今日は、錦糸町「リトルタイランド」へ行ってきた。
サルちゃんのタイ料理三昧ブログでそのことを書いていて、こちらの記事が遅くなった。
今日は、松原照子さんの7月24日の世見を取り上げる。
とても重い話題だ。
「不思議世界」に足を踏み込んだのは、10代の時だった。
科学の世界では、生の終わりはすべての終わりの筈だ。
だが、世界中のほとんどの宗教では、「終わりではない」と説く。
また、それを裏付けるような超常現象が世界中で起きている。
いったい、どっちが本当なのか?
どっちが本当だとしても、相反する考えが一つの世界で大きな影響を与えて存在する。
この矛盾は何なのだろう?
そう思って、スピリチュアル世界を探求し、研究を続けてきた。
40年以上の間。
その結果、辿り着いたというか、現時点での結論は、やはり生の終わりはすべての終わりではないということ。
「魂」はその後も存在し続け、それこそがわれわれの本質であること。
「肉体」は、現実世界での単なる衣のようなものでしかないこと。
だが、そうだとしても、“生きる”ことを軽んじていいわけではない。
人は何かの「学び」のためにこの世に生まれてきて、いつかまた還っていく。
そして、そのサイクルが繰り返される。
何度もやり直せるものだとしても、命の重みが変わるわけではない。
というのも、この現実世界に生まれてくることは、かなり大変なことで、稀有な機会であって、生まれてきたくてもなかなか許しが得られない魂がたくさんいるようなのだ。
創造主以外には、誰も「命」を創りだすことはできない。
なので、やはり最後まで一生懸命に”生きる”ことは大切なのだ。
自ら命を断った魂は、還った世界でも、なかなか現実を受け入れられない。
気づかずに、まだ現実世界で生きていると思い込む。
または、長い間、真っ暗闇の中で眠ったように過ごす。
現実世界のわれわれが祈りかけても、なかなか届かない。
悟れない。
およそあらゆる宗教的教えには、生の終わりに対する「恐怖を取り除く」ことがあるだろう。
だからといって、それがフィクションであるわけではない。
「永遠の生命」を心の底から信じている人々は、最後を迎えても、慌てふためいたりしない。
どんな病気であっても、いや病気であるからこそ、最期を迎えることは、穏やかな心になれる。
ひどい痛みにも耐えてきたが、これでやっと楽になれるんだと。
「肉体」は現実世界だけに存在するものだから、肉体を捨てた後にまだ痛みを感じるはずもない。
感じるとすれば、それは「執着」の故で、そういう”現実”を向こうの世界で創りだしてしまうのだ。
人間の人生で重要な学びの一つは「生の終わりに関する無知からの脱却」ではないか。
それは単に「還る」だけのことだ。
そのような”真理”を悟った人にとって「怯えて待つ」必要など、どこにもない。
この世で起きるすべてのことは、何らかの「学び」のためだ。
そのことに気づけば、自分に起きることがどんなに辛く悲しいことであっても、耐えることができる。
それが一つの”悟り”だ。
そういうことは、どんなに権威ある自然科学でも学校でも、教えてくれない。
学校で教えてくれないからといって、「ない」とは言えないことはたくさんある。
たとえば、原発とか、数々の「マスコミのタブー」とか。
人類がすべて悟ってしまっては、都合が悪いと思っている存在もいる。
この世から原発がなくなったり、戦争がなくなったりすると、困る人々。
本当に人間にとって重要な「真理」にたどり着くには、ネット上でどんなに情報収集しても駄目なこともある。
自らが、「探求三昧」を始めようとしない限り、決して辿りつけない世界がある。
The Circle ザ・サークル 十字架に帰ろう ナターシャセブン - YouTube
「十字架に帰ろう」、アメリカ民謡、訳詞:高石友也

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うちの子たちは魚座生まれだけど、特に愛弥美は霊感が強くなるような予感がする。