探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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鹿島と諏訪をつなぐ聖地巡礼


2005/09/23(金)〜9/24(土)の2日間に渡って茨城県・千葉県の聖地巡礼を行った記録です。

次の指令

2005/09/19(月)、福島聖地巡礼から帰ってきた翌々日のことだった。
今週末はまた3連休があるため、聖地巡礼をすべきかどうか、ダウジングで守護霊に伺ってみた。
すると、9月23日から2日間で、鹿島神宮香取神宮、息栖神社(いきすじんじゃ)、大生神社(おうじんじゃ)、諏訪神社(千葉県香取郡東圧町)を廻るようにという指示が出た。
なぜ、また鹿島と香取なのか。
この2社は、今年7月31日の茨城聖地巡礼でお参りしたばかりだ。
考えてみると、9月23日は彼岸の中日であり秋分の日だ。
ネットで調べると、鹿島神宮香取神宮では、この日に秋分祭が行われるという。
やはりダウジングはデタラメに出ているわけではないのだ。


巡礼の前日の9月22日にダウジングを行って、行く場所は若干変更になり、以下のようになった。

上記のうち、鹿島神宮香取神宮は、7月31日の茨城聖地巡礼ですでにお参りしている。
江戸時代には、鹿島・香取・息栖の3社をセットにして巡る旅が流行したそうで、東国三社とされていた。
東圧(とうしょう)町の諏訪神社は、8月に銚子へ聖地巡礼に行ったとき、行けなかったところで、再挑戦というわけか。
よっぽど重要な神社なのかもしれない。
茨城町諏訪神社は、地図帳にも載っていないところでペンデュラムが振れて、半信半疑だったが、もしやと思い、ネット上の全国諏訪神社一覧を調べると、なんとそこに諏訪神社があったのだ。
うちの守護霊さまは、そこまでお見通しだったのだ。


今回の目的は「和人とアイヌの民族のカルマを浄める」ためのお祈りをすることだという。
実は、鹿島神宮香取神宮、息栖神社の3社は「鹿島トライアングル」といって、夏至の日の出線などのレイラインで結ばれた三角形を形作っているのだ。
そして上記の諏訪神社2社は、そのトライアングルを南北に挟むようにして位置している。
これは「諏訪と鹿島をつなぐ」という目的があるのかもしれない。


鹿島神宮香取神宮の御由緒や「諏訪−鹿島レイライン」などについては、前回の茨城聖地巡礼記で書いているため省略します。↓
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20050802/kashima

鹿島神宮

2005/09/23(金)
8:00頃に家を出る。
荷物はすべてデイパックに詰め、数珠、念数、塩、指輪といったお守りセットを身に付けて出発。
鹿島神宮行き高速バスは、9:00に東京駅八重洲口より出発。
満席になったのは、お彼岸の3連休の帰省客が多いからだろうか。
バスは、今夜泊まる予約をした鹿島セントラルホテルに停車。
その後、鹿島アントラーズのクラブハウス前に停車する。
グラウンドには、赤いユニフォームのアントラーズの選手たちの姿が見えた。
鹿島は、神宮とサッカーでもっている町だ。
今日は雲行きが怪しい。
考えてみると、これだけ何度も聖地巡礼で各地を廻っているのに、雨に降られたことがあまりない。
傘を差して神社でお祈りしたという覚えが、ほとんどないのだ。
いつも諏訪大明神または龍神に守られているのではないかと思っている。
11:05頃に、終点のひとつ手前の鹿島バスターミナルで下車する。


5分ほど歩いて、鹿島神宮の島居の前に出る。
そのとき、パラパラと雨が降り出した。
だが、境内に入り参道を歩くうちに、やんだようだ。
まず、本宮の拝殿でお祈りする。
いつものように、宇宙全体の平和を祈り、鹿島神宮にお参りする人々や地域一帯に住む人々が幸せになりますようにと祈る。
そして、お参りした目的を武甕槌大神タケミカヅチノオオカミ)に告げる。
やはりここは関東有数の聖地だ。
自分の意識が奥深いところへ届きそうな感じがする。


高い木々に囲まれた参道をまっすぐ歩いていき、奥宮でお祈りする。
やはり本宮よりもこちらの方が波動が高いという印象を受ける。
あとで12:00から、和人とアイヌの民族のカルマ解消のためのお祈りをさせていただきますと告げる。
奥宮から右手へ進み、しばらく歩くと、要石がある。
ここでまたお祈り。
瞑目していると、縦に長く細いものが見える。
それが、こんどは赤い光の玉に変わる。
なんだろうか。


奥宮の前に戻り、前回行けなかった御手洗池(みたらしいけ)へ行ってみる。
かつてはここが禊ぎの場だったという。
湧水口でひしゃくで水をすくって飲んでみる。
甘くて美味しい。
時計を見ると、11:55。
急いで奥宮へ戻る。

(御手洗池の前で)

ともに祈る

12:00になり、奥宮でお祈りを始める。
私が主宰するMIXIの「ともに祈る☆」コミュニティーで、和人とアイヌ蝦夷)の民族のカルマ解消のための祈りを12:00からしましょうと呼びかけていたのだ。
全国各地の人々が、同じ時間に祈りを合わせてくれることになっている。
11:59に拍手を打ち、祈りを始める。


古代の日本は「多民族国家」だった。
縄文人が住んでいた日本列島に、出雲族天孫族など、さまざまな民族が渡って来た。
そして、各地で渡来民と先住民との間で戦いが繰り広げられた。
最終的に、天孫族が主導する和人が日本を統一し、国家を築いた。
もともと日本に住んでいた縄文人の末裔である蝦夷(えみし、えぞ)と呼ばれる人々は、後に一部が東北から北海道へ追いやられて、一部は北方民族と混血しアイヌとなっていった。
というわけで、もっとも虐げられたのは蝦夷アイヌ)だったろう。
そのような先住民との戦いが激しかった土地は、いまだに民族のカルマ、土地のカルマが残っていて、それがその地域の発展を阻む一因となっているかもしれない。
また、そのような民族のカルマが解消されない限りは、日本という国に真の平和はもたらされないだろう。
…というような前提があって、私はこのような祈りをさせられているのだ。


その祈りを始めたところ、大きなハチがブーンという音をたてて私の右脇を通り抜けて、奥宮の方へ飛んでいった。
祈りが通ったかどうか、少々不安が残る。
「祈りを通していただけましたら、おみくじでお知らせください」と念じる。

(高い杉の木に囲まれた鹿島神宮境内の参道)

おみくじ

本宮前に戻り、社務所でおみくじを引く。
7月31日に初めてお参りしたときには「大吉」が出たが、今度は「半吉」だった。
だが、そこに書かれた言葉には、なんだか見覚えがある。

神の誠を心に得れば己も神の如く尊い人である
左様に尊い人であって神の寵愛に漏れる筈はない

この部分は、前回ひいたおみくじの言葉とまったく同じだ。
これが神さまからの「答え」だろうか。
これを、ともに祈ってくれた人々へのメッセージとして、ここに書いておくことにする。

本宮の拝殿でお礼の挨拶をして、島居の方へ向かう。
島居を出たところで、パラパラと雨が降り出す。
前回は、本宮と奥宮でのお祈りが終わって、社務所でおみくじを引いた直後に、ザーッと大雨が降ってきた。
そして島居を出る直前に、雨はやんでしまった。
今回は、その逆だ。
いずれにしても「浄化の雨」だったのかもしれない。

香取神宮

5分ほど歩いて、JR鹿島神宮駅に着く。
そこから12:58発の列車に乗り、15分ほどで香取駅に到着。
ここから2キロほどの道のりを歩く。
表参道通りの手前で、雨が降り出す。
デイパックから折りたたみ傘を取り出す。
島居をくぐり、拝殿の前に来ると、何人かの人たちが雨宿りしている。
かなり強い降りになってきた。


拝殿の前で、お祈りをする。
宇宙の平和などの祈りの後で、鹿島神宮と同様に、和人とアイヌのカルマ解消の祈りを行う。
お祈りが終わる頃には、小雨になっていた。
境内には、末社諏訪神社の祠がある。
その前で、傘をさしたままでお祈りする。
「明日は東庄町茨城町神宿の諏訪神社にお参りさせていただきます」
予定よりかなり早いが、雨がやみそうにないので、早めに引き上げることにする。
境内を出て、しばらく歩いたところにある奥宮でお祈り。
やはり深いところへ入っていけそうなところだ。
香取駅へと歩き始める。
駅まであと半分ほどのところで雨がやんで、部分的に青空も見える。
たかだが2キロのみちのりだが、断食中の身には堪える。

香取神宮の奥宮)

息栖神社

香取駅から15:24発の銚子行きの列車に乗り込み、10分ほどで小見川駅に到着。
駅前からタクシーに乗り、息栖(いきす、おきす)神社へ向かう。
利根川にかかる橋を渡り、茨城県に入る。
15:50に息栖神社に着く。
タクシー代は2,700円ぐらい。
なんとか16:00前に間に合った。


鹿島神宮香取神宮に比べると、こじんまりとした神社だ。
社伝によれば、応神天皇の頃の創祀で、それ以前は数キロ東の日川にあったのを大同2年(807)に現在地に移されたという。
祭神は5柱の神で、岐神(くなどのかみ)、天鳥船神(あまのとりふねのかみ)、住吉3神。
むかしは東国三社のひとつとして賑わっただろうが、現代のわれわれにとっては、はだはだ交通の便が良くないところにある。
鹿島神宮だけお参りして香取神宮にお参りしないのを「片参り」と言う。
だが、息栖神社を含めた東国三社をお参りする人は、現代では少ないだろう。

(息栖神社の拝殿)


急いでお祈りする。
鹿島神宮香取神宮で行ったのと同じお祈りだ。
大きな神社では、4時になると拝殿の扉を閉めてしまうところもあるが、ここはそうではなかった。
あんまり慌ててお祈りすることもなかったか。
社務所では、普通の服装をしたオジサンがのんびりとテレビを見ている。


これはあとで知ったことなのだが、面白いことがある。
息栖神社は、かつては日川という土地にあった。
そこは、ちょうど今回巡礼予定の笹川諏訪神社から利根川を越えた対岸にある。
現在の息栖神社は、筑波利根川がある方向の西(若干南寄り)に向いて立っている。
そして笹川諏訪神社は東を向いて立っていて、かつては向かい合っていたのかもしれない。
その息栖神社は、本当の御祭神気吹戸主神という風の神だという説がある。
風の神といえば、諏訪大明神
息栖神社では、8月27日に風祭が行われる。
諏訪大社の祭と同じ日ではないか。
各地の諏訪神社では、7月か8月の27日に例大祭がある。
何か関連があるのだろうか。
また、かつて息栖神社が日川に鎮座していたときも、鹿島神宮香取神宮レイライン・トライアングルができていたのだろうか。
いろいろな意味で、気になる神社ではある。


息栖神社を出て、今日宿泊する予定の鹿島セントラルホテルへ向かうことにする。
だが、地図を見ても、方向がよくわからない。
あてずっぽうに歩いて迷ってしまい、けっきょく2.5キロほどの道のりを、45分もかかってしまった。
細い農道のようなところを歩いて、出たところは、大きなショッピングセンターだ。
断食を終え、そこで夕食を取る。
外に出ると、目的のホテルは、ショッピングセンターの並びにあった。

鹿島セントラルホテル

本館と新館に分かれたこのホテルは、息栖神社を出たあたりのところから一際目立って見えていた。
そうだとわかっていれば、これを目指して来れたのに。

シングルルームが1泊6300円ほど。
昨日の夜、ダウジングで泊まる宿を聞いてみると、潮来駅のホテルを探せということだった。
だが、いくら探しても、連休ということもあって、空いている部屋がどこにもない。
ネット上で散々探した結果、料金がいちばん安いこのホテルが見つかったというわけだ。アクセス方法を見ると、たしかに潮来駅から車で何分となっている。
本館10階のシングルルームに入る。


その夜、明日の巡礼のことを伺うために、再度ダウジングをしてみる。

  • 台風が近づいていますが、明日は予定通り聖地巡礼をすべきですか?→Y
  • 雨が強く降ったら、神宿・諏訪神社は往復ともタクシーを使ってもいいですか?→N
  • 日本の台風と米国のハリケーンが弱まり被害が出ないようにというお祈りをしても良いですか?→Y
  • メインの目的は和人とアイヌのカルマ解消の祈りですか?→Y
  • 東国三社と諏訪神社をつなぐための祈りも必要ですか?→Y


テレビのニュースを見る。
伊豆諸島に南から強力な台風が接近していて、明日は関東でも午後から強い雨になるという。
昨日は旅の準備や情報収集で慌しくて、台風が来ているなんて知らなかった。

中止か決行か

2005/09/24(土)
7:00頃に目が覚める。
窓の外を見ると、大雨のようだ。
昨日の天気予報では、午後から強い雨になると言っていたのだが。
今日の巡礼は、どうなってしまうのだろう…。
正直、不安な気持になってくる。
だが、どうなろうと神さまに全託するしかない。


8:20頃にチェックアウト。
外はすごく強い風とともに横殴りの強い雨。
雨がほとんど水平方向に降っている。
傘をさして外を歩くこともままならない。
ホテルからタクシーに乗り、小見川駅へ向かう。


この天候では、聖地巡礼を続行するのは難しいのではないか。
タクシーの中でペンデュラムを取り出し、ダウジングを行う。

残念だが、この雨と風だ。
鹿島神宮駅へ行き、高速バスで東京に戻ることにする。
小見川駅で鹿島神宮行きの切符を買う。


小見川駅から8:48発の成田行きに乗り、10分ほどで香取駅に着く。
雨は小雨になっている。
「このくらいだったら、大丈夫ではないか…」
コンテナのような無人駅の駅舎で、鹿島神宮行きの列車を待つ。
ポケットから水晶ペンデュラムを取り出し、再度ダウジングをしてみる。
すると、予定通りに諏訪神社2社を廻るようにとの指示。
銚子方面へ戻り、諏訪神社がある笹川駅へ行くことにする。
だが、銚子行きの列車は、さきほど香取に着いた直後に出てしまった。
次の列車は10:12。あと1時間もある…。
行ったり来たりと、なんだか効率のよくないことをしている。
予定よりも1時間ほど時間をロスしてしまった。
私のダウジング能力の至らなさもあるのだろうか。
「こんな荒天で聖地巡礼したくない」という自分の意識が入ってしまったのかもしれない。
昨日ダウジングで出たように、巡礼を決行するようにとの守護霊の言うことを、最初から信じればよかったのだ。

笹川諏訪神社

10:12香取発の銚子行きに乗り、15分ほどで、小見川の次の笹川駅で下車。
笹川諏訪神社は、ここから北へ1キロ弱行ったところにある。
7〜8分ほど歩き、諏訪神社の島居の前に来る。
境内は意外と広そうだ。
雨が降る中、傘を差して参道を歩く。
さすがの「晴れ男」も、台風接近中では効力を発揮しないだろう。
風がそれほど強くないのが救われている。


境内には、神楽殿もある。
由緒書きを読む。
祭神は、建御名方命事代主命大国主命の3神。
建御名方神の父神と兄神が共に祀られているという、よくあるパターンだ。
「当社の御創祀は大同二年坂上田村麻呂将軍が東夷征伐の砌、武運長久、海上安全を祈願し、勧請されたと伝えられ〜」
これも、よくあるパターンの伝承だ。


参道を歩き、目前の拝殿を見上げたとたん、ハッとするような懐かしさに似た想いがこみ上げてくる。
単なる気のせいだろうか。
それとも、過去生のあるときに、この神社を訪れたことがあるのだろうか。
宇宙の平和、地域住民の幸せを祈る。
次に、和人とアイヌのカルマ解消の祈り。
東国三社と諏訪神社をつなぐための祈りもする。
そして、米国に上陸しようとしているハリケーン「リタ」と日本に接近中の台風の勢力が弱まり、死傷者が出ないようにと祈る。

(笹川諏訪神社の拝殿)


境内を見て廻ると、土が盛り上がったところがある。
近づいてみると、相撲の土俵のようだ。
この神社では、7月27日の秋季大祭のときに、奉納相撲をするのが慣わしのようだ。
また、毎年8月中旬には、出羽海部屋の夏合宿(朝稽古)がこの神社の境内で行われるという。
秋季大祭では豪華な山車が出たり、春季大祭では500年以上も続くお神楽があったりと、何かと話題を提供している神社のようだ。
雨が降り続いているので、早めに引き上げることにする。

水を眺める旅

今回の聖地巡礼の最後の目的地は、茨城県茨城町神宿にある諏訪神社だ。
鹿島神宮駅へ行き、鹿島臨海鉄道で1時間あまりのところにある涸沼駅で下車する。
笹川駅に着いたのが11:30。
成田行きの列車は、1時間後の12:28発。
今回の聖地巡礼は、効率がよく動くことができない。
1時間ぐらい列車を待つのは当たり前の世界。
12:28笹川発の列車に乗り、10分ほどで香取駅で降りる。
この駅は、成田方面から来て、鹿島神宮方面と銚子方面への分岐点にあるのに、なぜか無人駅だ。
13:17発の鹿島神宮行きの列車が来て、乗り込む。
ここから鹿島神宮までの窓の外の眺めは、飽きさせない。
利根川や北浦など、何度も橋を渡り、水の上を走る。


今日の予定変更で、ひとつだけ不安な点がある。
鹿島神宮から乗る鹿島臨海鉄道の時刻がわからないのだ。
当初の予定から1時間ほど遅れている。
ちょうど良い時間帯の列車がないと、4時すぎになって神社へのお参りは問題がある。
そう思いながら鹿島神宮駅に着くと、向かいのホームに、1両だけの列車が止まっている。
時刻を見ると、11:35発。
時計を見ると、ちょうど発車の時間。
切符を買う暇もなく、飛び乗る。
慌しかったが、結果的には時間を節約できて良かった。


鹿島神宮駅の次は鹿島サッカースタジアム
右手にスタジアムが見える。
この列車はワンマンカーだ。
ワンマンバスのように、乗車のときに整理券を取って、下車するときに運転手に料金を払うシステム。
無人駅だからこういうシステムとなっているのだが、中には有人の駅もある。
エンジンの音からすると、ディーゼルカーなのだろう。
単線だから、反対側から来る列車待ちで数分間待たされることもある。
臨海鉄道という割には、海から奥まっているために、右手に海は見えない。
ごく一部、左手に北浦などの水辺を眺めることができる。
お急ぎの方にはお奨めできない旅だ。

茨城町神宿・諏訪神社

14:40頃に、涸沼(ひぬま)駅に着く。
外はかなり暗く、強い風と小雨が降っている。
高架の駅を降りると、下の階は観光案内所になっている。
この駅は涸沼という湖の南の辺にあり、ここから9キロほど西へ行ったところに、目的の諏訪神社がある。
当初の予定では90分かけて歩いて行くつもりだったが、今からでは16時を過ぎてしまい、お参りできなくなる。
タクシーに乗りたいが、駅前には停まっていない。
観光案内所に入ると、オバサンが「こんにちは」と挨拶。
タクシーを呼びたいというと、電話番号が書かれた紙を指差し、ピンク電話からかけてくださいと言う。


電話をかけると、神宿の諏訪神社は知らないという。
地図をもっているから、なんとかなるだろうと伝える。
茨城町神宿の諏訪神社は地図帳にも載っていなく、プリントしてきたYahoo地図だけが頼りだ。
それも諏訪神社と明記されていなく、神宿地域に1件だけ神社マークがあるので、多分そこだろうという程度の認識しかない。
われながら、いつもアバウトだ。
Yahoo地図によると、神宿の古照寺というお寺の脇を入ったところのようだ。


10分ほどで、タクシーが到着。
運転手のオジサンに古照寺と告げると、知っているようだ。
だが、神宿に来たところには「真照寺」とある。
真照寺ではなく古照寺だというと、オジサンは近所の床屋に道を尋ねに入る。
メーターはどんどん上がっていき、気が気でない。
帰りも同じ道のりをタクシーを使わなければならない。
聖地巡礼の連続で、ポケットマネーも底をつきそうなのに。
オジサンが戻ってきた。
神宿には古照寺という寺はなく、真照寺の脇を入っていくと諏訪神社があるという。
どうも、プリントの文字が小さすぎて「真」の文字が「古」に化けてしまったようだ。
3000円ぐらいと予想していたのが、けっきょく3700円ぐらいかかってしまった。
まあ、こちらの落ち度だから仕方ないか。
15:10頃に諏訪神社に到着。
財布を出して金を払おうとすると…。
「えっ、待たなくていいんですか?」
「いいです」
帰り道は少しでもタクシー代を節約するために、最初は歩くつもりなのだ。


タクシーを降りると、外はいつしか雨がやんでいた。
島居の奥に見えるのは、本殿だけの小さな社が一つだけ。
こんなに苦労して来てみたら、小さい神社だったので意外だった。
島居の脇には、黒い御影石の真新しい由緒書きが立っている。
諏訪神社創建壱千弐百年記念碑
諏訪神社は、日本武命が東国平定の徒次に暫くこの地に留まり戦勝を遠く諏訪の地に祈願されたことに由来する。平安時代第五十代桓武天皇の御代の延暦弐十参年(西暦八百四年)に、諏訪の大神(建御名方命)の開拓殖産の神徳を仰ぎ偲んで信濃国より勧請してこの神宿の地に奉斎された。」
まあ、こういうのはどこまでが本当なのかわからない。


笹川の諏訪神社と同様の祈りをする。
アイヌのカルマ解消の祈りをする頃に、風が強まった。
東国三社と諏訪神社をつなぐための祈り。
短い祈りだったが、意識がかなり深い境地まで達することができた。
このように奥深く入っていくと、お祈りが終わったあとでボーッとした状態になる。
祈りが終わった頃には風がほとんどやんでいて、「そよ風」程度になっている。
さきほどの記念碑の裏には、奉賛者の氏名が書かれている。
みんな1万円とか2万円とかを出し合って、この記念碑を建てている。
小さいが、よく拝まれていそうな神社だ。


けっきょく、神社には15分ほどしかいなかった。
先を急ぐ必要がある。
15:25頃に神社を出る。
歩き始めて5〜6分たった頃に、風が強くなり、雨が降り出した。
「ありがとうございます」と合掌する。
諏訪大明神は水神であると同時に、風の神でもある。
お祈りの間、雨と風を止めていてくれたのかもしれない。


10分ほど歩き、16号線に出たところに、バス停がある。
どうせ1日数本しかなく、祝日はもっと少ないだろう。
だが、念のため、バス停に近づく。
時刻を確認しようとした、ちょうどそのときだった。
うしろに大型の車が止まる音がして、プップッとクラクションが鳴る。
振り向くと、バスが停まっている。
あわてて乗り込む。
どこ行きか確認もせずに乗ってしまった。
バスが走っているなんてまったく思ってもみなかった。


どうも、行き先は鹿島鉄道の鉾田(ほこた)駅行きらしい。
鹿島臨海鉄道新鉾田駅は、そこから15分ほど歩いたところにある。
あとでネットで調べてみたところ、神宿の諏訪神社へ行くには、鉾田駅から茨城町役場行きまたは水戸駅行き(海老沢経由)のバスに乗って神宿で降りればよかったのだ。
もっとも、本数が少ないから、時間が合えばの話だ。
いばらきバスのサイトを見ると、時刻表の情報もあるようだ。
もっとも、こんなことまで書いても、わざわざあの小さな諏訪神社へお参りに行こうなどと思う人はいないだろうが。
私のような特別な目的をもって聖地巡礼する人間にのみ、行く価値があるのだろう。


それにしても、守護霊だか、それとももっと上の神さまかわからないが、バスの時刻までご存知なのだろうか。
さきほど諏訪神社を出るのが3分遅れたら、このバスには乗れずに、涸沼駅まで1時間半歩きか、またはタクシーを使わざるを得なくなっていただろう。
まさにドンピシャのタイミングだった。
しかも、行き先が、大きな諏訪神社があるという鉾田だ。
さきほど涸沼駅の案内所のオバサンから仕入れた情報だ。
このへんにも、神さまのお導きがあったのかもしれない。
「こんどは鉾田の諏訪神社へもぜひいらっしゃい」ということなのか。

東京へ

終点の鉾田駅前でバスを降りて、そこから東にある鹿島臨海鉄道新鉾田駅へと歩く。
着いたところにある新鉾田駅は、有人の駅だった。
鹿島神宮行きの列車はあと30分ほど時間があるので、断食を終えてパンを買って食べる。
夕食は、東京駅に着いてからにしよう。
16:58発の列車に乗り、鹿島神宮で降りたのが17:35頃。
駅を出ると、ちょうど東京行き高速バスが入ってきたところだった。
18:00のバスに乗れればいいと思っていたが、滑り込みで1本前の16:40発に乗ることができた。
こうしてものごとが何もかもスムーズに行くときは、「うしろについている存在」が味方してくれているのだろうか。
東京駅日本橋口に着いたのが、20:00頃。
東京駅で夕食を取って、家に着いたのが22:00頃だった。


今回は台風接近の中の聖地巡礼でどうなるかと思ったが、無事に役目をまっとうすることができた。
守護霊をはじめ、加護してくださった神々に感謝だ。

諏訪神社2社の由緒の考察

今回巡礼した2つの諏訪神社の由緒が気になる。
はたして、本当の史実なのだろうか。
まず、東庄町の笹川・諏訪神社について。
坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が創祀したという伝承がある神社は、各地にある。
それをいちいち信じていたのでは、きりがない。
しかも、その多くが口裏を合わせたかのように「大同二年の創建」とある。
嘘八百と思われても仕方ないものがある。


下記のサイトによると、坂上田村麻呂が大同二年(西暦807年)頃に、蝦夷(えみし)征伐を祈願して建てたという神社や寺は、なんと100以上もあるという。


いったい、坂上田村麻呂公と諏訪大社に何らかの関係があったのだろうか。
そう思ってネットで調べてみた。
延文元年(1356)に諏訪円忠が編纂した諏訪社最古の縁起書『諏訪大明神画詞』によると、桓武天皇坂上田村麻呂征夷大将軍に任命し、征伐の途中で諏訪神社に戦勝を心願してから、奥羽地方東夷蝦夷)の東征に出たという。
これを信ずるならば、田村麻呂公はたしかに諏訪大明神への信仰があったことになる。
坂上田村麻呂が創祀したとされる諏訪神社を地図にプロットして、それがあるルートを導き出すのか、あるいはデタラメに点々とあるのかを調べてみるのも面白いだろう。

(笹川諏訪神社の梶の葉の神紋→諏訪大社と同一)


次に、茨城町神宿の諏訪神社について。
ここでは、日本武尊が延暦二十三年(807)に東国平定の途中で創祀したという。
同様の伝承をもつ神社も、東日本には多いだろう。
日本武尊に関していえば、そもそも、そのような人物が実在したのかという疑問から出発したくなる。
ヤマトタケル伝説というのは、複数の人々の東国征伐の行動が、しだいに一人の人物の行為の結果として語られるようになっていったのだという説もある。


日本の神社の由緒には、信用できないものも多い。
なぜそうなってしまったかというと、かつて明治政府が社格付けのために各神社に由緒を提出させた。
そのときに、自分の神社を少しでも高い格付けにしようとして、古い歴史を「でっち上げ」した神社も多いのだ。


だが、坂上田村麻呂や大和武伝承がたとえ史実ではなかったとしても、今回そのような蝦夷征伐に関連する神社ばかりを廻らされたことには、意味があるのだろう。
鹿島神宮は東国征伐の拠点とされた神社であり、諏訪神社2社も、東国征伐にかかわる伝承を残している。
上記のようなことを考慮すると、ダウジングで地図上でデタラメに出たところを意味もなく廻っていたわけではないのだということを再認識させられるものだ。

おわりに

台風接近中の状況で、なんとか予定通りの聖地をすべて廻ることができた。
水と風の神、諏訪大明神に感謝する。
祈りは通っただろうか。
東国三社と諏訪神社をつなぐことは、できただろうか。
いつもの自問自答がはじまる。

だが、自分に与えられた任務を果たせば良いのであって、結果は神さまにお任せすればいいだろう。


少なくとも、天候には助けられた。
特に強い台風が接近中の2日目に、強い雨に降られることがなかったのは、不思議かもしれない。
神宿の諏訪神社で祈った時には、あきらかに雨風を止めてくださっていたのだろう。
タクシー代がかさんで仕方ないという文句も、もしかしたら届いてしまったのかもしれない。
バスの時間に合わせるように仕向けたりと、神さまも一生懸命やってくださっているのだろうか。


ダウジングでの指示が刻々と変わることに疑問を抱く人がいるかもしれない。
だが、いままでの各地への聖地巡礼の経験からいうと、顕界や霊界、神界でのさまざまな状況を考慮して、最善の結果になるようにと、わたしの守護霊や、その上にいる神々が動いてくださっているのではないかと思うのだ。
今回のように、台風という特殊な天候によっても、事態はかなり変わってくるもの。
最初はどうなることかと思っていたことでも、終わってみると、これが最も良い選択肢だったのだと感心することが多々ある。
やはり導かれているのだと、


自分には意味のわからないことをさせられていると思っても、巡礼が終わってみれば、「そういうことだったのか…」と、その意味を悟れることが多い。
今回の聖地巡礼では、キーワードとなっているもののひとつが「東夷征伐」だった。
東夷とは東方の「まつろわぬ民」のことであり、いわゆる蝦夷と呼ばれていた人々を指す。
和人たちが東へ東へと進んでいった先には、常に先住民がいた。
出雲族、隼人、熊襲蝦夷アイヌ…。
和人とそれらの民族との間の民族同士のカルマが解消され、侵略された側の恨みの念が消えていくようにとお祈りを続けていけば、ひいてはそれが日本という国全体が争いのない平和な国になることにつながるだろう。
それを信じて、これからも各地を聖地巡礼して、同様のお祈りを続けていきたいと思っている。


※これを書いている24日18:55現在で、米国のハリケーン「リタ」はカテゴリー3から1になり、更に熱帯低気圧に変わったという。
また台風17号はどんどん東へ東へと進路を変えて、大きな被害がなく北海道の東沖へ抜けたようだ。

お礼

今回、9月23日12:00に共に祈ってくださった方々、ありがとうございました。
全国各地で、さまざまな場所から祈りを合わせてもらいました。
沖縄本島波上宮、鹿児島県の霧島神宮宮古島の漲水御嶽など(みんな私が行ったところばかり)。



【参考サイト】
・鹿島トライアングル
 http://www.venus.dti.ne.jp/~kazunari/column/kashima_triangle.htm
・息栖神社
 http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/ib1oks.htm
東庄町笹川諏訪神社秋季大祭の山車
 http://www.lain.ais.ne.jp/~dashi/sasagawa/
・長野県の歴史
 http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/index.html
・田村麻呂伝説の旅
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/densetutanbo/tamuramaro/tamuindex.htm
・諏訪地域の歴史
 http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/suwagun.html
・田村麻呂の “人がら”
 http://www.geocities.jp/rekisi_neko/tamura.html


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