探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ(はてな旧サイト)




茨城聖地巡礼〜東海村・大洗・磯崎(後編)


この聖地巡礼記は、前編からの続きです。
まず、そちらからお読みください。↓
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20051018/ibaraki
2日目にも、また神遣いが現れました(?)

与利幾神社

2005/10/16(日)
6:30起床。
チェックアウトするときに、フロントで水戸発の高速バスの時刻を調べてもらう。
7:00過ぎに茨交大洗ホテルを出ると、小雨が降っている。
ホテルのすぐ向かいにある磯前神社の入口を入ったすぐ左に、鳥居がある。
見ると、与利幾神社とある。
茨城へ出発する前夜にネットで調べたところ、大洗磯前神社には、健御名方命タケミナカタノミコト)を祀った境内社があるという。
それが、与利幾(よりき)神社だ(與利幾とも書く)。
磯崎神社で与利幾神社祭が行われるのが12月18日だという。


私にとって氏神である諏訪大社の御祭神が祀られた神社だ。
それが、ホテルの前の前、歩いて1分もしないところにあったとは。
このホテルを選んだのは、ダウジングによる指示ではない。
ただ、大洗に泊まるようにと指示が出ていただけだった。
これも、お導きだろうか。
鳥居をくぐって山道を100メートルほど上ると、祠があった。
小さいが、拝殿と本殿に分かれている。
御名方命の神名は、どこにも書かれていない。
あとで大洗磯前神社の境内図を見ても、与利幾神社は場所さえも書かれていなかった。
地元の人でも、ここに健御名方神が祀られていることを知らないかもしれない。
なぜだろう。
与利幾神社という名前も、どこから来ているのだろう。
健御名方神が祀られていることを隠さなければならない理由がどこかにあるのだろうか。



ここでも、パキスタン地震などの犠牲者のためにお祈りをする。
インドの聖母アマチのお願いでは、以下の人々のために祈るようにとあった。

  • パキスタン、インド、アフガニスタンの大地震の犠牲者
  • 津波とアメリカのハリケーンで家を希望を失った人々
  • イラクの巡礼者転落事故で亡くなった人々
  • ムンバイと南米で起きた洪水で亡くなった人々
  • 戦争とテロ攻撃で亡くなった人々

慰霊の祈り

お祈りが終わると、雨はほとんど霧雨になっている。
だが、境内で写真を撮っているうちに、大降りになってきた。
磯前神社の境内へ行く。
時計を見ると、8時ちょっと前。
閉まっている休憩所の前のベンチに腰掛ける。
8時になって、博物館の女性が休憩所を開けてくれた。
外では、雨が強くなってきた。
さきほど与利幾神社では、お祈りをした直後に強い降りになった。
雨を止めてくださっていたのだろうか。
雨が降っていてメゲそうになるが、海辺での祈りが待っている。
ここまできたら、やるしかない。
拝殿へ行き、お祈りする。
和人と蝦夷の和合の祈り。
地震災害を防ぐお祈り。
そして、これから神磯鳥居の前でパキスタン地震の犠牲者などの慰霊のお祈りをさせていただきます、と。
本殿の脇にある境内社、水天宮でも、同様のお祈りをする。
水天宮といえば、その御祭神の一柱は宇宙原初の神、つまり宇宙創造神とされる天御中主神だ。
このような大きなお祈りをするには最適な神さまだ。

海辺での祈り

祈りを合わせる約束をした9時にはまだ時間がある。
また休憩所へ入って休む。
雨が次第に小降りになってきた。
8:50に神社を出て、石段を降りる。
道路を渡って、神磯鳥居の前に出る。
風が強く吹き付ける。
まだ小雨が降っているが、傘を差していられないので、たたむ。
岩場では、強い波が打ちつける。
鳥居は島状になっている岩場の上に立っている。
その手前にもうひとつ、島状の岩場がある。
その岩場まで、1メートルほど空間が空いている。
下は海の深みだ。
思い切って、ジャンプ。
ちょっと岩に手をついてしまったが、なんとか着地できた。
重いデイパックを背負っているのを忘れていた。



私が主宰するMIXIの「ともに祈る☆」というコミュニティーと私のブログを通じて、9時から祈りを合わせましょうと呼びかけていた。
それに応えて、ある人は沖縄の聖地から、また筑波山から、祈りを合わせてくれると書き込んでいた。
鳥居に向かって立ち、信仰する神社に祀られた宇宙創造神にお祈りする。
プリントした紙を見ながら、祈る。
「これらの犠牲者の方々が苦しみの念から救われ、霊的成長ができますように」
「生存者の方々が施設に収容され、十分な食料が与えられますように」


お祈りしているうちに、気がつくと雨はほとんどやんでいる。
そして、それまで暗かった東の空が、雲間から明るい光が射して、陽の光が見えてきた。
完全に太陽が見えたわけではないが、祈りに反応してのことだろうか。
「犠牲者の方々にこの供物が届きますように、お導きください」
供物を海に投げ入れる。
リンゴ1個、バナナ5本、みかん3個、菓子パン3個。
「○○○神、守り給え、さきはえ給え」
大己貴命さま、少名彦命さま、ありがとうございます」
神磯鳥居の写真を撮る。
いつかしら太陽は元の通り、完全に雲に隠れてしまった。
宇宙創造の神に祈りが届いたのか。

決死のジャンプ

さて、この辺で引き上げようと、振り返る。
さっきジャンプしたところをよく見ると、岩と岩の間に段差がある。
いま立っている、こちらの方が低いのだ。
しかも、1メートルほどジャンプする必要がある。
さっきは、高いところから低いところへのジャンプだったので、なんとかなった。
こんどは、そう簡単にはいかない。
雨で岩場が滑りやすい。
背負っている荷物が重い。
ジャンプするときに滑ったら、下の深みにはまる。
水の色が濃いので、けっこう深そうだ。
ジャンプがうまくいっても、着地のときに滑ったら、落ちるかもしれない。
そうしたら、この荒波だ。
命はないかもしれない。


さすがに心臓の鼓動が高まる。
なかなか足を踏み切る決心がつかない。
ためしに、平らな場所でジャンプしてみる。
これなら、なんとかなりそうだ。
だが、向こうの岩場を見ると、足が動かなくなる。
信仰心があっても、さすがにこういうときは、一人の人間。
死に対する恐怖心から自由になれていない。


もう、こうなったら仕方ない。
一歩誤ったら死が待っている。
だが、思い切るしかない。
このとき、無意識に神に祈ったかもしれない。
「エイッ!」
無事に着地に成功。
「ありがとうございます」
思わず合掌する。


堤防のところで島居の写真を撮る。
カラスが飛んできて、さきほどお祈りした岩場のあたりにたたずむ。
合掌して「ありがとうございました、○○○神さま、オオナムチさま、スクナヒコさま、海の女神さま」
振り返り、歩き始めたとたん、雨がまたパラパラと降ってきた。
お祈りしていたのは20分間ほどだ。
明らかに、その間だけ、雨を止めていただいたようだ。
「ありがとうございました」
心の中でつぶやく。


予定より早めにお祈りが終わった。
海遊号の時間まで20分ほどある。
ふたたび磯前神社に上り、お参りする。
「どうもありがとうございました」と、拝殿の前で祈る。

大洗・諏訪神社

海遊号バスに乗り、海岸病院入口で下車。
次の目的地の諏訪神社は、この辺にあるはずだ。
だが、正確な位置がわからない。
ネット上の地図では、このあたりに島居マークが2つあった。
だが、バス停のすぐ隣に鳥居があり、社標に「村社諏訪神社」とある。
前回は大失敗してしまった。
このバス停から歩き始めて道に迷い、大貫高校のとなりにあるはずの諏訪神社が、行ってみると、なかった。
あとでわかったのだが、ネット上の情報サイトの地図が示す位置が間違っていたのだ。
自分の過ちというか、こちらも被害者だ。


この諏訪神社も、石段を上った小高い丘の上に立つ。
雨降る中を、傘を差してお参りする。
石段を上ったところには、本殿だけが立っている。
境内は、よく掃き清められている。
よく拝まれているようだ。
荒波の音が、ここまで聞こえてくる。



傘をたたんで、お祈りする。
和人と蝦夷の和合の祈り。
地震災害を防ぐ祈り。
雨が降り続いているので、早めに引き上げることにする。
石段を降りたところに、小さな祠がある。
その脇に、大黒さまと恵比寿さまの小さな像が置かれている。
両神を祀った祠なのか。
大洗磯前神社では、大己貴命を大黒天、少彦命を恵比寿神として祀っている。
その影響で、この地域ではこのような風習があるのだろうか。
ちなみに、恵比寿神のルーツは諸説あるが、事代主命とする説が有力のようだ。
左手奥に、コンクリート造りの池がある。
池の中央に祠がある。
神名は不明だが、水の神さまといえば弁天さまかもしれない。
そこでもお祈りする。

酒列磯前神社

バス停に戻ると、海遊号が来るまで20分ほど時間がある。
大洗駅まで歩くことにする。
10分ちょっとで、駅に着いた。
次の目的地は、今回最後の巡礼の地である酒列磯前(さかつらいそさき)神社だ。
11:12大洗駅発の循環バス・海遊号に乗り、海門橋の近くの祝町で降りる。
ここから、昨日と逆のコースで、那珂湊駅まで歩く。
まだ小雨が降り続く中を、海門橋を渡る。
傘を差していると強風で飛ばされそうになるので、たたむ。
那珂湊の町は、大洗に比べると少々活気に欠ける。
2キロの道のりを20分ほどで、那珂湊駅に着いた。


12:17発の湊線に乗り込む。
1両だけのワンマンカーは、畑の中を走る。
終点の1つ手前の磯崎駅で降りる。
ここも無人駅だ。
酒列磯前神社までは、徒歩10分ぐらいのはず。
駅前にあった地図で、曲がるところの目印を頭の中に入れ、歩き出す。
住宅街の中に、ところどころに店がある。
このへんは、海の近くのはずだ。
10分弱歩いて、鳥居の前にたどり着く。
鳥居の奥には、両脇を木々に囲まれた参道がどこまでも続く。


由緒書きを読む。
祭神大洗磯前神社と同じくオオナムチ神と少彦命神だが、こちらでは主祭神が少彦命になっている。
かつては近くの椿山にあったのが、移されたという。
木々に覆われた参道は、暗い。
拝殿の前に出る。
小雨が降り続く中を、お祈りする。
「今朝はどうもありがとうございました」
和人と蝦夷の和合の祈り。
地震災害を防ぐ祈り。
原発事故を防ぐ祈り。



本殿の左脇に、祠がある。
日露戦争英霊を祀っている。
そこでもお祈りする。
社務所でおみくじを引く。
神官の方がパンフレットをくれた。
おみくじは小吉だった。
境内には馬の像がある。
境内社の祠が並ぶ。
どれも縁がありそうな神々なので、省略せずに一つ一つの前で祈る。

また神遣いか

14:15に神社を出る。
列車の時刻まではまだ時間がある。
途中にあったコンビニで弁当を買って、磯崎駅で食べることにする。
駅に着き、弁当を食べる。
その後、まだ時間があるので、駅の周囲をうろうろした後で、駅に戻る。
ベンチに置いておいたデイパックを何気なく見ると、緑色のカメムシがへばりついている。
ノンフィクション作品『愛あるところへ』で書いたアカスジキンカメムシを思い出す。
あれは、インドネシアに行く前に井の頭公園で突然に出現したものだった。
こちらはどこにでもいるような普通のカメムシで、アカスジキンカメムシほどのインパクトはない。
だから、神遣いかどうかについては、何ともいえない。
突然に現れたところは、似ているが。



後日、ダウジングで守護霊に伺ってみた。
すると、あのカメムシは、やはり神遣いだという。
酒列磯前神社の神さまかと思ったが、そうではなく、天妃神社に祀られた弟橘媛の御遣いとのこと。
考えてみると、ラトゥ・キドゥルも弟橘媛さまも、ともに海に縁が深い女神だ。
まあ、この結果が正しいとは限らないのだが。
そうだとすれば、女神さまはご自分が祀られた神社の荒廃ぶりを、かなり嘆かれているのかもしれない。

東京へ

14:59勝田行きの列車に乗り、15:18に勝田に到着。
15:31発JR常磐線水戸行きに乗り、7分ほどで水戸に到着する。
高速バス乗り場へ行くと、14:40発のバスが出たばかりだった。
次の15:30まで、駅ビルにある書店で時間をつぶす。
そして、高速バスに乗り込む。
東京駅日本橋口まで、2,080円だ。


いろんなことがあった2日間だった。
海の女神の遣いと思われるカニに遭った。
神磯鳥居では、神域に入ってしまったのだろうか。
後日、ダウジングで守護霊にそのことを伺ってみた。

  • 16日の神磯島居でのお祈りでは、入っていけないところへ入りましたか?→Y
  • 16日に現れたカメムシは神遣いですか?→Y
  • オオナムチさまのお遣いですか?→N
  • 弟橘媛さまのお遣いですか?→Y

やはり、あの岩場は入ってはいけない領域だったようだ。
「申し訳ありませんでした」
命が危ない体験をしたのも、無理はないかもしれない。
自分の無鉄砲な行いを深く反省する。
だが、あの時、神さまは祈りを受け止めてくださったようだ。
やはり今回のような大きなお祈りをするときには、最後には信仰する宇宙創造の神にゆだねた方が良いだろう。


大洗は、すっかり気に入ってしまった。
あれだけ活気があるのも、ひとつには大洗磯前神社の存在が大きいだろう。
道路をまたぐ大鳥居を建てたりして、町の中心となる神社を大切にする思いが伝わってくる。
近いうちに、大洗にはまた行かされるだろう。
いや、行かされなくても、自ら進んで行きたい。
そして、あの天妃神社を掃除しないと、女神さまが可愛そうだ。

茨城県地震

じつは、水戸から高速バスに乗って30分ほどたったときだった。
あとでニュースを見るまでまったく気づかなかったのだが、茨城県南部でマグニチュード5.1の地震があったという。
最大震度は、茨城県南部などで震度4だった。
震源は筑波あたりで、ちょうどバスがそのへんを通過していた頃のことだった。
やはり私は「地震男」なのか…。
行く先々で地震を呼んでしまう。
というか、地震が起きそうなところを守護霊が察知して、そういうところへ聖地巡礼として行かされることが多いのかもしれない。


後日、ダウジングで、その地震のことも伺ってみた。

  • 16日に茨城で起きた地震は、我々のお祈りの結果、規模が小さくなったでしょうか?→Y
  • 今回茨城へ行ったのは、あらかじめ地震があるとわかっていたからですか?→Y


だが、地震はこれで終わりではなかった。
いまこの原稿を書いている2005年10月19日夜、茨城県沖で、また大きな地震が発生した。20時44分ごろ、マグニチュード 6.2の地震があった。
最大震度は、茨城県鉾田市震度5弱。
震源は、鉾田市の東30キロ沖。
大洗からは、南東へ45キロ。
東京都小平市の自宅でも、かなり長いこと横にゆらゆらと揺れていた。


いままで、聖地巡礼の前後に地震が起きたケースが何度かあった。
たとえば、2004年11月に沖縄へ聖地巡礼に行き、11月13日には、糸満市の白銀堂で祈った。
沖縄本島の南端にある海の近くの神社だ。
そして、それから1ヶ月半ほどたった12月26日、あのスマトラ島沖地震が起きた。
あのとき、当初のダウジングの指示では四国剣山へ行くようにとのことだったのに、直前になって沖縄に変わったのだ。
やはり、私は地震が起きそうなところへ聖地巡礼に行かされることが多いようだ。
守護霊が、なぜ茨城のあのあたりにこだわっていたのかが、やっとわかったような気がする。


これからは、聖地巡礼では、地震災害を防ぐお祈りは欠かせないだろう。
日本全国、地震の危険がまったくないところというのはない。
多くの祈りが合わさって大難を小難に変えられるのならば、多くの命を助けられるならば、そうする価値は大いにあるだろう。
各地を聖地巡礼していて、「こんなことやって、本当に効果はあるのだろうか」と、まったく思わないと言ったら嘘になる。
だが、今回のような経験を積み重ねていけば、だんだんと自信がもててくるというものだ。
「ともに祈ることは、けっして無駄ではない」
今回の巡礼で、そういう悟りを得ることができた。
【終】


【参考サイト】
・愛あるところへ−バリと女神に導かれて(by 百瀬直也)
 http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/AA/AAT/


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