今日は初めて、かみんちゅネットワークの聖地巡礼に子連れで参加しました。
期せずして、ヒヌカン☆クラブ(本部)のメンバーが数名顔を合わせました。
今日感じたことなどを、ちょっと書いておきます。
杉並大宮八幡宮
今朝は最初に杉並大宮八幡宮でお祈りしました。
井の頭線の西永福駅から徒歩7分ぐらいのところにあります。
この神社は、八幡神を信仰していた源頼義が、1000年弱前に奥州の乱を鎮めたことを感謝して、京都の石清水八幡宮より勧請したのが始まりだそうです。
今回の聖地巡礼の目的地は神社というよりも、その裏にある遺跡の周辺だったようです。
大国みろく大社の比嘉良丸さんは日本中を聖地巡礼して回っている人ですが、かつて東京で初めて聖地巡礼をしたのが、この地だったそうです。
あのあたりは、昔は古代人の大集落があったとされています。
もっと遡ると、昔は杉並区は海の中だったわけですが、3万年ぐらい前には人が住み始めていたようです。
今日お祈りしたところの近くにある大宮遺跡は、弥生時代の族長の墓だったとみられています。
良丸さんがこの地を出発の場所としたのは、それなりの理由があるのでしょうね。
井の頭弁財天堂
次に行ったのが、井の頭弁財天です。
ここは、私が良丸さんに薦めたところで、そのまま意見が通ってしまったみたいです。
神社の縁起によると、天慶年間(938-946年) に源経基によって創建され、伝教大師が延暦8(789) 年の作という天女神を本尊に祀ったことにはじまると伝えられている。
大宮八幡宮と同じぐらい、というか、こちらの方がちょっと古いわけですね。
神社仏閣の多くがそうですが、大宮八幡宮も井の頭弁財天も、「はじめに聖地ありき」で、古代から聖地とされていたところに、あとになってからそこに寺社が建てられるようになったのかもしれません。
井の頭弁財天に集まって、良丸さんは、この辺に湧き水があると聞いたということで、みんなを待たせて一人で探しに行きました。
そして見つかったのが、史跡になっている湧き水でした。
井の頭池の西の辺の、ちょうど公園沿いにマンションがあるあたりです。
ぼくも以前に来たことはあると思いますが、まったく忘れていたみたいです。
その湧き水の前で、良丸さんと一緒に祈りました。
これはオフレコにすべきかどうかわかりませんが…、やっぱり書かない方が良いでしょう。^^;
あるビジョンが見えてきて、どうもお祈りを続行できなかったようです。
今回急遽この聖地巡礼を決定したそうで、そのへんの事情ともかかわってくることです。
数日中に何か感じるものがあったら教えてくださいと言われました。
うちの家族はそこでみんなと別れてしまったので、その後のことはどうなったかわかりません。
ちょっと脱線しますが…。
今日良丸さんから聞いた話によれば、ぼくが以前に大洗に聖地巡礼したときに、良丸さんたちが大洗に流れ込む川の上流のあるところに巡礼していたそうなんです。
大洗は何度か行っているので、いつのことかわからないけれど、もしかしたら、大きな地震があったときかな。
こういう話を聞くと、ぼくがマップダウジングで場所を指定されて行かされると思っているのは、まったくのデタラメで出ているわけではないんだということがわかって、安心します。^^;
井の頭に話を戻して…。
このあたりは、旧石器時代(3万年前頃)から人が住んでいたことがわかっていて、井の頭池遺跡群というのもあります。
井の頭池は、数十万年前にできたと考えられていて、水量が豊富なこの湧水のまわりでは、動物や人間たちが途絶えることなく豊かに暮らしていました。
いってみれば、この井の頭の池も、3万年前からの聖地だったのでしょう。
(人間が住むようになる以前からも、動物たちにとっての「聖地」だったのか…)
井の頭公園の中央にある池は、川の水が流れ込んで出来た池なのではなく、湧き水が水源となっているんです。
つまり、古代からの池としては、川で洗濯や水浴などで汚されることのない水源であり、それだけ神聖な水をもたらす聖地なのだということですね。
井の頭公園から南の方へ行ったところに三鷹市牟礼(むれ)という地名がありますが、井の頭もかつては大字牟礼の中の小字だったようです。
ぼくの先生によると、牟礼は古代朝鮮語の「村」を意味する「ムレ」からきているそうです。
もしかしたら「群」という日本語も同じ語源なのかな…。
つまり、このあたりは朝鮮半島から渡来した人々が住んでいたところなんですね。
初めて訪れたにもかかわらず、そういう聖なる場所(湧き水)を嗅ぎつけるのだから、やっぱり比嘉良丸さんという人は優れたカミンチューですね。
アクアク
ぼくの先生の話が出たところで、ひとつ面白い話があるのだけど…。
これから書くことは、信じる信じないはもちろん自由です。
ずっと昔の話ですが、井の頭弁財天堂があるあたりに、集落の族長みたいな人が古代に住んでいたそうです。
その族長が、先生に霊的に「かかった」ことがあって、何だか意味不明の言葉を喋っていて、「アク、アク」とか言っていたそうなんですね。
あとになって、それがイースター島のアクアクという言葉だったことがわかったんです。
アクアクというのは、イースター島の神さまの名前ですが、もともとの意味は「何かを創造しようとする欲求」だそうです。
つまり、みなさん俄かには信じられないことだろうと思いますが、古代にイースター島から太平洋を渡って日本にたどり着いた人々がいたということなんです。
だから、ぼくが思うに、たとえば縄文時代と呼ばれた頃にも、世界中で海を渡って交流があったのかもしれません。
アメリカ大陸で縄文土器が発見された事についても、「物だけが渡ったのだ」と頑迷に主張する学者たちがいますが、実際は「物と共に人も渡った」のかもしれません。
子連れ巡礼は…
今日は2歳2ヶ月になる息子のYを連れてきたのですが、チョロチョロするのですごく大変でした。
数秒目を離すとすぐにどこかへ行ってしまうので、お祈りしていても、気が散って深いところへ入っていくことができないんですね。
かみんちゅネットワークでは、小さい子供連れで巡礼する人たちが目に付くけれど、大変だということがよくわかりました。
まあ、でも少しずつ慣れていくようにしないといけません。
そんな小さな子供を連れてきて何になるのかと思う人もいるかもしれません。
ぼくが思うに、オリンピックではないけれど「参加することに意義がある」のではないかと。
たとえ何にもわからない幼児でも、早いうちから「神仏とのつながり」ができることは、あとあとの人生で何かしらプラスになることもあるでしょう。
聖地巡礼のススメ
最後に、さいきん聖地巡礼について思うことをちょっと書いて終わることにします。
ぼくは以前から常に一人で世界・日本各地を聖地巡礼してきた人間です。
最近になって、かみんちゅネットワークを通じて、無私の気持で世界平和や全体のことを願って聖地巡礼を続ける人たちは、世の中にはけっこういるのだということがわかってきて、非常に嬉しく思います。
そういう人たちの多くは、きっと果を求めめずして自分の本務を尽くしているだけなのだろうと思います。
自分の経験からも言えることは、そのような聖地巡礼や「大きなお祈り」をすることを続けていれば、自分個人のことは、願わずとも自然とうまくいくようになるのだということです。
ぼく自身は、いろんなところで書いているように、神社仏閣や聖地と呼ばれるところへ行って、自分の願い事をすることは一切ありません。
それは、ぼくの師の教えでもありますが、それ以前から、誰に教わるでもなく、常にそうしてきました。
人間というものは、常に「全体」のことを考えて行動していれば、「個」のことは願わずとも、全体がうまくいくようになると、自然とすべてがうまくいくようになるものだということを、実体験してきました。
自分が特に深い因縁をもっていると感じたり、多くの困難をもって生まれてきたと思うような人ほど、聖地巡礼をすることをお奨めします。
たとえば霊能者やカミンチューなどに拝みを頼んで、自分に起きている問題が解決したとしても、それは一時的なものでしかない場合もあるでしょう。
常に全体(宇宙・世界・日本・共同体など)のことを考えて行動している人々のことは、神仏も味方してくれると思います。
個人的な例をあげれば、たとえば仕事のことなどについても、そのような聖地巡礼を続けていると、スムーズに事が運んでくれるようです。
健康状態も改善されていくという場合もあるかもしれません。
つまり、神さまの方へ向いて生きている人々のことは、神仏も特別に手を差し伸べてくれているということなのではないかと思っています。
言い換えれば、「カミゴト」以外のところでエネルギーを費やしたりしないで済むようにと、便宜を図ってくれるというか。
ただし、言うまでもなく、上に書いたようなことを「目的」として期待してはいけないのであって、結果論としてそうなるのだということです。
世の中には、ある特別な目的(役目)をもってこの世に生まれてくる人もいます。
そういう人々には、ここに書いたようなことは「釈迦に説法」で、そんなこと人に言われなくてもわかっているでしょうが。
時にはそういうことでも、言葉として記しておいた方が良いということもあるので。
最後に…
自分を中心として生きている人には、自分を中心として働く神仏がつくかもしれず、
全体を中心として生きている人には、全体を中心として働く神仏がつく(かもしれない)。
【参考サイト】