10/8(土)に、いつものように後ろの存在に週末の聖地巡礼先を伺う。
指示された巡礼地は、横浜の水天宮平沼神社。
東日本大震災の直後に巡礼した戸部杉山神社の近くだ。
下記の記事で書いている。
戸部杉山神社に続いてということで、胸騒ぎを感じざるを得ない。
つまり、大地震による津波が来たら、このへんは非常に危ないということではないかと。
私がこれまで聖地巡礼したところの多くは、意味がある。
いや、意味がない聖地巡礼などないのではないかと。
不思議な出来事やシンクロ的なことが起きて、ペンデュラムが偶然に振れているとは思えないことが多い。
これも「意味ある巡礼」か?
私が聖地巡礼した土地で、その後にその地域で大地震などの自然災害が発生したということが何度となくあった。
そして、その度に落ち込むのだ。
自分の祈りは何だったのだろうかと。
私のようなヘッポコリンでも、何もやらないよりはマシということなのか。
沖縄聖地巡礼で、沖縄本島の南の果ての糸満の海辺にある白銀堂で、地震鎮静を祈った。
その1ヶ月半後に、スマトラ島沖地震津波が発生した。
あれで私の人生は変わった。
2009年8月半ばには、ジャワ島西部から中部にかけて聖地巡礼して回った。
それから1ヶ月とたたないうちに、ジャワ島西部でM7.1の被害地震が発生した。
震源は、私が巡礼した南海を支配する海の女神の聖地から、程遠くないところだった。
こちらの記事で書いている。
- ジャワ海でM7.1地震〜あの女神さま?
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20090902/eq
2005年7月から8ヶ月間ほどの間には、千葉県から福島県にかけての海辺を聖地巡礼して、地震鎮静の祈りを続けた。
この一連の聖地巡礼が終わった直後の2006年4月12日には、津波の「ヴィジョン」を見た。
あの時に、すべてを悟るべきだった。
私の聖地巡礼には、すべて意味があるのだと。
次第に北上していった果てに巡礼させられたのは、福島第一・第二原発のすぐ近くの神社だった。
津波のヴィジョンのことは、すっかり忘れ去ってしまっていた。
そして5年後に、あの東日本大震災が起きてしまった。
東日本の直後から、なぜか神奈川や静岡の海辺の聖地を巡礼させられている。
このことの意味は、あまり想像したくないことだ。
まだ「ヴィジョン」など見ていないから、これは「予防」としての祈りをさせられているのだという解釈もあるだろう。
今のところ、何が最善の解釈かはわからない。
横浜へ
サルちゃんに横浜へ行くと伝えると、「行きたい!」という。
水天宮といえば、安産の神さま。
ちょうど巡礼の指示があった10月10日は、安産祈願に良いとされる戌の日だ。
私の神さまは、ここまでお膳立てしてくださっているのだろうか。
2011年10月10日。
渋谷から東急東横線〜みなとみらい線で、みなとみらい駅へ。
なんにも考えずに来てしまったが、もちろん巡礼優先だ。
遊びを先にするわけにはいかない。
横浜駅まで戻って、相鉄線の各駅停車で1つ目の平沼橋駅で下車。
駅の目の前に、目的とする水天宮平沼神社があった。
水天宮平沼神社
想像通りの、小さな境内だ。
御祭神は、天之御中主神と安徳天皇。
前者は、私が宇宙創造神として祈っている。
かつては秦氏たちもそうしただろうか。
ちょうど戌の日で、おなかが大きな奥さんの夫婦連れが目立つ。
安産ご祈願のお礼は5000円からとある。
窮乏の身である今の私には、そのお金も払えない。
サルちゃんにしてあげられることは、祈ることだけだ。
あらかじめ彼女に、祈る順番を教えておいた。
まず世界全体の平和を祈る。
次に、地震や津波の鎮静の祈り。
最後に、自分の安産の祈りを、と。
ふだんは個人の願い事は一切祈らないが、特別に…。
おみくじを引くと、二人とも「末吉」
もしかして「凶」がないとすると、最低ランクだ。
だが、サルちゃんの「お産」の項は、安産だとあるので一安心。