ。
ここに参れば、全国の主要な神社に祀られた神々にお参りすることができるというわけだ。
この神社の主祭神である八意思兼命が、神々の意見をまとめられる役目を負っていたことからこのような神社が末社とされたのだろうという。
天之御中主神という宇宙創造の神が祀られていることも考えると、この神社に相応しいだろう。
境内には、伊勢神宮の御祭神である天照大御神と豊受大御神が祀られた祠もある。
日本や世界の平和を祈るためには最適な神社ではないか。
五柱の神名が一箇所に書かれた祠があり、それが15箇所、横にズラーッと並んでいる。
中央の拝殿で祈っていると、すごいパワーを感じる。
自然と上体が前へ引っ張られてしまうように感じる。
来てよかったと思う。
「南方神」というのがあり、これが恐らく諏訪大明神だろう。
その前でも祈る。
境内には、他に稲荷神社やスサノオ命も祀られている。
そして、よく見ると諏訪神社もあるではないか。
御祭神は、建御名方神と八坂刀賣神(建御名方神の妃神)になっている。
やはり秩父という土地は、諏訪の神さまと深いつながりがあるのではないか。
社務所に置かれたいた『秩父神社』(さきたま文庫2)を買い求める。
グラビア刷りで38頁ほどの小冊子だが、秩父神社のことがこれ1冊でよくわかる。
Amazonでも扱っているので、紹介する。
- 作者: 千嶋寿,清水武甲
- 出版社/メーカー: さきたま出版会
- 発売日: 1989/04
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
私はすでに持っているが、『週刊神社紀行46・秩父三社』も置いてあった。
おみくじを引くと、7番中吉。
桜花 盛りはすぎて ふりそそぐ 雨にちりゆく 夕暮れの庭
秩父と諏訪
秩父神社は「ははその森」という地に建てられ、もともとは「神の山」(現在の武甲山)を遥拝する聖地だった。
御神体山を拝するという点でも、諏訪大社と相通ずるところがある。
諏訪大社との関係ということでは、ひとつおもしろい話がある。
秩父神社といえば、毎年12月に行われる秩父夜祭で知られている。
この祭は、秩父神社の御祭神とされる妙見さま(女神)が、武甲山の神さま(男神)と逢瀬するためにお旅所におもむく神幸行列をメインとしている。
この行列の途中、かつて番場町通りの諏訪神社の前を通っていた。
その際に、それまで騒いでいた行列が、諏訪神社に近づくと囃子はピタリとやみ、しずしずと進んだという。
なぜならば、「諏訪の女神」(八坂刀賣命のことだろう)が妙見様と男神の逢引きを見て嫉妬されるだろうからというのだ。
だが、考え様によっては、信濃人を祖先とする人々が諏訪の神に対して敬意を表した行為ではないかとも取れるのではないか。
これは、ひとつの可能性としての推論だが。
keyword:秩父神社:map
影森諏訪神社
秩父神社を後にして、秩父駅から2つ目の浦山口駅へ。
駅名の通りに、武甲山への登山口である山中にある。
駅を出てすぐのところの道沿いに不動尊のお堂があり、湧き水が流れ出ている。
ご縁があると思っている不動明王となれば、素通りはできない。
お参りしてから、水を飲んでみると、おいしい。
そこを出た直後に、またパラパラと雨が降ってくる。
140号線沿いに北へ歩き、駅から800メートルほど歩いて、諏訪神社の前に着く。
「村社 諏訪神社」とある。
ここも小さいが、立派な神社だと感じる。
外見が、という意味ではない。
よく拝まれて、「神の力がありそうだ」という意味だ。
いつしか雨はやんでいる。
境内に入り、拝殿前でお祈りしてみると、やはりそのような感じがする。
他の2社と同様に、民族のカルマ解消と地震沈静の祈り。
気持ちよくお祈りすることができた。
境内には、舞台のような建物がある。
近づくと、「諏訪神社付設舞台」とあり、秩父市の有形文化財とされている。
事前にasahi.comの地方版(?)で、この神社の付設舞台に関する記事を見つけていた。
かつては秩父の民俗芸能としての農村歌舞伎が行われた、舞台だったらしい。
- 【彩影〜ふるさとの建築】諏訪神社付設舞台(秩父市)
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000169999990656
境内は、高い杉で囲まれている。
その中でいちばん高い40メートルの御神木は、樹齢600〜700年ぐらいと推定され、秩父市指定天然記念物とされている。
ここは最初から「指令」された神社ではなかったが、来てよかったと思う。
浦山口駅まで戻り、お花畑駅で降りて、西武秩父駅まで歩き、特急の指定券を購入。
この駅間には土産物屋などが並ぶ仲見世通りとなっていて、何度来ても飽きないところだ。
14:30発の特急ちちぶ号で所沢まで行き、帰宅した。